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最後の記事・・・ありがとう。
最後の記事・・・

いつも愛読して頂き、ありがとうございます。

今日は皆様に残念なお知らせがあります。
今日を持って、「いのちの再生」本家HP及び等Blog他一時閉鎖することにしました。

本家サイトを立ち上げて、約2年。その間、実にたくさんの方々の訪問があり、私自身闘病中の励みになりました。多くの方々と出会い、触れ合い、学び、教えられ、勇気づけられ、げんきをもらい・・・。。。
ここには書ききれないくらいの大きなものを得ることができました。
最初は、長年書き続けてきた手書きの日記が書けなくなり、その延長線上のつもりで、立ち上げたサイトでした。

日本では初めての症例、お医者さんの多くはこの病の存在も知らない、そんな孤独な病と闘い続け、胎児期に亡くなるであろうといわれていたものが、生を受け、17年も生きてこれたのは、ほんとうに奇跡だと言わざるを得ません。そんな孤独な病の存在を知ってほしい、ひとりでも多くの人に・・・という啓発的な目的は、一切、ありませんでした。

私は生まれながらに骨髄不全で、自らの骨髄では血液を造血することができないため、生まれる前から輸血が必要でした。人の善意の血液をもらわなければ、生きてはいけなかったのです。そんな自分に、失望し、情けなく、つらく、悲しく、みじめで、嫌いでした。
2歳のときに、タイムリミットギリギリで骨髄移植をしましたが、残念ながら生着せず、失敗に終わり、その後も無菌室への入退院は繰り返されました。
だからこそ、いのちの大切さを世に訴えたいわけでも、骨髄バンクに登録してくださいと言いたいわけでも、献血をお願いします。と言いたいわけでも、ありませんでした。むろん、同情を集めるために、サイトを立ち上げたわけでは、決してありません。
ただ、私のいのちが尽きるときまで、「書く」というその機能が目的が方法が、残されている限り、私は恩師から教えられたことと、自らの持ち合わせた天性を生かしながら、書きつづりたいとおもったのです。
私の生い立ちを。そして、想いを。

最初、ここを教えた知り合いは、私の大切な人たちだけでした。ごくごく僅かでいい。
全ての人に好かれることは、不可能なのと同じように、すべての人に支持される、言葉だってありません。
言葉の重みを知り、言葉の怖さを知り、言葉の素晴らしさを知り、言葉の意味を知ってから。
私は書くことが怖くて、たまりませんでした。
書くことで、私の心の内面を覗かれているような、そんな恐怖もありました。そして、不特定多数がみているネットへ公開することも、ためらいがある毎日でした。でも、「書く」ことは、私の「人生」だったのです。
立ち上げた当初から、私の病気は更に進行し、一人では立つことも歩くこともできなくなりました。声を思うように出すこともできなくなりました。

何度も意識を失います。何度も心臓が停止します。何度も・・・痛みが襲います。
それでも、私は体の、心の痛みに、強く耐えようと決めたのです。生きるためには、強くなるしかなかった。

しかし、もう、どうやら限界のようです。
右目は完全失明、左目の視力もほとんどないまま、拡大鏡をとりつけ、何とか今日まで、痛みと闘い、日々の病気の進行と迫り来る死の現実と向き合いながら、死のそのときまで、ここで私の日々を書きしるしたい。そう強く願い、続けてまいりましたが、キーボードを打つだけで、精いっぱい。
周りのことも考えられません。そんなままで果たしてここを続けてよいものだろうか?管理人として、一方通行のサイトになっていないだろうか?体調不良でレスできないまま両掲示板も閉鎖し、コメントにもレスできず・・・そんなふがいない自分が、ものすごく、いやでした。

今年に入ってから、ずっとHP閉鎖について、考えてきました。それでも踏み切れなかったわけ・・・。
やっぱり、書きたい。それが批判をいただくような内容であっても、それが真実である限り、書き続けたい。
そして、生きたい。生きていたい。
明日誰かと話がしたい。明日笑いたい。
そう思って、閉鎖も先へ先へと延ばしてしまいました。管理人の優柔不断さで、皆様には大変ご迷惑もご心配もたくさんたくさん、おかけしました。

でも・・・どうやら、私の命の電池はきれかかっているようです。点滅しはじめては、また持ち直し、その繰り返しで、昨年は、もって3カ月でしょう・・・と余命宣告を受けた身です。それでもあきらめきれず、せめて後2年・・・いえ、ぜいたくは言いません。後、1年は生かせてほしい・・・と主治医に無理を言い、ターミナル期にも関わらず、厳しい治療を併用していただいていました。もう治療がないのはわかっています。
よくならないのもしかと受け止めています。

そして・・・死が近づくのも、そんな遠い将来でないことも・・・知っています。
だけど・・・せめて。最愛の弟が小学校を卒業するまで、それまでは、生きていたいと思ったのです。
彼が中学生になれば、今よりもっと、いろんなことを見つめられるようになるでしょう。
そして、時間はかかるでしょうが、姉の死を受け入れることができるはずです。そして・・・両親を支えてくれるでしょう。弟には、話しておかなければならないことがまだあるのです。

父のこと、母のこと・・・そして、祖父母のこと。
それは、彼に「託す」ことではなく、「語る」ことなのです。
あなたの父は、とても立派で、最後まで人を信じ続けたのだよと・・・。
あなたの母は、とても繊細で、無償の愛で子どもを育てていたんだよと・・・。
あなたのおばあちゃんは、あなたを小学生に入るまで、育ててくれたんだよと・・・。
あなたのおじいちゃんは、無口だけど、とても心配し、可愛がってくれ、自らの戦争体験を決して多くを語ろうとはしないけれど、自らの生き様で私たちに教えてくれていたんだよと・・・。
おばちゃんは、いろいろ問題起こしたけど、それでもすべてが不幸だったわけではなく、やさしさも持ち合わせて、ただ不器用だから、いろんな人を不幸に、そして自分自身をも不幸にしてしまったんだよと・・・。

もっともっと、話しておきたいことが・・・ここにあるのです。
せめて・・・後、1年。私に時間をくださいと。
何度神に仏に、先祖に。祈ったことでしょう。
その願いは、通じませんでした。
あきらめたわけではありません。投げやりになってるわけでもありません。怖いくらいに、冷静に物事を見つめている自分が、ここにいます。
人間は、無力です。病気は医学のそして人間の、限界を教えてくれました。
病気になんてなりたくなかった。病気なんて、くそくらえだけど・・・。仕方ないっていう思いもあるのです。
病気で、たくさんのことを学びました。たくさんの人と出会いました。たくさんのことを知りました。たくさんのやさしさを知りました。たくさんの悔しさに出会いました。たくさんの涙を流しました。たくさんの痛みを知りました・・・。
しかし、そのことを不幸だと感じたことは一度もありません。ただ、悔しいのです。

病気で、たくさんのものを失いました。夢を失いました。食べることを失いました。歩くことを失いました。声を出すことを失いました。光を感じることを失いました。音を感じることを失いました。体の機能を失いました・・・。
得たものがある一方で、たくさんの涙を流したのです。得た財宝は、その代償であるという思いです。

父が言いました。
「娘のためなら、すべてを捨てる覚悟はできています。」と。
どんな想いで、この言葉を、主治医に投げかけたのでしょうか・・・。どんな想いで、娘の余命宣告を聞いたのでしょうか。どんな想いで、私をおぶってくれたのでしょうか。

母が言いました。
「はるかを守る。」
不器用で、泣き虫で、繊細で・・・。
そんな母が、どんな想いで、私をここまで育ててくれたのか。どんな想いで、私を生んでくれたのでしょう。どんな想いで、様々なことから、私をいのちがけで守ってくれたのでしょう。

祖母に助けられたこともあります。無口な祖父は、戦争の怖さを、そして人々の弱さと強さを、その生きた人生から、教えてくれました。

たくさんの涙を流し、冷たい涙だけではなく、温かい涙も知りました。
車椅子であっても、あそびに連れて行ってくれたボランティア仲間。寝たきりになっても、今まで通り付き合ってくれた病気仲間。語りかけてくれた人々。
疲れたとき、そっと見守り、距離を置いてくれた人。
生きてていいって言ってくれた人がいた。生きなきゃだめと言ってくれた人がいた。
自己中心になったとき、私は今でも死にたくなります。いのちの尊さを大事さを大切さを訴えている私にも、「死にたい」という願望はあるのです。
病気を抱えた身にとって、自分で何もできないということは、生きるうえではとても辛いことです。
トイレも一人でできない。寝返りも打てない。食事もできない。
綺麗事だけじゃ、生きていけない。どこかで折り合いをつけ、あきらめ、妥協し・・・そうしなければ、生きていくことはできません。

どんな状況でも、生きたいと、生きていたいと・・・その状況を受け入れ、前向きに歩もうとしたとたんに、また奈落の底へ突き落とされる。その繰り返しです。

今回の脳腫瘍の進行・・・OPもできず、放射線も限界であることを知り、もういい加減、治療に頼るのはやめにしよう。という医師の言葉に、どんだけ涙を流したか・・・。
生かせてほしいと。医師は言いました。

「子どもって両極端ですよ。生きる力も持っているけど、それがふと、尽きたとき、簡単に死んでしまう生き物ですから・・・」
私は今、どちらでしょうか。どんなに厳しい状態であっても、これまで、どんなに覚悟をしてくださいと言われても。何度も心停止しても。。
私は脅威の力で、生き抜いてきました。生きて生きて生きて・・・生き続けてきました。奇跡の17年を生きてこれたのです。だから、今回だってまだ・・・だいじょうぶ。また乗り越えられるよ。そう思うこともないではありません。でも、わかっているのです。
いつ、そのときが来ても、おかしくはないと。いつ、何があっても、不思議はないと。
だから、私はこれまで、明日のことを見つめるより、今あるこの瞬間を大事にしたいと、生きてきました。
それは決して、人さまに自慢できる生き方ではありません。悲観的で、それでも私なりに、今日を、今を、この時間を、生きたいと。懸命に考え、生きたのです。

言いかえれば、そのような生き方は、「今を大事にする命が輝く生き方」であるかもしれません。
でも、ほんとうに、私には、そして私たち家族には、この時間の「今」しか見えないのです。明日のことはおろか、1時間後のことも、わからないのです。
そんな日々を過ごしてきた者にとって、命の輝きと言われても、私のいのちは輝いているのかどうかもわかりません。
ただ、生きたい、生きていたい、生き続けたい。
そして、再び、夢を追いかけたい。
その想いは、本物でした。目指していたものも、本物でした。

学校にも満足にいけませんでしたが、ボランティア時代に出会った大切な人たち・・・愛する人に出会い、恋という形すら知らず、結婚という形も描けず、でも、私は幸せでした。
恋も知らず、死んでゆくよりは、心の底から愛しいと思える人と出会えたのですから。
たとえ同じ道を歩むことはできなかったとしても、私は彼を尊敬し、愛し、彼の存在を確かめることができただけで、幸せでした。

いっぱい泣いた。いっぱい笑った。いっぱい怒った。いっぱい悔しんだ。

どこの家庭にでもあるように、我が家にも笑いあり涙ありのふつうの感情があります。

今日までここを続けられたことを、幸せに思い、そして、ここまで生きてこれたことを誇りに思っています。
病気であったことは確かに不運なことでした。
しかし、決して不幸ではありませんでした。
私は生まれたときから、生まれる前から病気であったけど、難しい病気だったけど、この世に生を受けたことを、誇りに思っています。そして、この両親の元に生まれてきたことを、何よりもの誇りです。

もしも、生まれ変わることができたなら。私はやっぱり、父と母の子として、生まれきたい。そして、出会った人たちや大切なことはそのままに、第二の人生は病気が治ればいい・・・そう、思っています。

私はこれから、もう治療をやめることになるのかもしれません。それはすなわち「死」を意味します。
でも、もう治療をしても、意味はないのですね。
小さいときから、生まれたときから診て来てくれた主治医や教授に話を聞き、また話を聞いてもらい、一番何がよいのか。
不確かな10年20年先を見通した治療をするよりも今を大切にしたいのちのQOL重視の本来の、ターミナル医療を継続し、在宅で維持できるものであれば、その方があなたのためになるのではないか。
17年も飽きず懲りず見捨てず診てきてくださった教授の先生や主治医の先生方が下された結論に、異議はありません。それが、よいことなのでしょう。
信頼している医師団であるから、彼らの判断に間違いがあるはずない。と、言い切ってみるも。やはり、どこかあきらめられない想いも抱いているのが現実なのです。

在宅に戻り、ターミナル医療を重視するのか、意味もない自己満足に過ぎない厳しい治療を受けるのか。
私にもう、治療を受ける力も体力もそれに耐える気力もありません。

ここまでしていただいた医師団の方々には本当に感謝しています。報酬ももらえなのに、診療が終われば、毎日雨の日も風の日も、それこそ台風のときでも、往診に来てくださった主治医の先生。
「何か困ったことがあったら、夜中でもいつでもお電話ください。駆け付けるのにどんなに飛ばしても1時間はかかりますが、必ず伺いますから。微力ですが協力させてください。」とおっしゃってくださった在宅医の先生。わざわざ隣の隣の隣の街から、来てくださって。高速を使っても、40分はかかるのに。

私は、本当に幸せです。
たくさんの温かい方に出会い、たくさんのやさしさに触れ合い・・・。たくさんの温かい涙を知りました。
人の汚れた心もみてきたけれど。人のやさしさに出会うと、この世もまんざら捨てたものでもない、と思うのです。

最後に・・・
毎日、100人来てくださっていた方が、今では250人前後、多いときで400人を超しました。
こんな、わがままで、身勝手で、愚痴の多い、一難病児にこれまでお付き合いくださり、本当にありがとうございました。
17歳の子娘に付き合っていただいたことを、感謝し、厚くお礼申し上げます。
そして、ここ(本家HP及びブログ等)をこのような形で閉鎖してしまうのは、どこか寂しくもあり、情けない限りです。もっと続けられたのでは・・・。そう思っていることも、私の今のこころです。
でも、限界はわかっています。ここまで書くのに、何日もかかりました。

「このサイトが大好きです。」
「これからも書き続けてくださいね。」
「あなたの文字が大好きです。」
「夢をあきらめかけていたけれど、あなたの生き方で、もう一度夢を追い続けようと思いました」
「ありがとう」・・・・・

たくさんの温かいメッセージをいただきました。
こちらこそ、ありがとうございました。
ここは、決して、勇気や希望や元気を与えるサイトではありませんでした。皆様に心配ばかりかけ、不安にさせ、迷惑をかけ・・・本当に、管理人として恥ずかしい限りです。
実は私が一番、このサイトに助けられていたのです。しんどいとき、ちょっとここに来て、文字を残すことで、げんきをもらえました。
皆様の温かいコメントで、笑顔になれました。

本当に、2年間、お付き合いくださり、励ましてくださり、見守ってくださり、本当に本当に、ありがとうございました。

一昔前と比べ、情報開示の時代になり、ネットを一つあければ、たくさんの情報が飛び交わっています。
悪い情報も良い情報も、自分の中に取り入れ消化し・・・そして、人は豊かな人格を形成していくのです。
私が生まれた17年前は、まだそれほど胎児医療というものも、駆けだしたひよこの学問でした。
それが、この10年の間で、医療はますます発展し続けています。
昔は、不治の病といわれていた病気が、時代が進むにつれ、原因が解明され、研究機関が増え、治療方法も確立できる時代となりました。

小児がんの子どもも、今では7割の子どもは、治癒を迎え、げんきに、社会に出ています。それに伴い、晩期障害(治療の後遺症)などの問題も多様化してきたのも事実です。
しかし、言い換えれば、約3割の子は、今も尚、駆け足でこの世を去っています。
それは、悲しい現実なのです。
治るといっても、そのためには壮絶な闘いをし、そして治療の甲斐もなく、再発を繰り返し、残念ながら亡くなってしまう子もいます。
そのたびに、多くの無念と自分の非力と・・・小児がんがまだまだ、小さな生命を脅かす恐ろしい病に変わりがないと、肝に銘じます。
そして、どんなに医学が進歩し、日本は一部の先進国に比べて、ある一部の分野では、勝っていても、見えない部分で、日本独自の偏見や日本の医療の貧しさを感じずにはいられません。

今、この情報過多の時代で、ネットを開けば、多くの情報を開示し、求めることができます。
そして、多くの人が、情報を世間に発信しています。
たとえば、小児がんの闘病記、我が子の闘病を親御さんが綴ったHPやブログも多く拝見させて頂きました。
それで、多くの人が救われたこともあるでしょう。
現に私も、たくさんのHPと出会い、たくさんの子どもと出会い、たくさんの親御さんと出会い・・・。多くのことを学ばせて頂き、多くのことを知り、多くのものを得ました。
そして、私も情報を発信し続けてきた者のひとりです。が、これだけは、覚えていてほしいのです。
HPで紹介や情報を開示している人は、ほんの一部しかいないということを・・・。
今、この瞬間にも、病院で我が子の闘病と向き合いながら、PCさえ触れられず、情報を求める余裕もなく、まさに絶望の淵にいる親子がたくさんいるということを。

我が子の闘病を記録として、HP上に載せられている人のほかに、たくさんの葛藤と涙を抱え、今日もいのちと向き合っている人々がいるということを。
それは、テレビの世界でも映画の世界でもなく・・・ただ、私たちが知らないだけなのです。
その世界を、見ようとしないからなのです。
身近に感じられないからなのです。

ほんとは、今でも多くの小児病院・小児病棟では、今日もまた壮絶ないのちの闘いが、親と子の、そして医療者との物語が、築かれているのです。
ただ、一般の私たちには、それをそばから傍観することもできず・・・TVで見る世界でしか感じられないのです。
だから・・・HPに紹介できない、自分の我が子の闘病を、記録としてまとめられない親がたくさんいるのです。
その方々の方が、HPを開いている人よりも、たくさんいるということを・・・どうぞ、ご理解ください。


尚、しばらくはこのブログも本家HPも、残しておこうと思います。いつか、また、過去のわたしにも会いにいってやってください。あんなときもあったなぁ~と思い返していただければ、私はそのとき、あなたの心に記憶に、生き続けることになります。

また、いつの日か、どこかでお会いできることを夢みています。そして、いつの日か、サイトもこのブログもまた運営できたらいいなと・・・。戻ってこれる日を夢見ています。そして、まだまだ、生きています、と同時報告できることも・・・夢見ています。
後、諸々のブログも同じ理由で、一時閉鎖します。
しかし、書きためていた文章をこれ最後の力で、UPしますので、お時間があり、ご興味がおありでしたら、見てくだされば管理人として、幸いです。


皆様のご健康とこれからのご活躍を心より祈って・・・
最後の記事とさせていただきます。


長い間、読んでくださり、本当にありがとうございました。

2007年6月23日 いのちの再生管理人 Ressarことはるか


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【2007/06/23 18:01 】 | 想うこと | コメント(22) | トラックバック(0) | page top↑
障害と折り合い。
今日は告白してしまいました・・・。
あー、恋ではないです。残念ながら・笑。

今まで、気持ちに秘めていたことです。
ずっと、言えなくて、自分の考えが間違っているのか?合ってるのか?わかんなくて。
そんな答えなんて、ないんですけどね・・・。

自分の答えで、誰かを傷つけるのが、怖かった。
たとえ、あたしは傷ついたとしても・・。まぁよいのです。
誰も傷つく事はない事、分かったから。
何か、自分を過小評価しすぎるのもダメだけど、過大評価しすぎるのも・・・どうなんでしょう。

ケアに入られてる方に、「してやってるんだよ。」
みたいな言い方されると、・・・・。となります。
何かあぁいう自分はどんなにえらい存在なんだい。というのは、嫌ですね・・・。人間の汚い部分みるみたいで。あたしはしてもらう事が多いので、小さい存在だなぁと自覚できるので、まだ幸運かなぁと思いました。

自分を自分で過大評価していると、いつか、落とされる時が来るような気がして・・・。その時のショックって大きいだろうし、たぶん落とされた時も、プライドが邪魔してしまうと思う。
困った時に、人の助けに甘えられる人が、ほんとの人のためになることを知ってるんじゃないかな・・・?
と思ったりする。・・・わかんないけど・・・。


今日はリハビリを休んだ。異様に右足が痛い。注射打ってもらうけど、効かない。。血液担当医から、「無理しないように。」といわれたので、この状況でリハやっても、周りに迷惑かけるだけだし、先生の言葉に素直に従う事にした。でも・・・リハビリを休んでしまった事に・・・自己嫌悪。。

午前中に透析専門ナースの訪問。午後には一般ケアの看護師さんの訪問があった。透析専門の訪問が、なぜか午後からとなっていたみたいで、「今日は午後からと聞いた。」と連絡が入り、びっくり・・。「いや、午前中に・・・」とお願いすると、「ごめんなさい。1件回ってから、うかがいます。」と。。前回に確認を怠ったあたしの責任であり、看護師さんは忙しい思いさせてしまったかもしれない・・・ごめんなさい。

毎度の事だから、言わなくても分かってくれるだろう。というのは、在宅ではなしだと思ってる。
私の常識は、相手からみれば非常識にもなるわけです。利用者さんはあたし一人じゃないんだし。
あたしは、自分のサービスを受ける立場なのだから、しっかりしないとぉ・・・って反省。。
だけど、あたしも自分の事とは言え、完ぺきには出来ない。

夕方、バルンが詰まり、お腹が張る。血液担当医の訪問時間と重なり、診てもらう。「今すぐ、バルン交換が必要。場合によっては膀胱洗浄。」といわれるが、2時間ほどして、流れもよくなったので、このまま。

何だか、いつも監視されてる日常には疲れた。もうだいぶ、ひとりのじかん。持ててない。たとえば、健康で働いていたとしても、世の中いろんな人がいる。自分と意見や考えが合う人と付き合っていられないわけです。だからと言って、働いていないあなたは社会経験がないから、人の付き合いが未熟なんて、言われたくないです。

まぁあたしは、未熟ですけどね。社会経験なんかなくても、人間ある程度の年齢を超えれば、それなりに大人な考えになるんではないでしょうか?
学生の間もいろいろ、葛藤もあるしね。。
逃げてばかりでは生きていけないのです。。
あたしは今、「健全な患者」「健全な障害者」を求められている気がします。ひしひしと。それが重くて疲れました。そもそも、「健全な人」なんているのでしょうかね・・?そりゃ、犯罪や世の中の常識は、犯さないくらいの健全さは身につけるべきだけど、何もかも完璧で完全な(健全な)人なんていないし、いたら気持ち悪いし、どこにも魅力ないよ。

それでも、白衣とジャージの人たちは、健全さを求めてきます。。おとなしく言う事を聞く。言いなりにしやすい。ざっと、こんな感じですか?
だれとでもうまく行くには、必要不可欠な要素でしょう。誰もが扱いやすいという点においては・・・。
もはやあたしという人格を消すしかないようです。自我とは、自ら(みずから)の我(われ)と書きます。
我を出しすぎると、わがまま(我がまま)になり、我を消すと、我がないつまんない人になってしまいます。協調性において、我を出したり、引いたり、自分なりにコントロールとりながら、人間関係を学んでいくようにあたしは思います(これまでの未熟な人生経験ですが・・・)。

障害者が我を出すと、我がままな人といわれる事がよくあります。よく考えてみれば、障害者として生きる事が、わがままな姿だと、最近気づきました。
自分からは動かず、人形のように着替えさせ、『水飲みたい。』と、コップに水を入れてこさす。

歩ける人なら、なんじゃ自分でしない、わがままな人!でしょう。
あたしは障害がある特権で、人を動かせているかのように見える事実に、はっとさせられました。
歩けない、自分で自分の事が出来ない事の苦痛・・・を自分の事として想像できない一部の歩ける人からみれば我がままな!と日頃から見えてしまう事に・・・。


話は変わりますが、「会おうね。」という言葉を、私はいかに無責任に使っていたかに気づいた。
全介助を必要とする身で、いかに大変であるか。
もう私は、以前のように、ちょっと出かけてきます♪みたいな呑気に言ってられる場合でもなく、私が外に出る事は、呼吸器から透析器具・酸素ボンベなど大きな大きな荷物になる。

そんな状況で、「会おうね。」と気軽に言える立場ではないなぁと・・・。

もちろん会いたい。元気になることはないことはわかってるけど、回復の望みもあきらめたわけじゃない。でも、「いつか・・・会えたらいいね。」って消極的なことしかいえない自分に苛立つ。

昨夜ちょっとしたことで、家族喧嘩。
家に重度難病児者がいるというのは、何かと一人一人の負担の積み重ねで、それは中にいても外にいても、病気や障害が進んでしまえばしまうほど、家族の負担が増えるのも事実。1日何も動かず・・・ずっとベッドで、食べて排せつのみして生きていく方が、介護者には楽なのかも?・・・など、日本の「寝たきり」は「寝かせきり」の現状も、わかる。それも、家族は、私を愛して思ってくれる気持ちで、こうして手をさしのべてくれるわけだ。これは難病とともに生きる私の一考えであり、それ以上の、それ以外の、何ものでもありません。私は私の思っていることしか書けないので・・・。


ようは、障害を持ちながら、どう周りと折り合いをつけ、暮らすかということ・・・なのだと気づきました。
【2007/06/23 16:45 】 | 日々の日常 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
参観日。
今日は母が弟の参観日で、行かせてあげたいと昨日看護師さんと約束して、今日の午後から、時間をとり、一緒にお留守番している事になっていた。

参観は5時限目の1時半から始まる。
我が家は学校から徒歩10分、自転車で5分という距離にある。1時10分にはお伺いします。と昨日約束を交わしていたので、訪看さんも忙しいし利用者はあたし一人じゃない。
前の利用者さんの容態が急変したのかも知れないし、待っていた。

しかし、20分を過ぎても・・・来られなかった。
いくら待っても来られない。我慢の限界を達し、30分に訪看STに電話した。

「今日は午後の2時半からになっています。」・・・と。「前回に1時10分ということで、看護師さんと打ち合わせしたのですが。」と聞くと、「私は電話を聞く係だけで、看護師はみんな外に出ていますので。」と・・・。あたしは、自分の中の何かがプツリと切れる音がした。「今日はもう訪問いい」と母に言って、母も「今日はもう訪問いいです!」と電話口に言っていた・・・。

弟の参観日で、弟も楽しみにしていて、ずっと行ってやれなかったから、せめて今日だけは母にも行かせてあげようと思っていたのに。だから前もって看護師さんに、「午後のこの時間にお願いできますか?」とお尋ねしていたのですよ・・・。
その時間での訪問が無理なら、どうして昨日の夜でも、今朝でも電話くれなかったのよぉ~。

看護師さんは忙しいし、利用者はあたしのみではない。訪問宅で、緊急事態や処置に手間取ってしまうこともあるでしょう。そう言った、予定変更や遅れならいいのよ・・・。どうしてはじめから、・・・今日の訪問予定は、2時半と組みこまれているわけ?これじゃあ、あたしと母が前もって、お願いして話した意味もない・・・。母娘そろって、何かがプツリと切れて飛んだ・・・。今日は行かせてもらうからと、いつもより早く起きて、あたしのケアもいつもより丁寧で、いっぱいやさしくしてくれて・・・。
二度寝なんてしないで、用意して待っていた母は何なんだろう・・・。

「お母さん、絶対来てね!あっちゃん、手あげるから!!」って笑顔で出ていった弟は何だったのだろう。いったい、あの人たちはいつも訪問を待っているあたしたちの事、なんと思っているんだろう?
訪問も待つ身になって、考えたことはあるのだろうか。。

今日は、訪問看護はなかった。初めて自ら断った。
夕方の先生の診療で、このこと話すと、「じゃあ、今日は輸注日でしょ?してもらわなかったの?!」って。
そう、今日は欠損している酵素の補充日でもあった。別にどうでもいいと思った。
でも、先生は激怒して、訪看STに電話してくれて、責任者と話してた。で、今すぐ輸注を持ってくるように指示し、20分後持ってきてくれた。

遅れるなら、電話一本くらい出来ると思う。予定変更なら、昨日も今日も連絡できたと思う。連絡できないくらい忙しくても、電話3分くらい、時間見つければ出来ると思う。
忙しすぎて、忘れてしまうなら、メモに書いて確認すれば、忘れる事もないと思う。
看護師さんは、利用者さんに対しての責任感がないのだと思う。・・・あたしの思ってることは、間違っていますか?常識に欠けていますか・・・?・・・わがままですか?今回は初めての事ではなく、これまで看護師さんも忙しいのだし、人間同士忘れる事もあると、受け入れてきた。だけど、何度も、こちらばかり受け入れるのも、おかしいって思う。

看てもらってるのだから、仕方ないですか?
看てあげてるのだから、それくらいですか?

仕事ってお金で形になるけど、プロ意識って、もっと別の所にあると思うよ。
だから専門職は、尊いと思う。だから誰からも、感謝と尊敬される仕事でしょ?

おわびの電話も謝罪の言葉もなかった。処置なくても、心配もしないのでしょうか。
気にもならないのかなぁ。まぁ自分の事ではないのだし、自分の事は自分で守るしかないのですが。
何か、この状況っておかしいと思うよ・・・。ほんと、悲しいよ・切ないよ。信頼しようとしているのに、何度も裏切られるのって、疲れるよ。。あなたを信じて・・・よいのですか?

この訪看STは祖母も利用している事業所なので。あたしが始める前から祖母の所でお世話になっていた。だから、前からここのシステムも看護師の数も大体分かってた。祖母の所でも約束を放棄されたり、予定が狂ったり、していた。その度に、事業所ともめたなぁ・・・。
1度や2度ならば、失敗で許せるだろう。けど、何度も繰り返されては、利用者の身が持たない。
新しい事業所を探すか・・・そんな時期に来てるのかなぁ・・・。そう、母とも話をした。結局、今日は弟の参観には行けなかった。

帰ってきた弟、泣いてました。

夕飯時まで、口も聞いてくれませんでした。
些細なこと、ですか?それくらい、ですか?
でも、これが病児を抱える家族の日常なんです。
こんな些細なことで、家族の心は、痛くなるんです。

10分以上、私から離れてはいけない。そうドクターからの指示を受けてから、もう1年あまり。
その間、家族も周りの人も疲れてく。壊れてく。
恥ずかしいことかも知れません。

家の事情・日常を書くのは。けれど、何も隠すことじゃないし、病児ときょうだいを持つご家庭では珍しい問題ではないです。そのことを、書きたかった。

今は看護の抜け殻。といった感じ。看護師さんの前でいるあたしは、心や気持ちはなくした、細胞体。治療して治る体ではない。生きる価値もなく、生きてたらそれでいいし、死んでてもそれでいいんじゃない?って、存在なんだなぁと・・・。ぶっちゃけ、金儲けの命、儲けが無くなれば、出て行って。って言われてるようで・・・。金の切れ目が縁の切れ目。とも言うし。。

今は看護師さんに、気を使う存在でしか持ててない。気を悪くさせてしまったら、診てもらえなくなるとか・・・。体調の変化もこれくらいで言ったら、もっとつらくなった時に、「また言ってるわ・・・」とか思われないかとか。現にあったから。言葉数を少なくすれば、トラブルも起こりにくいし、極力自分の想いはなかったことにしちゃえとか・・・。

どんどん自分のほんとの苦しさに蓋を閉めて、「ありがとうございます。」と「あなたのおかげよ。」と笑顔を蒔いて・・・。それでどんどん、自分の首を自分で絞めてる感じ・・・。医療も看護も介護も携わるのは、人間だけど、人間に傷つき、疲れてしまったあたしって、何なんだろう・・・。社会経験がないから?やってもらってる立場だから、仕方ない?死ぬこと出来ないから、仕方なく生かしてもらってる。
ただ、それだけの、世の中でいらない存在なのか・・・と、思いは極端に昇ってしまうのだ・・・。

軽く、「じゃあ、事業所変われば?」とか言わないでぇ・・・。そう、簡単には変われない。変わるにはエネルギーがいるのさ。決してドクターや看護師さんの事を嫌いとか、関係がうまくいってないとか。あなたがきちんとしろよ!とか、病院や先生や看護師さんに求めたり、言いたいのではなくて・・・。病気になったのはあたしの人生上の事で、誰かが変わりに乗り越えてくれたり、「かわいそうね。」と誰かが庇ってくれたりではなくて・・・個人的に抱えて、自己処理し、生きていくことは分かってるんだけど。
だけど、無関心になるのではなくて、支えてくれてもいいんじゃない?それが医療というものでしょ?と問わずには、いられない・・・。

看護師さんサイドでは、患者さんのよりよい生活を送るためにの支援、訪問では尚更、実生活を基盤とした目で看護方針を立てます。医師とはまた違った視点で、医学では治らない、または治る可能性が低い状態でも、そこからよりよい毎日を送れるように、患者さんと共に考えるのが、看護だと感じています。

看護支援には、希望を見つめていく作業もあるのです。私たちには、その希望を、見つめてはいけませんか。厳しい現実の中でも、そこから光を追い求めてはいけませんか。

弟の、まだ10歳の、彼の気持ちを、少しでもいい。感じてあげてください。あの子には、いつも我慢ばかりさせてきた。いつも寂しい思いをさせてきた。
私の弟に生まれなければ、こんなことにはならなかった。弟は幸せな人生を歩めたかもしれない。病気の姉を恨んでもいいんだよ。恨まれても仕方ない。そういうことを、私は彼に、やってきたのだから。それでも彼は、私の介助を快く引き受け、自らやってくれる。ただ、やさしいだけでは、こんなことまで出来ない。
ただ、自己満足では、永遠は続かない。そのことを、彼はまだ10歳にして、わかってる。ごめんね・・・いつかね、いつか・・・。おねえちゃんがいなくなったら、お母さんもあなたが一人占めできるよ。お父さんも、ずっとあなたのそばにいるよ。もう入院したからと、お母さんとお父さんと離れて暮らさなくてもいいんだよ。あっちゃん、君の優しさに、強さに、頼もしさに。弟でよかった・・・。

私の弟に生まれてきてくれて、ほんとに、ありがとね・・・ごめんね。
【2007/06/23 16:35 】 | 日々の日常 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
信じる・・・痛さ。
入院中、生きるってなんだろう・・・?
とかいろいろ考えさせられた。
と言っても、現実は、在宅に戻ってからの方が、良くより鮮明に、考えているかな。

入院中は、ほんと治療の事で精いっぱいで、体の症状のきつさについていくのがやっとで、なぜ人は生きるか?なんて事も考える余力は、なかった。

そう、考えるのは、人が死ぬことに、敏感になっているのかも知れない。
あたしは今まで、いろんな病棟で、人の死に近すぎた。

まだ?と言ってもいいくらい、たぶん死を考えるには若いのに。人間、みんないつかは、死ぬんだ。と、どこか達観しちゃってる自分。

死を考えるのは、もっと先のことでいい。
そうであって欲しい。
身内の死を経験するより先に、自分の死・仲間の死を意識しないといけなかったのは、私のその後の人生に大きな影響力を与えた。
生き物はいつかは必ず死ぬ。
それはだれでも平等に与えられたものだと、教えられた。だけど・・・幼くして死ななければいけなかった子と多くの大人が悪さをしている世の中で・・・矛盾したこの世に、感じるものはいくらでもあるけれど・・・。。

それを言葉に出来るほどの、力は私にはなく、また人を許せる寛容の心も備わっていない。
もっと、人に優しくなりたい。もっと、強くなりたい。もっと、素直になりたい。もっと、人を許せる心を持ちたい。もっと、何でも笑い飛ばせるくらいの大きな人になりたい。。

そう思いながら、毎日現実を見つめて、生きているんです・・・。

人を信じるのって、難しい。どうして?なぜ?の連発。人を信じるたびに、自分を見失う・・・それは自分が弱いからだと思っていた。
でも、バカな私はどんなに裏切られても、信用を失っても、嫌いにはなれなかった。あたしは、人を寄せ付けないオーラーみたいなものがあると良く言われる。近寄りがたいとも言われた。学校でも友達はあまりいなかった。というより、学校に行けば、寄ってきてくれる子はいたけど(多分先生から来たら仲よくしてあげてね。みたいなことを言われていたと思う。)あまり喋らなかった。
それは、もう小さいときからで、人付き合いが苦手というよりは、早くも人生を悟っていた・・・といった方が正確かも知れない。

何度も人を信じれなくなった。医療を、自分を、人を、信じられず、この世に確かなものなんてあるのかと思った。
それでも、もう一度自信を持ち、信じる力をくれたのは、主治医や多くの仲間や家族だった。
苦手な人は距離をおけばいい。でも、社会では自分の好きな人のみの付き合いでは、やっていけないこと。それを私は、ボランティア活動で学んだ。ほんの少しの間だったけど・・・色々な人たちと出会い、いろいろな事を短期間で学んだ2年間は、本当に充実していて、楽しいときでした。

体は悲鳴をあげていたけれど、今の私の支えでもあります。大事なのは、人を信じるという姿勢。。
そして、難しいのは、人を信じる事の兼ね合いだ。だまされても、裏切られても、見捨てられても、信じる事の意味を、2年間のボランティア生活で学んだような気がする。

私の周りには、いつも見守ってくれる人がいた。家族がいて、医療者がいて、仲間がいて・・・良き理解者がいた。ただ、見えなかっただけ・・・。

自己中心になると、周りが見えなくなる。健康な人との距離を感じては、孤独になる。
同世代の子の話に付いていけなかったとき、ものすごく孤立する。あの時から・・・全然、前へ進めていない私。。同じ事を繰り返し、同じ問題にぶつかり、悩み、生きようと必死でもがいている自分・・・。


悩むのは、人生に永遠のテーマ。
変わらない、苦悩。
それは、私が生きていくうえで、どうしようもできないこと。

そう、割り切ってみた。
【2007/06/23 16:29 】 | 想うこと | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
ありがとう。
在宅の日常で。

4月は新人スタッフの時期。
自身もそうだったのだけど、新しい世界に飛び込もうとして来られた方は、ほんとに輝かしい。

夢や希望に輝き、「患者さんを助けたい。」と生き生きと語る。現実は理想からは程遠く、厳しい。

また淡々とした日々の業務の積み重ね。
3年後、同じ職場で働かれている方は、その中の何割だろう。
その変化というものを、現実にしてきた患者の立場としては、輝かしい言葉で励まされない・・・んだなぁ。

新人さんには夢や希望を持って、まっすぐ走ってほしいのだけどね。
それを願っているのも、また患者である私の思いなのだけど。
現実に、末永く、その仕事に携わる方は、淡々と黙々と進んできたって・・・感じが伝わる。

あたしは命の限り、たぶんずっと患者であるのだから、医療をサポートして下さる人との関わり方というものを、考えてみる毎日なのだけど。
人から逃げれても、自分からは逃げられないのが、厳しい問題。

結局は、悩みって、人との中ではなくて、自分の中で悩まされる問題が多いのかも・・・と思う日々。
我が家に来られる若い先生も。病棟で受け持ってくれたレジデントの先生も。学生さんも。
まだまだ、これからなのに。
希望と情熱を燃やして、患者と向き合おうとしている彼らに、現実を見せてしまうことが、本当にいいことなのか?と在宅での生活で、思ってしまう。

現実を見せる事も大切。理想の世界だけでは、人は生きては行けない。だけど、それは、これからの人生の中で、長いスパンで見ていくこと。
それを、学生のころから、インターンのころから、見せてしまう事が、果たして彼らのために、そして患者のためにもなるのだろうか。と言うこと。
でも、まだまだ若い彼らには、もっともっと、頑張って欲しい。若い意欲と、情熱を、燃やしてください。燃やしすぎて、消熱しちゃわないで下さいね・・・。

もし、こんな病気になってなかったら、生かされている事に気づかなかったかも知れない。
そんな事も、ふと最近、思います。
重度の障害を持って、一人では生きて行けないからだになった事は、自分自身に何かを感じさせるメッセージなのかもしれないし、そんなものあってもなくても、答えは見つからなくても、周りで支えて下さる家族や友達、先生や看護師さん、たくさんの方々に、毎日、暖かなものや、「ありがとう」の気持ちを、頂いている事。その事に、今、とってもうれしく思うのです。病気で生まれ、車椅子となり寝たきりとなるまでも、たくさんの辛い事・しんどい事がありました。
見えない障害に、なかなか理解されず、自分の中でたくさん抱え込んで仕舞込んでいたものも、ありました。

それこそ、「一人で、がんばってる。」「自分の力で乗り越える。」しか、なかった・・・辛かった・・・時期でした。
今から思えば、なかなか甘える事が出来ず、負けず嫌いな自分に、逃げる事も、立ちどまる事も出来なかった。
体を限界まで酷使して、頂いたプレゼントが、病気の進行・再発という大きなプレゼントでした。
それはないだろ!とか思いながら、今日まで歩いてきた道。再発を繰り返し、病気は進行し、社会へ出る自立は、はるか遠い場所へ・・・。

今は自分の体を生きるために管理するというのが、毎日の私のお仕事で、就労にもつけず、社会的に生産的な役割も出来てません。

だけど、いつか思うのです。
ほんとうにいつか・・・また、社会に出たいと。
そして今度こそは、無茶をせず、できることを、したいと・・・。
それが、難病という爆弾を抱えながら、私が生きながら、社会に少しだけ、貢献するということだと・・・。
【2007/06/23 16:25 】 | 日々の日常 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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