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彼との付き合い
そんないきさつから、彼と付き合い始めた訳ですが、私たちが付き合うには、幾つかのハードルがありました。
それは、越えても超えても、越えられないような、高い高い壁。
まるで、私とNが、これからの未来は、存在しないかのような、冷たい壁でもありました。


全てを受け止めてくれたN。
彼なら、全てを任せられる。と思いました。
今まで見せなかった弱さも、未熟さも、後ろ向いた気持ちも。
彼の前なら、自然と素直になれた。


しかし、仕事に私情は挟みませんでした。
あくまでも、仕事は仕事。
そう割り切らなければ、この世の中生きてはいけません。
職場には、私とNが仲がいいという、噂は立っていましたが、まさか付き合っているとは、思いもよらない事でした。
私もNも、仕事は仕事と割り切り、目で時々合図はするものの、仕事以外の事では、口をききませんでした。
彼には専門職としての、プライドがあります。
そして、私にも。
ボランティアとしての、プライドがありました。
プライドという名の意地が、そうさせただけの事かも知れません。


デートをする場は、たいてい決まっていました。
彼のアパートか、バイクで人込みを避け、夜景を見に連れてってくれたりしました。
人一倍、抵抗力がない私。
そんな私に、彼は、気遣い、そこまで・・・と思うような、温かい配慮と、優しさで、私を包んでくれました。
何も、必要なかった。
ただ、この幸せで居心地がいい、この時間が、長く続けばいいと、思った。


でも、それは、私の儚い夢であり、幻想であり、幻でもあったのです。
永遠なんて…続くはずがなかった。


病魔はふたりを引き裂く、人生において最大の苦痛を、私に与えようとしていたのです。


特別、喧嘩らしい喧嘩をした事もなく、私は幸せでした。彼の腕の中で、安心しきって眠った夜。
これ以上の、幸せは、ないと思った。
彼が傍にいる事。
それだけで、充分の幸せを感じる事が出来ました。

元彼を亡くし、初めて人を心から愛せた人でした。
心から、愛しいと思えた。
愛することを、再び教えてくれた大切な人です。


彼のぬくもりを、肌で感じ、今までにない力強く抱きしめてくれた、彼のぬくもりは、今でも覚えています。


病気の関係上から、外で会う事はあまりありませんでしたが、彼のアパートやドライブで、私の心は、十分満たされていました。
私が、海を見たい。といったとき。
彼は、十分な対策を練って、ご実家から車を借りてきてまで、私の願いを叶えようとしてくれました。
感染症にかかっては、大変だからと、自分の上着を着せてくれ、バイクで出かける時には、ヘルメットも、自分のよりはるか頑丈なものを、被せてくれました。


よく彼は、言いました。
『俺と会ってる時にお前になんかあったら、俺、お前の親御さんに申し訳つかん。』


彼の優しさを肌で感じ、そして、心で、感じたこと。
なんて、幸せだったのだろう。


地元をふたりで歩くとき、いつ利用者さんが見ているか分からないからと、手をつなぐことを、嫌がっていた彼でしたが、人波を避けると、手を繋いでくれる、優しい彼。
勤務時間もだいたい同じだったので、私は毎日、彼と待ち合わせをして、一緒に職場へ向かうことが多かった。ふたりで歩いた並木道。
昼休みもいつも、一緒だったね。


背丈もだいぶ違う、歳も10コ離れてる。
ふたりで並んで歩くと、明らかに彼が犯罪者に見えたことでしょう。
でも、そんなこと、どうでも良かった。

私が戦友を亡くし、悲しみにくれているとき、彼は、何も言わずにそっと、でも、力強く抱きしめてくれた。
何も聞かずに。
その、優しさがまた嬉しくて。
私は、温かい涙と冷たい涙を、知ったのです。
そんな、優しい彼に私は何か言おうと、嗚咽を挙げながら、口を開きかけようとすると、
『何も言うな!辛ければ泣いていい。』
と、言ってくれたN。


人の温かさを知りました。人のぬくもりを感じました。
愛される痛みを知りました。信じる強さを知りました。


お互い出勤時間も、帰宅時間も一緒だったので、仕事が終われば帰りに、夕食を食べて、家まで送ってくれる。という生活が長く続きました。
お互いの休みが取れれば、県外へもあそびに連れてってくれた。

彼はよく、待ち合わせ時間に遅刻してきました。
だから、私はいつも、彼から預かった合鍵で、彼のアパートへ行き、彼を起こすことも多かった。
子どもみたいな、彼のあどけない寝顔は、みているだけで、つい微笑んでしまうそんな、優しい笑顔でした。
モーニングコールも、いつもしていたっけ。


私は、親に隠し事はしない主義なので、彼と会ったときやその日の出来事を、母にありのまま伝えていました。母は、あえて聞きませんでしたが、私が勝手に喋っているという感じでした。
私とNが付き合っていることは、家族の誰もが知っていることで、特に母には、なんでも話しました。
けれども、父には怖くてそれ以上の事は言えません。


一度、デートで出かけているとき、父が付いてきていたことがありました。
前方から父がひょっこり現れた時は、さすがに焦って彼の手を引いて、隠れたこともあります。
何も疾しいことなどしていないし、隠れる必要もなかったと、後で彼と大笑いしたこともありました。


母にはありのままの出来事をいえましたが、やはり男親。彼の話を持ち出すと、たちまち不機嫌になって、手のつけようがないほど、やきもちを焼いて大変でした。
だから、彼と会う時は、ほとんど平日です。
日曜日にデートを入れようものなら、その日一日が、父のご機嫌をとるので、精いっぱいの日となることもありました。


よく、母が助け船を出してくれました。
父がトイレに入っている間、母が、『今のうちや!はよ行き!!』と身ぶり手ぶりで、表現して、家を出させてもらったことも何度もありました。
その後の母が、父のご機嫌をとるので精いっぱいだったことは、言うまでもありません。


仲が良かった私とNですが、一度だけ、本気で別れようと思ったことがあります。
それは、小さな小さな、すれ違いから生まれた葛藤でした。

彼は、私の体を気遣うあまり、そこには、思いやりという名の制限を加える事にもなったのです。

私がそこまで、しなくていい。と言っても、彼は、慎重にならざるを得なかったのかも知れません。
そこまで、私を愛してくれていたのです。
愛の重みを知りました。


このままでは、お互いがダメになってしまう。
私のせいで、彼の人生を縛りつけてしまうことは、許されない。
彼には、彼の人生がある。
そして、彼には未来がある。未来を、見据えて生きる事が出来る。
彼には、健康な女性と付き合って、結婚して、子どもを授かって、幸せになってほしい。
私と一緒にいては、彼の未来まで、暗闇の中に葬ってしまうことになる。
それだけは、絶対にダメ。
お互いが、嫌いになり、別れてしまう前に、好きなまま、素敵な思い出のまま、綺麗に幕を閉じたかったのです。


私から別れを切り出しました。
『このままだと、お互い嫌いになってしまうよ。もう、会わないって決めよう。』

私の一大決心にも関らず、彼は呑気にこう言いました。
「俺は別れんわ。お前を守るって決めたんや。そんな中途半端で、バイバイできるか。俺とお前との絆は、そんなものやったんか?簡単にバイバイできる程の、脆いもんやったんか?お前のせいで俺の人生縛られてるとは思ってないし、お前が例え俺を嫌いになったとしても、俺は絶対にお前を嫌いにはなられへん。だって、家族やろ?家族を嫌いになる人は少ないやろ?」


そのときの私たちは、恋愛感情というものとはどこか、違った愛を、築いていました。
それは、家族愛に近いものだったのかも知れません。

私は、彼の言葉を聞き、どれだけ自分が彼のことを、軽率に考えていたか、思い知らされました。

私たちの絆は、そんな簡単に揺るぎるものではない。
子どもの恋愛ごっこでは、ありません。
本気で愛した、本気で好きになった。


でも、いつしか、それは、家族愛という形の愛へと変化していっていました。
お互いがお互いの中に、住み始めていたのです。


N「俺の中で、お前は大切な存在や。でもな、俺はお前と並んで歩いてかれへん。俺はお前の前にいって、行くべき道を照らし出してやるか、一歩さがってお前の精神面の支えしかできへん。もし、お前に好きな奴が出来ても、俺は、お前から離れていけへん。好きになった奴に、兄貴分みたいなそんな存在がおることを、伝えておいてほしい。もし、俺に彼女が出来たとしても、彼女にもお前の事はすべて話すつもりやし、分かってくれるまで話し続けるから。」


そう、言ってくれた彼。
私は、そこまで愛される程の価値がある人間だろうか?
私は彼を精いっぱい、愛しました。好きになりました。
守りたい。と思った。愛しい。と思った。


でも、決して、ふたりは、一緒の道を歩む事は出来ないと、私は知っていた。
それは、憧れで終わってしまう愛。
でも、それでも、いい。
ただ、愛し愛される存在が出来たことは、私の人生にすばらしい価値を、見いだしてくれたものでした。


病気が悪化して、もう在宅サービスステーションMにはいけないと、言ったとき、彼は黙って力強く抱きしめてくれた。
私たちは口下手で、うまく感情を言葉に出来なかったけども、抱きしめ合うことで、なんでも伝わった。
それ以上の、言葉はないと思った。
言葉はいらない。ただ、ずっとずっと、抱きしめ合うふたりが、そこにいた。


私がディサービスを辞めて、その4カ月後。
彼は、隣接された特養に異動になりました。


特養に異動してから、夜勤もあり、休みも不定期になってしまい、なかなか会う時間はこれまでのように、取ることは出来ませんでしたが、彼は精いっぱいの愛を私に注いでくれていました。


彼からくるメールは、いつも心がこもっている言葉でした。私は、自分からメールをすることはあまりありません。メールは便利なツールだけに、相手の都合を考えない不便なものでもあります。
夜勤で疲れている彼を、起こしてしまうのでは?と考えると、安易にメールは出来ませんでした。
だから、彼からのメールを待つ事が多かった。
どんなに疲れていても、仕事が休みの時は必ずメールをくれたN。

彼が特養に移ってから、利用者さんの情報は、これまでのように滅多に入ってはきませんでしたが、彼が時々教えてくれる、利用者さんの話に、花が咲いたのでした。


利用者さんと組み、私をからかい、困らせていた彼。
その困った姿をみて、あどけない表情で笑う彼。
無邪気に利用者さんと笑い合う彼が、好きでした。

「お年寄りが好きなんだ」
と言ってくれた彼は、今年職業柄腰を痛め、長くこの職業に就けないとドクターに言われて、転職しまし
た。今は、PC関係の仕事をしています。


彼が、介護の現場を離れると決心するのには、どれだけの苦悩がつきまとったでしょう。
彼の心情を思うと、切なくなります。
そして、私自身がボランティアを辞めなければならない。とされた、あの頃の事を思い出しました。
私も、必死で悩んだ。そして考え抜いた末の厳しい選択でした。
彼も、迷っていました。
私は、静かに見守るしかなかった。
辛い時、言葉は無力です。私が辛い時、何も言わず静かに見守ってくれた、彼の優しさのように、私も静かに、彼を見守り支えようと、思った。


私が意識をなくし、危篤状態だった時、連絡を受けた彼は、夜勤中なのに、深夜の街を、バイクですっ飛ばして、駆け付けてくれた。
面会謝絶だったにも関らず、ドクターに無理を聴いてもらい、面会出来た時、意識を失いながらも、しっかりと彼の存在を傍に確認することが出来た。


『戻ってこい!帰ってくるって約束したやないか!一緒に帰ろ。』


と言ってくれたこと、聞こえていたよ。
でも、返事できずごめんね。声出せなかったよ。
だから、あたしは、涙を流したんだ。
あなたの声、聞こえているよ。という返事だったんだ。


ドクターが彼に言った言葉。

「覚悟はしておいて下さい。」


その言葉に対し、あなたは、

『覚悟は、彼女と出会ったときから出来ています。』


と言ってくれた、あなた。


私と出会った時から、あなたはいつかこうなる日を想定して、覚悟してきたんだよね。
覚悟がなければ、私と向き合えなかった。付き合って行くことなんて、出来なかった。
その切なさ、辛さ。
どんなに、大きなものをあなたに、背負わせていたのか、はじめて知ったんだ。


いつか、私はいなくなる。
あなたよりも、早く。


あなたは、いつも、優しかった。
そして、大人の愛を、私に注いでくれました。

いつか、言ってたね。
『お前の葬式の夢をみた。でも、お前は笑ってるんだよ。それで、俺に言うんだ。“しっかりして。あなたはあなたの道を、精いっぱい生きて。”って。夢ん中でも、お前は、自分の人生に責任を持つんだな。』



私たちは、恋人ではありません。友達でもありません。血が繋がった家族でも…ありません。
でも、家族以上の関係にたった、絆があります。
私たちは、一緒に同じ道を歩む事はありません。
彼に好きな人が出来たら、私は一歩退いて、見守ろうと思います。
そして、彼も、もし、私に好きな人が出来ても、関係を一切切ることはないでしょう。
切れるわけがない。
お互いの中に、住み始めてしまったのだから。


恋人でも、友達でも、家族でもない。
そんな、奇妙な関係のふたり。
でも、私たちは、確かに愛し合いました。
誓いました。
守りたいと。愛したいと。


例えその愛が、『永遠』では、ないにしても。


私たちは、それぞれの道を歩みだしました。
お互い、胸を張って歩いていけるような、人生を歩もうとしています。
誰にも恥じる事のない、たった一度きりの人生を。
この人生において、彼と出会えた事は、結果的に良かったというべきなのかも知れません。
でも、何度も、出会わなければ良かった。と思いました。そうすれば…悲しく辛い思いもせずに済んだ。


たった、一つ願いが叶うならば、
あの頃に戻して欲しい。とは思わない。
ただ、出会う前のふたりに戻して欲しい。と。
存在すら知らなかった、あの頃に。


好きになってごめんね。
愛してしまってごめんね。
傷つけてごめんね。
守らせてごめんね。


あなたに会えて、私は愛することの尊さを知りました。
あなたに会えて、私は愛する意味を知りました。
あなたに会えて、私は愛する強さを知りました。


いっそう、知らなかったら良かった。
お互いの存在を。
でも、あなたに出会えて、本当の愛を知ったんだ。
だから、もう、あの頃に戻りたいとは、言わないよ。

私たちは、それぞれの道を歩みだしたから。
私は私の道を、あなたはあなたの道を。
生きるんだ。


面会が許されない今。
大好きなあなたさえ、私は会えない。
そして、今の私には、例え面会の許可が降りたとしても、あなたに、会う資格はないと思ってる。


ごめんね、たくさん我がまま言って。
ごめんね、たくさん愛してしまって。
ごめんね、たくさん好きになってしまって。

ありがとね、愛してくれて。

あなたと出逢えた事、私の誇りです。
あなたと出逢えた奇跡。
あなたをこの世に生み出してくれた、あなたのご両親に感謝します。


あなたとの想い出を胸に、私は今日も、生き続けます。



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【2006/11/27 15:51 】 | 未分類 | コメント(6) | トラックバック(0) | page top↑
彼のこと
在宅サービスステーションMのディサービスで活動していた3年前の夏。
ボランティアをして、1年以上たったある夏の事でした。


朝の職員会議で、新しい男性職員が入ってきました。
いつものように、一通りの報告をし、活動場所の2階に行き、送迎車で来た利用者さんに温かいお茶を出しているとき。
新しく入った男性職員が声をかけてきました。


「はじめまして。U・Nです。よろしくお願いします。」


ポットから熱いお湯を、コップに移す手を止め、振り向きざま、


『あっ、はじめまして。ボランティアのRessarです。こちらこそよろしくお願いします。』


そう挨拶を交わしました。
これが、Nとの出会いでした。


その日の午後。
責任者の方に呼ばれ、スタッフルームに行くと、責任者の方とNがいました。


責任者「Uさんが現場に慣れるまで、Ressarさんが、利用者さんの事や現場の事を教えてくれませんか?」


突然の事で、何と返事をしたらよいのか、戸惑いました。まさか、そんな話だとは思っていなかったのです。私はただの、ボランティアです。ボランティアが、職員に指導する事にも、抵抗がありました。
それは、ボランティアがすべき事ではない。
私の直感がそう、告げていましたが、熱心に頼み込む責任者の方の姿をみて、一度だけ、やってみようと決心しました。
その決断が、その後の私の人生で、大きな存在になるとも知らずに。


それから、2週間の期限付きの私の指導期間が始まりました。
Nとはいつも一緒でした。受け持つ利用者さんは、Nと2人で受け持っていましたし、お昼休みも、一緒にお弁当を食べたりしました。
私は、早くNに現場の雰囲気を掴んで欲しい思いと、利用者さん一人一人の事を、把握してほしい思いで、口下手な私が、珍しくべらべらと喋っていました。
夢中だったのです。
この現場に入った以上、彼らと中途半端な関りを持ってほしくはなかった。
現場は、いのちを扱う仕事です。
彼らの事を、中途半端な想いのまま接して欲しくはなかった。


ただ、その思いだけが、私を前へと突き動かしていたのかも知れません。
私にとって、彼はあくまでも、仕事上のパートナーでした。あの時までは…。


2週間の指導期間は順調でした。
彼もだいぶ、慣れてきたようで、利用者さんとふざけ合う姿も見られました。
仲よくなりだすと、男性利用者さんと組み、私をネタにからかったり、ちょっかいを出したりして、私を困らせたものでした。
でも、そんな無邪気で、子どものように笑う彼が、私は好きでした。
恋愛感情ではなく、心の底から愛しいと思えた人でした。


2週間の指導期間が終わり、その3カ月後の11月。
木枯らしが吹き始め、風も冷たくなってきた季節。
ある日。
私の携帯に一通のメールが届きました。
お昼休みにメールをみると、その日は非番で休みだった、Nからでした。

“話したい事がある。公園で待ってる。”

というもので、私は活動が終わった6時に、Nが言っていた施設の近くにある公園に行きました。


そこには、ずっと待っていたと思える寒さに身を縮こませて、立っているNの姿があった。
私は、近くにあった自販機で、温かいコーヒーを買い、彼の元に駈け寄りました。


Ressar『ごめんね。待った?』
N「いや、そうでもないよ。こっちこそ、ごめんな。しんどいのに。」


最初は、他愛もない会話をしていて、過ごしていましたが、ふと、Nが真面目な顔になり、こう切り出しました。


N「なぁ、俺お前の事が好きやねん。お前は?」


突然聞かれ、私は答える事が出来なかった。
それまで、特別Nの事を、異性として捉えた事はありませんでした。
むしろ、好きという感情がどういうものだったのか、遠の昔に、あの出来事で、忘れてしまっていたのです。
忘れてしまった感情を、もう一度思い出す事は、安易な事ではありません。


私が、答えに詰まっていると、さらにNは、独り言のように、続けました。


N「俺には今彼女がおる。でも、お前と出会ってからお前の事が気になって、しゃぁないねん。病気の事とか、色々大変なんはスタッフから聞いた。それ聞いて、思ったんちゃうで。病気も含めたお前を、支えたいと思ったんや。ずっと一緒に仕事してきて、その思いはさらに強くなった。俺やったら…あかんか?」


真剣なまなざしで、私を見つめていたN。
私は、Nの気持ちに答える事が出来たのだろうか?
すぐに、出せる返事ではなかった。
私には、忘れられない過去がいくつもある。
そして、男性恐怖症でもあった。
どれくらい沈黙が、流れていただろう?
30分か1時間か。ほんの数分だったかも知れない。でも、何時間のようにも、思えた。
長い長い沈黙の末、私が口を開いた。


Ressar『私、元彼を亡くしてるの。だから、好きという感情がどういうものか、あれ以来忘れてしまった。元彼の事、忘れようと思っても、忘れる事出来ない。たぶん、私が生きてる限り…忘れる事はないと思う。病気の事も、そうだし、私には色々しんどい過去があった。もう、誰も傷つけたくないの。傷つきたくないの。』


そこまで、切羽詰まって言い切ると、彼は静かに話しました。


N「辛かったんやな。ごめんな。辛いのに思い出させてしまって。でも、元彼の事は忘れる必要あれへん。簡単に忘れられるもんじゃない。それに、そういう痛みは忘れたらあかんと思う。覚えていて挙げる事が、その人に出来る、お前の精いっぱいの愛情や。過去の事は無理に聞けへん。お前が話せるようになったら、話したらえぇし、俺はそこまで干渉できる立場じゃないしな。俺は、お前を守りたいんや。歳はえらいちゃうけど、俺は、お前を守るから。支えになりたい。」


彼の言葉に、思わず涙を流してしまった。
こぼれ落ちる涙。
一筋の涙が、頬を伝る。
それは、温かい涙だった。


すぐには答えを出せず、時間をもらった。

翌日私とNは何事もなかったかのように、職場に向かいました。
そして、施設で顔を合わせても、目で合図するだけで、いつもと同じ。
彼は私をネタに、今日また利用者さんとふざけ合います。


決して私情を仕事に持ち越さない。
それが、社会でのルールです。


あの告白から3日後。
今度は私が、あの公園に、彼を呼び出しました。
ずるずると引きずりたくはない。
早めに活動が終わった私が、今度はNが来るのを待ちました。
10分遅れで来た彼は、バイクで、すっ飛んで来たようでした。


私はちゃんと、これまでの事を話した上で、彼の反応をうかがう事にしました。
過去を話す事は、とても勇気がいったけれど、あの日、彼が言ってくれた言葉が、真実だとしたら、私は彼なら、信じる事が出来ると、思ったのです。


Ressar『考えたんだけどね…。私の病気、そんな簡単なものじゃないの。いつ意識を失ってもおかしくない。いつ心臓が止まっても不思議じゃない。そんな体だとは思わなかったでしょ?たいてい引くんだよね。病気の事、話すと。あたしの病気は日本でも初めてだって言われてるし、世界でもとっても珍しいらしい。いつ何が起きてもおかしくないの。いずれ動けなくなると言われてる。長くは生きられないとも言われてる。それでも…いいの?あなたの人生を縛りつけてしまうかも知れないよ。あなたの人生を後悔させてしまうかも知れないよ。』


Nは黙って、私の話が終わるのを、静かに聞いてくれました。


N「俺は、病気のお前が好きになったんちゃう!お前自身を好きになったんや。たまたま好きになったお前に病気があっただけの事。それ以上もそれ以下もあれへん。病気の辛さは理解できんかも知れんけど、お前が弱ったとき、俺はそばでお前を支えたい。支えるなんて、そんな偉そうな事言えんかも知れんけど、精神面で支えになりたいんや。愛したんは、病気のお前じゃない。お前の生き方が好きやねん。」


そこまで言ってくれる彼を、どうしても受け入れられなかった私。
実は、彼を受け入れる事を拒んでいる理由に、もう一つ、訳がありました。


それを、ここへ書くのはあまりにも、辛い過去です。
決して人に知られたくない、そしてこれまでにも、ごくごく親しい人にしか、この事は話していません。
でも、書きます。
真実を偽る事なく、ここに、ありのままを、綴る事を約束します。


私が小学4年生の頃。
寒い寒い風が吹きつける、身をも引き裂かれるような寒さが厳しかった2月の事でした。


数少ない級友と近くの銭湯に行った帰り道。
私は祖母の団地の前の階段で、級友と別れました。
階段をあがっていると、後ろから突然声をかけられ、振り返ると、見知らぬ男性がいました。
彼は私にこう言いました。


「今の子と友達?」


私が頷くと、


「ちょっと、あの子のお兄さんの事で、話したい事あるから、一緒に来てくれへん?」

『あの子のお兄さん、だいぶ前に自殺していないよ。』


そう、友達のお兄さんは、中学の時いじめを苦に自殺したのです。
その事を知っていた私は、迷わずそう言いましたが、


「うん、でも話したい事あるから、来て」


そう言った彼は、突然私の手を引っ張り、人気のない路地まで連れていかれました。
その彼の表情はまともでは、ありませんでした。
鋭い眼つき。逆らったら隠し持っているナイフででも、刺されるかも、そんな思いすら脳裏をかすめた。

殺される。と思った。
私は言われる通りに、動く事しか出来なかった。
あと数段、階段をあがれば、祖母の玄関にたどり着けるのに。
あのドアを開けば、みんながいるのに。
あとちょっとなのに…。


まだ10歳だった、私の体は震えていました。
そして、レイプされたのです。
声も出せなかった。動く事も怖くて、出来なかった。
ただ、これが、悪夢であってほしいと思うだけでした。


気が済んだのか、男の人は、私を返してくれました。
ただ、また明日、ここに来るように言われて。


ひとりで帰路についたとき、祖父やら近所の方までが、私の名前を呼び、探し回っていたのです。
祖父が私を見つけ、
「Ressar、おったぞ!」
と、祖父の声を聞いたとき。はじめて、涙を流しました。そして、その場で動けなくなってしまったのです。
すぐに、母親が駆け付け、抱き上げられ、私は祖母の家へと入りました。


あまりの恐怖で、何も話せなかった。
ただ、出てくるのは、涙とオエツだけ。
温かいお茶を入れて、落ち着くまで何があるか聞かなかった母。
そんな母の姿が、一番安心できた。
帰ってこれた。それだけで、安心できたものでした。


落ち着いたところで、今あった事をすべて話した。
もちろん、警察にも届けました。

翌日、私は治療日で、行かなければならず、あの男の人の約束は守れなかった。
母に言うと、そんな約束は守らなくてもいい、といった。でも、悲劇はこれだけでは、終わらなかった。


病院から戻った夕方。
約束の時間に現れなかったので、今度は堂々と昨日の奴が、祖母のうちまで尋ねてきました。
祖母と母が警戒し、私を家の奥へとやった。
そして玄関先から聞こえてくる、会話。


祖母「何しに来たんや?あんた誰や?」

男の人『妹がRessarちゃんと遊びたいっていって、迎えにきた。僕は妹の、兄です。』


と、見え見えの嘘を並べたてる男。


祖母「あんたがやった事、警察にも届けたんや。帰れ!」


祖母のあまりの迫力に、おののいたのか、男の人は、去っていきました。


被害者宅まで来るとは、まともじゃない。
私が、何も喋らないと思ったのだろうか?
あんな、見え見えな嘘を言えただろうか?


翌日、私は母に連れられ、警察にいました。
母の誕生日の日だった。

婦警さんがそばにいましたが、行為の詳細について、あれこれ聞かれたのは、とてもいやでした。
思い出したくない。話したくない。
でも、私が黙っていては、事件は解決しません。
嫌だったけれど、我慢して、あった事の事実を話した。

犯人は、高校生だと分かりました。
母の証言で。
あれから7年たった今でも、あの時期になると、フラッシュバックのように、甦ってきます。
犯人は、いまだ捕まっていません。


私はそれから、男の人をひどく拒むようになりました。
体が拒絶反応を起こしてしまう。
主治医の診察の際でも、筋肉がこわばっていくのが、分かります。
聴診も視診も触診も、男性医師には、怖くて近づけなかった。
女医さんに主治医になってもらった事もあります。
けれど、私の病気は難しいので、ある程度の経験と権力を持った医師が主治医になる事に決まっていました。その頃はまだ、女医の数も少なく、仕方なしに、恐怖感をぬぐえないまま、付き合っていました。


そして、元彼と出会い、理解ある主治医とめぐり合えた事で、徐々に男性恐怖症はなくなり、今でもまだ、男の人は怖いけど、でも、前よりは格段に普通に話も出来るようになりました。



そんな過去のトラウマを、Nにも話した。
すると、突然、彼が抱きしめたのです。力強く。
息苦しさを覚えるほどの強さでした。
でも、そこには、確かなぬくもりがあった。


N「辛かったな。ごめんな。そんな辛い事、話させてしまって。しんどかったやろ。怖かったやろ。もう絶対そんな思いさせんから!俺、お前を守るから。もう、何も言わんでいい。何も言うな!」


彼の言葉を聞き、私は全身の力が抜けたように、彼に全てを任せました。
彼なら…信じれる。
私の直感は、そう告げていた。
そして、その直感は、決して間違ってはいなかった。
と確信する事になります。


そうして、私はNと付き合い出したのです。
これが、そもそもの、始まりでした。


【2006/11/25 14:48 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
はじめまして。
はじめて書いてみた、Blog☆
はじめまして、の皆様。
こんにちは、の皆様。
レッサーです☆って、ここだけの秘密のHNだったりして。

このBlogは、私の昔の入院中の出来事や、日常の中で、想った事などを自由気ままに綴っていくBlogです。
感傷や同情は…やめてね。

日本で初めての症例。
『先天性多機能低下不全症候群』という稀少難病。これが、私のすべてを奪ってきた病気。私から夢を奪い、歩く事を奪い、立つ事を奪い、動く事を奪い、そして。自由を奪ってきた憎っくき病気。
でも。同時に。得たものもあるのも事実。
学校にはいけなかったけど、友達はたくさん出来た。
走る事は出来なかったけど、心の両足で、歩いていく事は出来た。
病気は。私から奪ったものが多かったけど、得たものも多かった。
動けなくなった今。車椅子になった今。寝たきりになった今。私に残されたのは、書くという事。動かない右手。動かない両足。残された左手も。いつ再発してまた、動かなくなるかという不安がつきまとい、書く事が出来なくなったら。私の居場所がなくなってしまうようで。
私自身を表現する場がなくなってしまうようで。
自分の感情と、自分の心と向き合うために、私には、書く事が必要だった。
誰かに向けた言葉でも、誰かに宛てた文でもない。
ただ。私が生きていく過程で。私自身が。成長する場として、書く事が必要だった。

原因不明で。治療法もなくて。胎児期に死亡すると言われていた私。例え生を受けても、長くは生きられないと。1週間、1カ月、1年持たない。と言われてきた。そんな私が。
もうすぐ17年の誕生日を迎えようとしています。

奇跡なんて言葉。
安易に使いたくはないけれど。
現に今。生きている事事態が、『軌跡』であって。
生まれた事に、感謝しなきゃいけない。
病気になって、良かったとは絶対に思えないけれど。
病気だったから、出会えた人たち。たくさんいる。
病気だったから、学んだ事。知った事。それは。すべて。
私の人生の財産となった。

動けなくても。寝返りも打てなくても。毎日を生きていられる、きょうに。今というこの瞬間を、大事に。私は、私に、出来る事を。精いっぱいの力でやり遂げたい。悔いのないような生きた方を。

何があっても、おかしくない体。いつ何があるか、分からないからだ。
今は、こうして日記を書いていられても。あと、10分後、意識を失うかも知れない。心臓が止まるかも知れない。
そんな病気。と闘って。

私が今日まで、生きてこれたのは。両親の強い愛情と。
仲間の存在と。情熱とやさしさで幾度も助けてくれた医療スタッフの存在。

ひとりでは、生きていけなかった。
ひとりでは、立ち直れなかった。
ひとりでは、向き合えなかった。

神様。
願いを一つだけ。叶えて下さるのなら。
どうか。
歩きたいなんて、言いません。
健康になりたいなんて、言いません。
ただ、私に、時間をください。
『生きる時間』を、ください。

信じてる。
明日がある限り、生きていけると。

生きる事は、辛くてしんどくて。残酷な事だけど。
それもまた。生きているからこと、感じられる痛みであって。
生きてるって、とても幸せな事なんだよって。
生まれてきた事って、それだけで、とても『幸せ』で感謝しなきゃいけない事なんだよって。
知ったから。

私は、いのちがある限り。
生きていたい。生きたい。
そう思うと同時に。
『一人では何にも出来なくて。人の手を借りなければ寝返りも打てない私は。生きる価値なんてあるのか』とも思うけど。
それでも、やっぱり。
生きてるって、いいな。って思うから。

こんな、私は、生きてていいですか?
こんな、弱い私は、存在してていいですか?



親HPもあります。
いのちの再生
(http://hp12.0zero.jp/192/liveharu/)
良ければあそびに、来てね☆
【2006/11/01 00:55 】 | 未分類 | コメント(33) | トラックバック(0) | page top↑
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