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最後の記事・・・ありがとう。
最後の記事・・・

いつも愛読して頂き、ありがとうございます。

今日は皆様に残念なお知らせがあります。
今日を持って、「いのちの再生」本家HP及び等Blog他一時閉鎖することにしました。

本家サイトを立ち上げて、約2年。その間、実にたくさんの方々の訪問があり、私自身闘病中の励みになりました。多くの方々と出会い、触れ合い、学び、教えられ、勇気づけられ、げんきをもらい・・・。。。
ここには書ききれないくらいの大きなものを得ることができました。
最初は、長年書き続けてきた手書きの日記が書けなくなり、その延長線上のつもりで、立ち上げたサイトでした。

日本では初めての症例、お医者さんの多くはこの病の存在も知らない、そんな孤独な病と闘い続け、胎児期に亡くなるであろうといわれていたものが、生を受け、17年も生きてこれたのは、ほんとうに奇跡だと言わざるを得ません。そんな孤独な病の存在を知ってほしい、ひとりでも多くの人に・・・という啓発的な目的は、一切、ありませんでした。

私は生まれながらに骨髄不全で、自らの骨髄では血液を造血することができないため、生まれる前から輸血が必要でした。人の善意の血液をもらわなければ、生きてはいけなかったのです。そんな自分に、失望し、情けなく、つらく、悲しく、みじめで、嫌いでした。
2歳のときに、タイムリミットギリギリで骨髄移植をしましたが、残念ながら生着せず、失敗に終わり、その後も無菌室への入退院は繰り返されました。
だからこそ、いのちの大切さを世に訴えたいわけでも、骨髄バンクに登録してくださいと言いたいわけでも、献血をお願いします。と言いたいわけでも、ありませんでした。むろん、同情を集めるために、サイトを立ち上げたわけでは、決してありません。
ただ、私のいのちが尽きるときまで、「書く」というその機能が目的が方法が、残されている限り、私は恩師から教えられたことと、自らの持ち合わせた天性を生かしながら、書きつづりたいとおもったのです。
私の生い立ちを。そして、想いを。

最初、ここを教えた知り合いは、私の大切な人たちだけでした。ごくごく僅かでいい。
全ての人に好かれることは、不可能なのと同じように、すべての人に支持される、言葉だってありません。
言葉の重みを知り、言葉の怖さを知り、言葉の素晴らしさを知り、言葉の意味を知ってから。
私は書くことが怖くて、たまりませんでした。
書くことで、私の心の内面を覗かれているような、そんな恐怖もありました。そして、不特定多数がみているネットへ公開することも、ためらいがある毎日でした。でも、「書く」ことは、私の「人生」だったのです。
立ち上げた当初から、私の病気は更に進行し、一人では立つことも歩くこともできなくなりました。声を思うように出すこともできなくなりました。

何度も意識を失います。何度も心臓が停止します。何度も・・・痛みが襲います。
それでも、私は体の、心の痛みに、強く耐えようと決めたのです。生きるためには、強くなるしかなかった。

しかし、もう、どうやら限界のようです。
右目は完全失明、左目の視力もほとんどないまま、拡大鏡をとりつけ、何とか今日まで、痛みと闘い、日々の病気の進行と迫り来る死の現実と向き合いながら、死のそのときまで、ここで私の日々を書きしるしたい。そう強く願い、続けてまいりましたが、キーボードを打つだけで、精いっぱい。
周りのことも考えられません。そんなままで果たしてここを続けてよいものだろうか?管理人として、一方通行のサイトになっていないだろうか?体調不良でレスできないまま両掲示板も閉鎖し、コメントにもレスできず・・・そんなふがいない自分が、ものすごく、いやでした。

今年に入ってから、ずっとHP閉鎖について、考えてきました。それでも踏み切れなかったわけ・・・。
やっぱり、書きたい。それが批判をいただくような内容であっても、それが真実である限り、書き続けたい。
そして、生きたい。生きていたい。
明日誰かと話がしたい。明日笑いたい。
そう思って、閉鎖も先へ先へと延ばしてしまいました。管理人の優柔不断さで、皆様には大変ご迷惑もご心配もたくさんたくさん、おかけしました。

でも・・・どうやら、私の命の電池はきれかかっているようです。点滅しはじめては、また持ち直し、その繰り返しで、昨年は、もって3カ月でしょう・・・と余命宣告を受けた身です。それでもあきらめきれず、せめて後2年・・・いえ、ぜいたくは言いません。後、1年は生かせてほしい・・・と主治医に無理を言い、ターミナル期にも関わらず、厳しい治療を併用していただいていました。もう治療がないのはわかっています。
よくならないのもしかと受け止めています。

そして・・・死が近づくのも、そんな遠い将来でないことも・・・知っています。
だけど・・・せめて。最愛の弟が小学校を卒業するまで、それまでは、生きていたいと思ったのです。
彼が中学生になれば、今よりもっと、いろんなことを見つめられるようになるでしょう。
そして、時間はかかるでしょうが、姉の死を受け入れることができるはずです。そして・・・両親を支えてくれるでしょう。弟には、話しておかなければならないことがまだあるのです。

父のこと、母のこと・・・そして、祖父母のこと。
それは、彼に「託す」ことではなく、「語る」ことなのです。
あなたの父は、とても立派で、最後まで人を信じ続けたのだよと・・・。
あなたの母は、とても繊細で、無償の愛で子どもを育てていたんだよと・・・。
あなたのおばあちゃんは、あなたを小学生に入るまで、育ててくれたんだよと・・・。
あなたのおじいちゃんは、無口だけど、とても心配し、可愛がってくれ、自らの戦争体験を決して多くを語ろうとはしないけれど、自らの生き様で私たちに教えてくれていたんだよと・・・。
おばちゃんは、いろいろ問題起こしたけど、それでもすべてが不幸だったわけではなく、やさしさも持ち合わせて、ただ不器用だから、いろんな人を不幸に、そして自分自身をも不幸にしてしまったんだよと・・・。

もっともっと、話しておきたいことが・・・ここにあるのです。
せめて・・・後、1年。私に時間をくださいと。
何度神に仏に、先祖に。祈ったことでしょう。
その願いは、通じませんでした。
あきらめたわけではありません。投げやりになってるわけでもありません。怖いくらいに、冷静に物事を見つめている自分が、ここにいます。
人間は、無力です。病気は医学のそして人間の、限界を教えてくれました。
病気になんてなりたくなかった。病気なんて、くそくらえだけど・・・。仕方ないっていう思いもあるのです。
病気で、たくさんのことを学びました。たくさんの人と出会いました。たくさんのことを知りました。たくさんのやさしさを知りました。たくさんの悔しさに出会いました。たくさんの涙を流しました。たくさんの痛みを知りました・・・。
しかし、そのことを不幸だと感じたことは一度もありません。ただ、悔しいのです。

病気で、たくさんのものを失いました。夢を失いました。食べることを失いました。歩くことを失いました。声を出すことを失いました。光を感じることを失いました。音を感じることを失いました。体の機能を失いました・・・。
得たものがある一方で、たくさんの涙を流したのです。得た財宝は、その代償であるという思いです。

父が言いました。
「娘のためなら、すべてを捨てる覚悟はできています。」と。
どんな想いで、この言葉を、主治医に投げかけたのでしょうか・・・。どんな想いで、娘の余命宣告を聞いたのでしょうか。どんな想いで、私をおぶってくれたのでしょうか。

母が言いました。
「はるかを守る。」
不器用で、泣き虫で、繊細で・・・。
そんな母が、どんな想いで、私をここまで育ててくれたのか。どんな想いで、私を生んでくれたのでしょう。どんな想いで、様々なことから、私をいのちがけで守ってくれたのでしょう。

祖母に助けられたこともあります。無口な祖父は、戦争の怖さを、そして人々の弱さと強さを、その生きた人生から、教えてくれました。

たくさんの涙を流し、冷たい涙だけではなく、温かい涙も知りました。
車椅子であっても、あそびに連れて行ってくれたボランティア仲間。寝たきりになっても、今まで通り付き合ってくれた病気仲間。語りかけてくれた人々。
疲れたとき、そっと見守り、距離を置いてくれた人。
生きてていいって言ってくれた人がいた。生きなきゃだめと言ってくれた人がいた。
自己中心になったとき、私は今でも死にたくなります。いのちの尊さを大事さを大切さを訴えている私にも、「死にたい」という願望はあるのです。
病気を抱えた身にとって、自分で何もできないということは、生きるうえではとても辛いことです。
トイレも一人でできない。寝返りも打てない。食事もできない。
綺麗事だけじゃ、生きていけない。どこかで折り合いをつけ、あきらめ、妥協し・・・そうしなければ、生きていくことはできません。

どんな状況でも、生きたいと、生きていたいと・・・その状況を受け入れ、前向きに歩もうとしたとたんに、また奈落の底へ突き落とされる。その繰り返しです。

今回の脳腫瘍の進行・・・OPもできず、放射線も限界であることを知り、もういい加減、治療に頼るのはやめにしよう。という医師の言葉に、どんだけ涙を流したか・・・。
生かせてほしいと。医師は言いました。

「子どもって両極端ですよ。生きる力も持っているけど、それがふと、尽きたとき、簡単に死んでしまう生き物ですから・・・」
私は今、どちらでしょうか。どんなに厳しい状態であっても、これまで、どんなに覚悟をしてくださいと言われても。何度も心停止しても。。
私は脅威の力で、生き抜いてきました。生きて生きて生きて・・・生き続けてきました。奇跡の17年を生きてこれたのです。だから、今回だってまだ・・・だいじょうぶ。また乗り越えられるよ。そう思うこともないではありません。でも、わかっているのです。
いつ、そのときが来ても、おかしくはないと。いつ、何があっても、不思議はないと。
だから、私はこれまで、明日のことを見つめるより、今あるこの瞬間を大事にしたいと、生きてきました。
それは決して、人さまに自慢できる生き方ではありません。悲観的で、それでも私なりに、今日を、今を、この時間を、生きたいと。懸命に考え、生きたのです。

言いかえれば、そのような生き方は、「今を大事にする命が輝く生き方」であるかもしれません。
でも、ほんとうに、私には、そして私たち家族には、この時間の「今」しか見えないのです。明日のことはおろか、1時間後のことも、わからないのです。
そんな日々を過ごしてきた者にとって、命の輝きと言われても、私のいのちは輝いているのかどうかもわかりません。
ただ、生きたい、生きていたい、生き続けたい。
そして、再び、夢を追いかけたい。
その想いは、本物でした。目指していたものも、本物でした。

学校にも満足にいけませんでしたが、ボランティア時代に出会った大切な人たち・・・愛する人に出会い、恋という形すら知らず、結婚という形も描けず、でも、私は幸せでした。
恋も知らず、死んでゆくよりは、心の底から愛しいと思える人と出会えたのですから。
たとえ同じ道を歩むことはできなかったとしても、私は彼を尊敬し、愛し、彼の存在を確かめることができただけで、幸せでした。

いっぱい泣いた。いっぱい笑った。いっぱい怒った。いっぱい悔しんだ。

どこの家庭にでもあるように、我が家にも笑いあり涙ありのふつうの感情があります。

今日までここを続けられたことを、幸せに思い、そして、ここまで生きてこれたことを誇りに思っています。
病気であったことは確かに不運なことでした。
しかし、決して不幸ではありませんでした。
私は生まれたときから、生まれる前から病気であったけど、難しい病気だったけど、この世に生を受けたことを、誇りに思っています。そして、この両親の元に生まれてきたことを、何よりもの誇りです。

もしも、生まれ変わることができたなら。私はやっぱり、父と母の子として、生まれきたい。そして、出会った人たちや大切なことはそのままに、第二の人生は病気が治ればいい・・・そう、思っています。

私はこれから、もう治療をやめることになるのかもしれません。それはすなわち「死」を意味します。
でも、もう治療をしても、意味はないのですね。
小さいときから、生まれたときから診て来てくれた主治医や教授に話を聞き、また話を聞いてもらい、一番何がよいのか。
不確かな10年20年先を見通した治療をするよりも今を大切にしたいのちのQOL重視の本来の、ターミナル医療を継続し、在宅で維持できるものであれば、その方があなたのためになるのではないか。
17年も飽きず懲りず見捨てず診てきてくださった教授の先生や主治医の先生方が下された結論に、異議はありません。それが、よいことなのでしょう。
信頼している医師団であるから、彼らの判断に間違いがあるはずない。と、言い切ってみるも。やはり、どこかあきらめられない想いも抱いているのが現実なのです。

在宅に戻り、ターミナル医療を重視するのか、意味もない自己満足に過ぎない厳しい治療を受けるのか。
私にもう、治療を受ける力も体力もそれに耐える気力もありません。

ここまでしていただいた医師団の方々には本当に感謝しています。報酬ももらえなのに、診療が終われば、毎日雨の日も風の日も、それこそ台風のときでも、往診に来てくださった主治医の先生。
「何か困ったことがあったら、夜中でもいつでもお電話ください。駆け付けるのにどんなに飛ばしても1時間はかかりますが、必ず伺いますから。微力ですが協力させてください。」とおっしゃってくださった在宅医の先生。わざわざ隣の隣の隣の街から、来てくださって。高速を使っても、40分はかかるのに。

私は、本当に幸せです。
たくさんの温かい方に出会い、たくさんのやさしさに触れ合い・・・。たくさんの温かい涙を知りました。
人の汚れた心もみてきたけれど。人のやさしさに出会うと、この世もまんざら捨てたものでもない、と思うのです。

最後に・・・
毎日、100人来てくださっていた方が、今では250人前後、多いときで400人を超しました。
こんな、わがままで、身勝手で、愚痴の多い、一難病児にこれまでお付き合いくださり、本当にありがとうございました。
17歳の子娘に付き合っていただいたことを、感謝し、厚くお礼申し上げます。
そして、ここ(本家HP及びブログ等)をこのような形で閉鎖してしまうのは、どこか寂しくもあり、情けない限りです。もっと続けられたのでは・・・。そう思っていることも、私の今のこころです。
でも、限界はわかっています。ここまで書くのに、何日もかかりました。

「このサイトが大好きです。」
「これからも書き続けてくださいね。」
「あなたの文字が大好きです。」
「夢をあきらめかけていたけれど、あなたの生き方で、もう一度夢を追い続けようと思いました」
「ありがとう」・・・・・

たくさんの温かいメッセージをいただきました。
こちらこそ、ありがとうございました。
ここは、決して、勇気や希望や元気を与えるサイトではありませんでした。皆様に心配ばかりかけ、不安にさせ、迷惑をかけ・・・本当に、管理人として恥ずかしい限りです。
実は私が一番、このサイトに助けられていたのです。しんどいとき、ちょっとここに来て、文字を残すことで、げんきをもらえました。
皆様の温かいコメントで、笑顔になれました。

本当に、2年間、お付き合いくださり、励ましてくださり、見守ってくださり、本当に本当に、ありがとうございました。

一昔前と比べ、情報開示の時代になり、ネットを一つあければ、たくさんの情報が飛び交わっています。
悪い情報も良い情報も、自分の中に取り入れ消化し・・・そして、人は豊かな人格を形成していくのです。
私が生まれた17年前は、まだそれほど胎児医療というものも、駆けだしたひよこの学問でした。
それが、この10年の間で、医療はますます発展し続けています。
昔は、不治の病といわれていた病気が、時代が進むにつれ、原因が解明され、研究機関が増え、治療方法も確立できる時代となりました。

小児がんの子どもも、今では7割の子どもは、治癒を迎え、げんきに、社会に出ています。それに伴い、晩期障害(治療の後遺症)などの問題も多様化してきたのも事実です。
しかし、言い換えれば、約3割の子は、今も尚、駆け足でこの世を去っています。
それは、悲しい現実なのです。
治るといっても、そのためには壮絶な闘いをし、そして治療の甲斐もなく、再発を繰り返し、残念ながら亡くなってしまう子もいます。
そのたびに、多くの無念と自分の非力と・・・小児がんがまだまだ、小さな生命を脅かす恐ろしい病に変わりがないと、肝に銘じます。
そして、どんなに医学が進歩し、日本は一部の先進国に比べて、ある一部の分野では、勝っていても、見えない部分で、日本独自の偏見や日本の医療の貧しさを感じずにはいられません。

今、この情報過多の時代で、ネットを開けば、多くの情報を開示し、求めることができます。
そして、多くの人が、情報を世間に発信しています。
たとえば、小児がんの闘病記、我が子の闘病を親御さんが綴ったHPやブログも多く拝見させて頂きました。
それで、多くの人が救われたこともあるでしょう。
現に私も、たくさんのHPと出会い、たくさんの子どもと出会い、たくさんの親御さんと出会い・・・。多くのことを学ばせて頂き、多くのことを知り、多くのものを得ました。
そして、私も情報を発信し続けてきた者のひとりです。が、これだけは、覚えていてほしいのです。
HPで紹介や情報を開示している人は、ほんの一部しかいないということを・・・。
今、この瞬間にも、病院で我が子の闘病と向き合いながら、PCさえ触れられず、情報を求める余裕もなく、まさに絶望の淵にいる親子がたくさんいるということを。

我が子の闘病を記録として、HP上に載せられている人のほかに、たくさんの葛藤と涙を抱え、今日もいのちと向き合っている人々がいるということを。
それは、テレビの世界でも映画の世界でもなく・・・ただ、私たちが知らないだけなのです。
その世界を、見ようとしないからなのです。
身近に感じられないからなのです。

ほんとは、今でも多くの小児病院・小児病棟では、今日もまた壮絶ないのちの闘いが、親と子の、そして医療者との物語が、築かれているのです。
ただ、一般の私たちには、それをそばから傍観することもできず・・・TVで見る世界でしか感じられないのです。
だから・・・HPに紹介できない、自分の我が子の闘病を、記録としてまとめられない親がたくさんいるのです。
その方々の方が、HPを開いている人よりも、たくさんいるということを・・・どうぞ、ご理解ください。


尚、しばらくはこのブログも本家HPも、残しておこうと思います。いつか、また、過去のわたしにも会いにいってやってください。あんなときもあったなぁ~と思い返していただければ、私はそのとき、あなたの心に記憶に、生き続けることになります。

また、いつの日か、どこかでお会いできることを夢みています。そして、いつの日か、サイトもこのブログもまた運営できたらいいなと・・・。戻ってこれる日を夢見ています。そして、まだまだ、生きています、と同時報告できることも・・・夢見ています。
後、諸々のブログも同じ理由で、一時閉鎖します。
しかし、書きためていた文章をこれ最後の力で、UPしますので、お時間があり、ご興味がおありでしたら、見てくだされば管理人として、幸いです。


皆様のご健康とこれからのご活躍を心より祈って・・・
最後の記事とさせていただきます。


長い間、読んでくださり、本当にありがとうございました。

2007年6月23日 いのちの再生管理人 Ressarことはるか


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【2007/06/23 18:01 】 | 想うこと | コメント(22) | トラックバック(0) | page top↑
障害と折り合い。
今日は告白してしまいました・・・。
あー、恋ではないです。残念ながら・笑。

今まで、気持ちに秘めていたことです。
ずっと、言えなくて、自分の考えが間違っているのか?合ってるのか?わかんなくて。
そんな答えなんて、ないんですけどね・・・。

自分の答えで、誰かを傷つけるのが、怖かった。
たとえ、あたしは傷ついたとしても・・。まぁよいのです。
誰も傷つく事はない事、分かったから。
何か、自分を過小評価しすぎるのもダメだけど、過大評価しすぎるのも・・・どうなんでしょう。

ケアに入られてる方に、「してやってるんだよ。」
みたいな言い方されると、・・・・。となります。
何かあぁいう自分はどんなにえらい存在なんだい。というのは、嫌ですね・・・。人間の汚い部分みるみたいで。あたしはしてもらう事が多いので、小さい存在だなぁと自覚できるので、まだ幸運かなぁと思いました。

自分を自分で過大評価していると、いつか、落とされる時が来るような気がして・・・。その時のショックって大きいだろうし、たぶん落とされた時も、プライドが邪魔してしまうと思う。
困った時に、人の助けに甘えられる人が、ほんとの人のためになることを知ってるんじゃないかな・・・?
と思ったりする。・・・わかんないけど・・・。


今日はリハビリを休んだ。異様に右足が痛い。注射打ってもらうけど、効かない。。血液担当医から、「無理しないように。」といわれたので、この状況でリハやっても、周りに迷惑かけるだけだし、先生の言葉に素直に従う事にした。でも・・・リハビリを休んでしまった事に・・・自己嫌悪。。

午前中に透析専門ナースの訪問。午後には一般ケアの看護師さんの訪問があった。透析専門の訪問が、なぜか午後からとなっていたみたいで、「今日は午後からと聞いた。」と連絡が入り、びっくり・・。「いや、午前中に・・・」とお願いすると、「ごめんなさい。1件回ってから、うかがいます。」と。。前回に確認を怠ったあたしの責任であり、看護師さんは忙しい思いさせてしまったかもしれない・・・ごめんなさい。

毎度の事だから、言わなくても分かってくれるだろう。というのは、在宅ではなしだと思ってる。
私の常識は、相手からみれば非常識にもなるわけです。利用者さんはあたし一人じゃないんだし。
あたしは、自分のサービスを受ける立場なのだから、しっかりしないとぉ・・・って反省。。
だけど、あたしも自分の事とは言え、完ぺきには出来ない。

夕方、バルンが詰まり、お腹が張る。血液担当医の訪問時間と重なり、診てもらう。「今すぐ、バルン交換が必要。場合によっては膀胱洗浄。」といわれるが、2時間ほどして、流れもよくなったので、このまま。

何だか、いつも監視されてる日常には疲れた。もうだいぶ、ひとりのじかん。持ててない。たとえば、健康で働いていたとしても、世の中いろんな人がいる。自分と意見や考えが合う人と付き合っていられないわけです。だからと言って、働いていないあなたは社会経験がないから、人の付き合いが未熟なんて、言われたくないです。

まぁあたしは、未熟ですけどね。社会経験なんかなくても、人間ある程度の年齢を超えれば、それなりに大人な考えになるんではないでしょうか?
学生の間もいろいろ、葛藤もあるしね。。
逃げてばかりでは生きていけないのです。。
あたしは今、「健全な患者」「健全な障害者」を求められている気がします。ひしひしと。それが重くて疲れました。そもそも、「健全な人」なんているのでしょうかね・・?そりゃ、犯罪や世の中の常識は、犯さないくらいの健全さは身につけるべきだけど、何もかも完璧で完全な(健全な)人なんていないし、いたら気持ち悪いし、どこにも魅力ないよ。

それでも、白衣とジャージの人たちは、健全さを求めてきます。。おとなしく言う事を聞く。言いなりにしやすい。ざっと、こんな感じですか?
だれとでもうまく行くには、必要不可欠な要素でしょう。誰もが扱いやすいという点においては・・・。
もはやあたしという人格を消すしかないようです。自我とは、自ら(みずから)の我(われ)と書きます。
我を出しすぎると、わがまま(我がまま)になり、我を消すと、我がないつまんない人になってしまいます。協調性において、我を出したり、引いたり、自分なりにコントロールとりながら、人間関係を学んでいくようにあたしは思います(これまでの未熟な人生経験ですが・・・)。

障害者が我を出すと、我がままな人といわれる事がよくあります。よく考えてみれば、障害者として生きる事が、わがままな姿だと、最近気づきました。
自分からは動かず、人形のように着替えさせ、『水飲みたい。』と、コップに水を入れてこさす。

歩ける人なら、なんじゃ自分でしない、わがままな人!でしょう。
あたしは障害がある特権で、人を動かせているかのように見える事実に、はっとさせられました。
歩けない、自分で自分の事が出来ない事の苦痛・・・を自分の事として想像できない一部の歩ける人からみれば我がままな!と日頃から見えてしまう事に・・・。


話は変わりますが、「会おうね。」という言葉を、私はいかに無責任に使っていたかに気づいた。
全介助を必要とする身で、いかに大変であるか。
もう私は、以前のように、ちょっと出かけてきます♪みたいな呑気に言ってられる場合でもなく、私が外に出る事は、呼吸器から透析器具・酸素ボンベなど大きな大きな荷物になる。

そんな状況で、「会おうね。」と気軽に言える立場ではないなぁと・・・。

もちろん会いたい。元気になることはないことはわかってるけど、回復の望みもあきらめたわけじゃない。でも、「いつか・・・会えたらいいね。」って消極的なことしかいえない自分に苛立つ。

昨夜ちょっとしたことで、家族喧嘩。
家に重度難病児者がいるというのは、何かと一人一人の負担の積み重ねで、それは中にいても外にいても、病気や障害が進んでしまえばしまうほど、家族の負担が増えるのも事実。1日何も動かず・・・ずっとベッドで、食べて排せつのみして生きていく方が、介護者には楽なのかも?・・・など、日本の「寝たきり」は「寝かせきり」の現状も、わかる。それも、家族は、私を愛して思ってくれる気持ちで、こうして手をさしのべてくれるわけだ。これは難病とともに生きる私の一考えであり、それ以上の、それ以外の、何ものでもありません。私は私の思っていることしか書けないので・・・。


ようは、障害を持ちながら、どう周りと折り合いをつけ、暮らすかということ・・・なのだと気づきました。
【2007/06/23 16:45 】 | 日々の日常 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
参観日。
今日は母が弟の参観日で、行かせてあげたいと昨日看護師さんと約束して、今日の午後から、時間をとり、一緒にお留守番している事になっていた。

参観は5時限目の1時半から始まる。
我が家は学校から徒歩10分、自転車で5分という距離にある。1時10分にはお伺いします。と昨日約束を交わしていたので、訪看さんも忙しいし利用者はあたし一人じゃない。
前の利用者さんの容態が急変したのかも知れないし、待っていた。

しかし、20分を過ぎても・・・来られなかった。
いくら待っても来られない。我慢の限界を達し、30分に訪看STに電話した。

「今日は午後の2時半からになっています。」・・・と。「前回に1時10分ということで、看護師さんと打ち合わせしたのですが。」と聞くと、「私は電話を聞く係だけで、看護師はみんな外に出ていますので。」と・・・。あたしは、自分の中の何かがプツリと切れる音がした。「今日はもう訪問いい」と母に言って、母も「今日はもう訪問いいです!」と電話口に言っていた・・・。

弟の参観日で、弟も楽しみにしていて、ずっと行ってやれなかったから、せめて今日だけは母にも行かせてあげようと思っていたのに。だから前もって看護師さんに、「午後のこの時間にお願いできますか?」とお尋ねしていたのですよ・・・。
その時間での訪問が無理なら、どうして昨日の夜でも、今朝でも電話くれなかったのよぉ~。

看護師さんは忙しいし、利用者はあたしのみではない。訪問宅で、緊急事態や処置に手間取ってしまうこともあるでしょう。そう言った、予定変更や遅れならいいのよ・・・。どうしてはじめから、・・・今日の訪問予定は、2時半と組みこまれているわけ?これじゃあ、あたしと母が前もって、お願いして話した意味もない・・・。母娘そろって、何かがプツリと切れて飛んだ・・・。今日は行かせてもらうからと、いつもより早く起きて、あたしのケアもいつもより丁寧で、いっぱいやさしくしてくれて・・・。
二度寝なんてしないで、用意して待っていた母は何なんだろう・・・。

「お母さん、絶対来てね!あっちゃん、手あげるから!!」って笑顔で出ていった弟は何だったのだろう。いったい、あの人たちはいつも訪問を待っているあたしたちの事、なんと思っているんだろう?
訪問も待つ身になって、考えたことはあるのだろうか。。

今日は、訪問看護はなかった。初めて自ら断った。
夕方の先生の診療で、このこと話すと、「じゃあ、今日は輸注日でしょ?してもらわなかったの?!」って。
そう、今日は欠損している酵素の補充日でもあった。別にどうでもいいと思った。
でも、先生は激怒して、訪看STに電話してくれて、責任者と話してた。で、今すぐ輸注を持ってくるように指示し、20分後持ってきてくれた。

遅れるなら、電話一本くらい出来ると思う。予定変更なら、昨日も今日も連絡できたと思う。連絡できないくらい忙しくても、電話3分くらい、時間見つければ出来ると思う。
忙しすぎて、忘れてしまうなら、メモに書いて確認すれば、忘れる事もないと思う。
看護師さんは、利用者さんに対しての責任感がないのだと思う。・・・あたしの思ってることは、間違っていますか?常識に欠けていますか・・・?・・・わがままですか?今回は初めての事ではなく、これまで看護師さんも忙しいのだし、人間同士忘れる事もあると、受け入れてきた。だけど、何度も、こちらばかり受け入れるのも、おかしいって思う。

看てもらってるのだから、仕方ないですか?
看てあげてるのだから、それくらいですか?

仕事ってお金で形になるけど、プロ意識って、もっと別の所にあると思うよ。
だから専門職は、尊いと思う。だから誰からも、感謝と尊敬される仕事でしょ?

おわびの電話も謝罪の言葉もなかった。処置なくても、心配もしないのでしょうか。
気にもならないのかなぁ。まぁ自分の事ではないのだし、自分の事は自分で守るしかないのですが。
何か、この状況っておかしいと思うよ・・・。ほんと、悲しいよ・切ないよ。信頼しようとしているのに、何度も裏切られるのって、疲れるよ。。あなたを信じて・・・よいのですか?

この訪看STは祖母も利用している事業所なので。あたしが始める前から祖母の所でお世話になっていた。だから、前からここのシステムも看護師の数も大体分かってた。祖母の所でも約束を放棄されたり、予定が狂ったり、していた。その度に、事業所ともめたなぁ・・・。
1度や2度ならば、失敗で許せるだろう。けど、何度も繰り返されては、利用者の身が持たない。
新しい事業所を探すか・・・そんな時期に来てるのかなぁ・・・。そう、母とも話をした。結局、今日は弟の参観には行けなかった。

帰ってきた弟、泣いてました。

夕飯時まで、口も聞いてくれませんでした。
些細なこと、ですか?それくらい、ですか?
でも、これが病児を抱える家族の日常なんです。
こんな些細なことで、家族の心は、痛くなるんです。

10分以上、私から離れてはいけない。そうドクターからの指示を受けてから、もう1年あまり。
その間、家族も周りの人も疲れてく。壊れてく。
恥ずかしいことかも知れません。

家の事情・日常を書くのは。けれど、何も隠すことじゃないし、病児ときょうだいを持つご家庭では珍しい問題ではないです。そのことを、書きたかった。

今は看護の抜け殻。といった感じ。看護師さんの前でいるあたしは、心や気持ちはなくした、細胞体。治療して治る体ではない。生きる価値もなく、生きてたらそれでいいし、死んでてもそれでいいんじゃない?って、存在なんだなぁと・・・。ぶっちゃけ、金儲けの命、儲けが無くなれば、出て行って。って言われてるようで・・・。金の切れ目が縁の切れ目。とも言うし。。

今は看護師さんに、気を使う存在でしか持ててない。気を悪くさせてしまったら、診てもらえなくなるとか・・・。体調の変化もこれくらいで言ったら、もっとつらくなった時に、「また言ってるわ・・・」とか思われないかとか。現にあったから。言葉数を少なくすれば、トラブルも起こりにくいし、極力自分の想いはなかったことにしちゃえとか・・・。

どんどん自分のほんとの苦しさに蓋を閉めて、「ありがとうございます。」と「あなたのおかげよ。」と笑顔を蒔いて・・・。それでどんどん、自分の首を自分で絞めてる感じ・・・。医療も看護も介護も携わるのは、人間だけど、人間に傷つき、疲れてしまったあたしって、何なんだろう・・・。社会経験がないから?やってもらってる立場だから、仕方ない?死ぬこと出来ないから、仕方なく生かしてもらってる。
ただ、それだけの、世の中でいらない存在なのか・・・と、思いは極端に昇ってしまうのだ・・・。

軽く、「じゃあ、事業所変われば?」とか言わないでぇ・・・。そう、簡単には変われない。変わるにはエネルギーがいるのさ。決してドクターや看護師さんの事を嫌いとか、関係がうまくいってないとか。あなたがきちんとしろよ!とか、病院や先生や看護師さんに求めたり、言いたいのではなくて・・・。病気になったのはあたしの人生上の事で、誰かが変わりに乗り越えてくれたり、「かわいそうね。」と誰かが庇ってくれたりではなくて・・・個人的に抱えて、自己処理し、生きていくことは分かってるんだけど。
だけど、無関心になるのではなくて、支えてくれてもいいんじゃない?それが医療というものでしょ?と問わずには、いられない・・・。

看護師さんサイドでは、患者さんのよりよい生活を送るためにの支援、訪問では尚更、実生活を基盤とした目で看護方針を立てます。医師とはまた違った視点で、医学では治らない、または治る可能性が低い状態でも、そこからよりよい毎日を送れるように、患者さんと共に考えるのが、看護だと感じています。

看護支援には、希望を見つめていく作業もあるのです。私たちには、その希望を、見つめてはいけませんか。厳しい現実の中でも、そこから光を追い求めてはいけませんか。

弟の、まだ10歳の、彼の気持ちを、少しでもいい。感じてあげてください。あの子には、いつも我慢ばかりさせてきた。いつも寂しい思いをさせてきた。
私の弟に生まれなければ、こんなことにはならなかった。弟は幸せな人生を歩めたかもしれない。病気の姉を恨んでもいいんだよ。恨まれても仕方ない。そういうことを、私は彼に、やってきたのだから。それでも彼は、私の介助を快く引き受け、自らやってくれる。ただ、やさしいだけでは、こんなことまで出来ない。
ただ、自己満足では、永遠は続かない。そのことを、彼はまだ10歳にして、わかってる。ごめんね・・・いつかね、いつか・・・。おねえちゃんがいなくなったら、お母さんもあなたが一人占めできるよ。お父さんも、ずっとあなたのそばにいるよ。もう入院したからと、お母さんとお父さんと離れて暮らさなくてもいいんだよ。あっちゃん、君の優しさに、強さに、頼もしさに。弟でよかった・・・。

私の弟に生まれてきてくれて、ほんとに、ありがとね・・・ごめんね。
【2007/06/23 16:35 】 | 日々の日常 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
信じる・・・痛さ。
入院中、生きるってなんだろう・・・?
とかいろいろ考えさせられた。
と言っても、現実は、在宅に戻ってからの方が、良くより鮮明に、考えているかな。

入院中は、ほんと治療の事で精いっぱいで、体の症状のきつさについていくのがやっとで、なぜ人は生きるか?なんて事も考える余力は、なかった。

そう、考えるのは、人が死ぬことに、敏感になっているのかも知れない。
あたしは今まで、いろんな病棟で、人の死に近すぎた。

まだ?と言ってもいいくらい、たぶん死を考えるには若いのに。人間、みんないつかは、死ぬんだ。と、どこか達観しちゃってる自分。

死を考えるのは、もっと先のことでいい。
そうであって欲しい。
身内の死を経験するより先に、自分の死・仲間の死を意識しないといけなかったのは、私のその後の人生に大きな影響力を与えた。
生き物はいつかは必ず死ぬ。
それはだれでも平等に与えられたものだと、教えられた。だけど・・・幼くして死ななければいけなかった子と多くの大人が悪さをしている世の中で・・・矛盾したこの世に、感じるものはいくらでもあるけれど・・・。。

それを言葉に出来るほどの、力は私にはなく、また人を許せる寛容の心も備わっていない。
もっと、人に優しくなりたい。もっと、強くなりたい。もっと、素直になりたい。もっと、人を許せる心を持ちたい。もっと、何でも笑い飛ばせるくらいの大きな人になりたい。。

そう思いながら、毎日現実を見つめて、生きているんです・・・。

人を信じるのって、難しい。どうして?なぜ?の連発。人を信じるたびに、自分を見失う・・・それは自分が弱いからだと思っていた。
でも、バカな私はどんなに裏切られても、信用を失っても、嫌いにはなれなかった。あたしは、人を寄せ付けないオーラーみたいなものがあると良く言われる。近寄りがたいとも言われた。学校でも友達はあまりいなかった。というより、学校に行けば、寄ってきてくれる子はいたけど(多分先生から来たら仲よくしてあげてね。みたいなことを言われていたと思う。)あまり喋らなかった。
それは、もう小さいときからで、人付き合いが苦手というよりは、早くも人生を悟っていた・・・といった方が正確かも知れない。

何度も人を信じれなくなった。医療を、自分を、人を、信じられず、この世に確かなものなんてあるのかと思った。
それでも、もう一度自信を持ち、信じる力をくれたのは、主治医や多くの仲間や家族だった。
苦手な人は距離をおけばいい。でも、社会では自分の好きな人のみの付き合いでは、やっていけないこと。それを私は、ボランティア活動で学んだ。ほんの少しの間だったけど・・・色々な人たちと出会い、いろいろな事を短期間で学んだ2年間は、本当に充実していて、楽しいときでした。

体は悲鳴をあげていたけれど、今の私の支えでもあります。大事なのは、人を信じるという姿勢。。
そして、難しいのは、人を信じる事の兼ね合いだ。だまされても、裏切られても、見捨てられても、信じる事の意味を、2年間のボランティア生活で学んだような気がする。

私の周りには、いつも見守ってくれる人がいた。家族がいて、医療者がいて、仲間がいて・・・良き理解者がいた。ただ、見えなかっただけ・・・。

自己中心になると、周りが見えなくなる。健康な人との距離を感じては、孤独になる。
同世代の子の話に付いていけなかったとき、ものすごく孤立する。あの時から・・・全然、前へ進めていない私。。同じ事を繰り返し、同じ問題にぶつかり、悩み、生きようと必死でもがいている自分・・・。


悩むのは、人生に永遠のテーマ。
変わらない、苦悩。
それは、私が生きていくうえで、どうしようもできないこと。

そう、割り切ってみた。
【2007/06/23 16:29 】 | 想うこと | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
ありがとう。
在宅の日常で。

4月は新人スタッフの時期。
自身もそうだったのだけど、新しい世界に飛び込もうとして来られた方は、ほんとに輝かしい。

夢や希望に輝き、「患者さんを助けたい。」と生き生きと語る。現実は理想からは程遠く、厳しい。

また淡々とした日々の業務の積み重ね。
3年後、同じ職場で働かれている方は、その中の何割だろう。
その変化というものを、現実にしてきた患者の立場としては、輝かしい言葉で励まされない・・・んだなぁ。

新人さんには夢や希望を持って、まっすぐ走ってほしいのだけどね。
それを願っているのも、また患者である私の思いなのだけど。
現実に、末永く、その仕事に携わる方は、淡々と黙々と進んできたって・・・感じが伝わる。

あたしは命の限り、たぶんずっと患者であるのだから、医療をサポートして下さる人との関わり方というものを、考えてみる毎日なのだけど。
人から逃げれても、自分からは逃げられないのが、厳しい問題。

結局は、悩みって、人との中ではなくて、自分の中で悩まされる問題が多いのかも・・・と思う日々。
我が家に来られる若い先生も。病棟で受け持ってくれたレジデントの先生も。学生さんも。
まだまだ、これからなのに。
希望と情熱を燃やして、患者と向き合おうとしている彼らに、現実を見せてしまうことが、本当にいいことなのか?と在宅での生活で、思ってしまう。

現実を見せる事も大切。理想の世界だけでは、人は生きては行けない。だけど、それは、これからの人生の中で、長いスパンで見ていくこと。
それを、学生のころから、インターンのころから、見せてしまう事が、果たして彼らのために、そして患者のためにもなるのだろうか。と言うこと。
でも、まだまだ若い彼らには、もっともっと、頑張って欲しい。若い意欲と、情熱を、燃やしてください。燃やしすぎて、消熱しちゃわないで下さいね・・・。

もし、こんな病気になってなかったら、生かされている事に気づかなかったかも知れない。
そんな事も、ふと最近、思います。
重度の障害を持って、一人では生きて行けないからだになった事は、自分自身に何かを感じさせるメッセージなのかもしれないし、そんなものあってもなくても、答えは見つからなくても、周りで支えて下さる家族や友達、先生や看護師さん、たくさんの方々に、毎日、暖かなものや、「ありがとう」の気持ちを、頂いている事。その事に、今、とってもうれしく思うのです。病気で生まれ、車椅子となり寝たきりとなるまでも、たくさんの辛い事・しんどい事がありました。
見えない障害に、なかなか理解されず、自分の中でたくさん抱え込んで仕舞込んでいたものも、ありました。

それこそ、「一人で、がんばってる。」「自分の力で乗り越える。」しか、なかった・・・辛かった・・・時期でした。
今から思えば、なかなか甘える事が出来ず、負けず嫌いな自分に、逃げる事も、立ちどまる事も出来なかった。
体を限界まで酷使して、頂いたプレゼントが、病気の進行・再発という大きなプレゼントでした。
それはないだろ!とか思いながら、今日まで歩いてきた道。再発を繰り返し、病気は進行し、社会へ出る自立は、はるか遠い場所へ・・・。

今は自分の体を生きるために管理するというのが、毎日の私のお仕事で、就労にもつけず、社会的に生産的な役割も出来てません。

だけど、いつか思うのです。
ほんとうにいつか・・・また、社会に出たいと。
そして今度こそは、無茶をせず、できることを、したいと・・・。
それが、難病という爆弾を抱えながら、私が生きながら、社会に少しだけ、貢献するということだと・・・。
【2007/06/23 16:25 】 | 日々の日常 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
かんさつ
かんさつ
日々の体調管理に、「めやす」としていることがあります。今日は、その中のほんの一部を、ご紹介。

++熱 病気非活動時;36度後半平熱 病気活動時;38度~42度高熱++
今はたいてい、38度後半が平熱というところです。
39度を超えると、注意し、40度を超えると若干の意識障害を生じます(だいたい毎日、朝と夜の測定)。
体温調節ができないため、気温が高いと体温が上がり、冷やしすぎると低体温となる。
解熱剤が使えないため、室温調整に心掛け、寝衣・掛け物・体幹部の冷却等を使用する。

++呼吸状態;回数は、50~70回前後++
私の歳での呼吸数は、通常12~16だそうです。
常に努力性呼吸(肩で息をする)がみられ、気管~胸(気管支)にかけて、ゼロゼロが多くなり、狭窄性の呼吸困難だと、笛のような、ピューという音が、聞こえる。
熱が39度を超えると、ゼロゼロ音が増強し、吸引が必要。
喘鳴の強さと場所、血中酸素飽和度の低下、心拍の上昇、鼻翼呼吸等の具合により、吸入・吸引を考える。

++咳;毎日若干ある++
ゼーゼーが強く、それに伴った咳は、すぐに吸入・吸引を考慮し、ゼーゼーがそれほども強くなく、コンコンと乾いた咳の場合は、吸引のみとする。
連続性に咳が続く場合、肋骨骨折の危険があるため、直ちに鎮静が必要。

++鼻水・鼻づまり;ほぼ毎日++
鼻水は体が冷え、体温が低くなると出やすく、体温が上昇すれば、鼻詰まり・鼻出血がおきやすい。
鼻血は、一度起きると2時間は止まらず、止血に時間がかかる。大量に出血するため、大半が口の方に流出し、吸引が必要。飲み込んでしまった場合は、運が悪ければ腸で固まり、閉塞発作が起きる。
咳がひどくなり、呼吸や表情にゆとりがなくなって、心拍が190を超すと鼻腔吸引と同時に吸入も考える。

++心拍 安静時;140~160/分 体動時;170~200/分++
普通、心拍数は、新生児で120/分前後、乳幼児で110前後/分、学童期で100前後/分、成人で80~90が通常の心拍として知られている。
100を超えると頻脈と定義され、60以下は徐脈と診断される。
1分間に180~200回が1分~5分以上続くと、余裕がなくなり、意識がなくなる。
常にサチュレーションモニターを接続しているため、数値を観察し、対処。

++血中酸素濃度;45後半~50前半を目標(酸素継続使用中)++
普段は、43~45%留まり。何かしらの発作が起きると、41%以下になり、全身蒼白になる。
30%台になると、虚血発作がおき、脳への障害が懸念される(通常99~100%)。
サチュレーションモニターを観察、熱や心拍、呼吸との関係が深い。まれにモニターのはずれや接触不良のことがあり、ヒヤっとすることがあり。

++表情;表情筋がまだ侵されていないため、笑うことはできるが、こわばりが強く、普段は無表情++
誰かがそばにいるとそっちに夢中になってしまうため、比較的表情は柔らか。特に信頼している人物であると◎
表情は、体調と比例傾向。

++言葉・発声;言葉の遅れはない 発声障害があり、うまく声を出すことができない++
気分がよいときは、自らの発声ができるが、こちらからは進んで声を出さない。誰かが語りかければ、話ができる。

++視覚;右目完全失明・左目裸眼0.06 メガネ装着時0.08~0.1++
神経疾患の再発時は、裸眼視力0.04以下になり、ときに測定不能も。メガネを装着しても、改善みられなく、よくて0.06である。
常に乾燥状態で、よく目の感染症になる。
拡大鏡を取り付け、正面20センチまでは何とか見える。乱視・弱視あり。

++聴覚;右耳高度難聴 左耳中度難聴++
先天性難聴で、右耳だけでは、ほとんど音を聞き取ることができず、左耳で何とか人の会話を聞き分けることができる。会議室など複数の人が話す場では、聞き取り難く、誤解等が生じる。一対一の会話は、ほぼ支障なく聞き取れるが、ときに唇話術が必要なときあり。

++嗅覚;匂いは比較的敏感に察知する++
鼻炎があるくせに、匂いに過敏。
香水・花・消毒薬等の匂いに敏感。ある種の匂いに、けいれん発作(てんかん等)、アレルギー反応を起こす。

++味覚;個人的に辛いもの好き++
辛いもの好きだが、食事制限のため、満足に食べれない。甘いものが苦手だが、低血糖であるため、摂取を余儀なくされる。糖分をとりすぎると気持ち悪くなり、頭痛・意識喪失へと繋がる。

++嚥下;障害中等度++
飲み込みの障害があり、先天性の病気のため、うまく食べ物を咀嚼・飲み込みできない。
食道に入るべきものが、気管支に誤って入りやすいため、よく誤嚥性肺炎になる。
場合によって、経静脈栄養・経腸栄養等が開始される。

++触覚;感覚まひ++
両下肢に若干の感覚まひがあり、触られている感覚がない。指先から、徐々に上にあがっていくような感じが起きる。上肢にもみられ、特に右に強い傾向がある。

++睡眠;平均3~4時間程度++
依然は、痛みがないときで、一日最高記録、24時間中22時間寝たことがあり(傾眠発作時)。
今は常時痛みのため、3~4時間寝られればよい方。
ときに、1時間しか仮眠が取れず、心身ともに参ってしまう。
たいてい、明け方に眠りにつき、午前中はうとうと。痛みのために睡眠が妨害されることが、多々あり。
痛みが治まると同時にひどい傾眠傾向があり、発作の終止に比例して、意識を失うように、眠り込んでしまうことがよくある。

++胃残量;朝・昼・夜もほとんどない(白い透明~鮮血)++
あまり食べれないので、胃に残るものも、ほとんどない。ほとんど空気か、出血性の胃液。

++尿量;1日300ml前後++
色が薄い。常に乏尿状態。
よく血尿を出す。

++食事;厳しい食事制限++
1年の絶食期間の後、食べれそうなものをチョイスし、特別食を摂取中。
固形食は無理で、刻み食及び流動食系。
食事抗原にアレルギーがあり、また生まれつき消化酵素が欠損しているために、食べてはならないものが多数。

++むくみ;常時あり++
調子が悪いとまぶたが腫れ、手足の甲が腫れる。
全体的な体のむくみもある。
季節の変わり目、気温、天気にも左右されやすい。
薬の副作用で、ムーンフェイスもある。

++発作;種々の発作あり++
てんかん発作;全身けいれんから目の焦点が定まらない軽い発作まで、一日数十回は起きる。大きな音や光で、発作が誘発されやすい。
喘息発作;季節の変わり目、天候、気温、不整脈発作時、夜間から明け方、感染時、あるいは突発に発作がおきやすい。心臓の関係から、現在内服薬は服用しておらず、ステロイド剤のみとなる。発作時は、β2刺激薬の吸入を併用。
不整脈発作;200を超える頻脈であれば、抗不整脈剤を試すより、DC(電気除細動)で元の心拍に戻す試みをする。徐脈の場合も同様であるが、頻脈の方が頻度が高いため、徐脈の対処は、あまり経験がない。

++舌の荒れ;常に乾燥状態++
常に乾燥していて、舌が白くなり、ところどころひび割れる。部分的に円形のただれが出始めると、何らかの感染症にかかりやすくなり、注意が必要。

++口腔;乾燥++
病気の関係上、常に乾燥状態で、口内炎がひどく、反復し、よく歯肉炎になる。

++全身++
体調が悪いときや何らかの食事を取った後に、全身じんましんが出やすい。



これが、私のからだのきろく。
【2007/06/23 16:21 】 | 日々の日常 | コメント(1) | トラックバック(1) | page top↑
私の家族☆
今日は家族の事を書きたい。

父は2人兄弟の次男坊。
父はやさしい人。穏やかな人。広い人。でもちょっぴり、子どもな人。
息子と本気でけんかして、子どもに呆れられる人。
一筋縄ではいかない人。甘えん坊。仕事一筋で、でも仕事先でいろいろあり、仕事には一生懸命だけど、なかなか恵まれない人。お人よし。本気で怒る事を知らない人。
でも、たぶん、きっと、父だから、生まれる前から病気だったあたしを、ここまで支えてくれたのだろう。
今でも一緒に、いろんな会話をする。今時のアイドルも知っているし、趣味はゲーム。MY機器は、プレステ2。
そんな、昔の仕事先でいろいろあり、一人で会社の事情を背負い込み、家族に心配かけないようにと、たった一人っきりで、何もかも背負い込んだ人。
頼りになる人。守ってくれた人。強い人。信じれる人。
「娘のためなら、全てを捨てる覚悟は出来ています。」と主治医に向かって、言った人。でも、父の口から、グチを聞いた事はない。男の人って、そんなもんかなぁ。
娘にちょっかい出して、嫌われる人。息子と本気でお菓子の取り合いする人。妻に失言して怒らせる人。
自分の用事で出かける時(例えばパチンコとか)朝早く起きて、布団を片づけて、朝ご飯をつくって、トイレ掃除して、玄関掃除して、それから出かける人・笑。
気が小さい人。でもって、ものすごく立派な人。
父みたいな、そんな男性と、一緒になりたい・照。


母は、2人姉妹の次女。母の家系はいろいろ複雑で、ここに書くべきことではない。
姉とは10歳離れているが、父親が違うので、いろいろあり、幼少期も成人してからも姉と一緒に暮らした事はない。母もたった一人で、親を支え、子を支え、夫を支え、家庭を支え、一人で背負い頑張っている人。母もとてもやさしい人。でも怒ったら、普段やさしいだけに、だれも止められなくなるほど暴走する。
子どもみたいに純粋な心を持った人。女同士、娘と対立する事もあった。親の愚痴も聞かされた。祖父母の介護を共にやった。あたしを何度も助けてくれた。支えてくれた。悲しい時は一緒に泣いてくれた。
嬉しい時は一緒に喜んでくれた。涙脆い人。感情移入する人。心配性。過保護。
でも、そっと見守ってくれる偉大な人。尊敬する人。いつもあたしの介護を頑張ってくれる人。親の介護も頑張り、あちこち走りまわってる人。すごく、頼りになる人。面白い人。家庭に笑顔を届けてくれる人。
妻として母として、立派な女性。
あたしも母みたいな心大きな人になりたい。


10歳小学5年の弟は、ゲーム大好き少年。心やさしく清らかな子。好きな事には没頭し、苦手な事でも一度決めた事は必ずやり遂げる立派な子。
何度も姉の急変時に助けてくれた子。友達多く、誰とでも仲良くなれる子。以前不登校気味の子に声かけ、友達になり、以来その子は毎日学校に来るようになったと先生から褒めて頂いた。
以前はマリオが好きだったが、今はポケモンに熱中。車が大好きで、3歳の時点でほとんどの車種の名前をいえた子。言葉に遅れがみられ、3歳までほとんどしゃべらず、心配になり、発達外来にも連れて行ったりしたが、女ばかりの家庭で育ったため、言葉の発するタイミングを逃してしまったと言われる。が、3歳をすぎたころから、これまでの反動!といわんばかりにおしゃべりになる。
融通の聞かないところあり。変なところで神経質。
甘えん坊。自分の感情を抑え込む傾向あり。幼い頃、「おねぇちゃん」といえず、「おにぃたん」と言って付きまとっていた。喧嘩ばかりするけど、すぐに謝ってくる子。あいさつが出来る子。弟もアレルギー体質の遺伝で、軽い喘息や軽度の腰椎側湾症があり、季節性に体調を崩すが、ほかは至って元気。
食欲は例え40度の熱が出ようが、旺盛で、開業医には呆れられる・・・。ここ5年あまり、入院はしていない。
姉の車いす介護・食事介助・身の回りの世話など、何も言わずやってくれる心やさしい子。
あたしの世界で一番大切で大好きな子。この子のためなら、死んでも本望だとさえ思っている。命を投げてでも、守りたいとさえ思う。でも、弟からしたら、うっとうしい口うるさい姉で嫌われること、多々あり…。
幼い頃から我慢ばかりさせ、親に一番甘えたかった時期を奪ってしまったと心から後悔している。が、心素直に、まっすぐに、子どものまま成長してくれた事が姉としての誇りです。これから思春期という最も多感な時期に入ろうとしているが、いつまでも心優しく、おおらかな男性へと成長してほしい。
いつか、君の成長は見れない時が来る。成人して、結婚し、子どもを授かり・・・そんな君の将来を描きながら、今の成長の日々をずっと噛み締めたいと思っている。


そんな大切な大切な家族。
家は別々だけど、祖父母も私の大切な家族なので、書いておきます。

母方の祖父は御歳82歳(5月生)。母の実の父。
頑固で戦争を経験してきた人だけに、無口でこれまた一筋縄ではいかない人。優しく、おおらかで、泣いていると慰めてくれた人。現在歳の加齢で耳が遠くなり、ほとんど会話が出来ない状態だが、表情での会話が出来、妻である祖母に尻に敷かれている。
歯肉が悪く、歯の痛みにずっと耐え、食事量も減り、肥満体形だった祖父は、40代ぎりぎりで、痩せ体形になった。私の幼稚園時代は、毎日のように園の外で、見守ってくれた人。自転車の後ろに乗って、どこでも連れてってくれた人。良く入退院時の荷物運びを手伝ってくれた人。幼稚園・小学校の時の運動会には参加できなくても、朝一番で場所取りにフェンスを超え、誰よりも孫を心配し、陰で支え続けてくれた人。そして、今のこの日本を、支え続け貢献した人。

祖母は、御歳82歳(3月生)。同じく頑固で、一筋縄では行かない人。おしゃべり好き。訪問看護師さんやヘルパーさんとよく喧嘩し、トラブルとなった・・・。
意地悪ばあさん。口達者。5年前に寝たきりとなり、一時は全く動けずにいたが、高齢の身ではありえないくらい脅威の回復を見せ、自力で歩けるまでに回復。今は支えがなくとも数メートルは自分で歩ける。家事も行う。内科的持病のため無理は出来ず、季節の変わり目は発作を度々起こすが、ここ2年は大きな発作は起こしていない。気性が荒く、母とよく対立していたが、それでもとてもいいおばあちゃん。心配性で、少し薄着で行くと、よく怒られた。年金の月には、必ずお小遣いをくれ、おいしい処に母に内緒で食べに連れてってくれた。病院の通院にもよくついていった。せっかちで、自分の意見を通す人。厳しい人。でも、すごくやさしくて、家族の事を誰よりも心配し、案じてくれる人。毎日3回は必ず電話がかかってくる。母は、徒歩7分の距離にいる祖父母んちに毎日往復している。おばあちゃん大好きっ子。

父方の祖父は、御歳82歳(6月生)。3年前に妻に先立たれ、一人静かに暮らしている。祖母が倒れてからずっと、一人で介護を頑張り、最期の最後まで、妻を愛し、寄り添っていた人。祖母の葬儀の日に、初めて祖父の涙をみた。少し離れた距離に住んでいて、父がいるときでなければ、めったに顔を見せに行くことが出来ないが、時々電話で私の様子を気にかけてくれる人。入院した時、お見舞いに来てくれた人。私たちがあそびに行ったら、「お腹すいたやろ?何か作ったろ。」と、ご飯を拵えてくれる人。自慢のおじいちゃん。

父方の祖母は、3年前の冬に他界。脳内出血で左半身麻痺になり、リハビリ入院・施設入院の繰り返しだった。倒れてから9カ月後、祖母は亡くなった。生前、よく昔のあそびを教えてくれた。狭い家ん中で、かくれんぼをした。糖尿病を患っていた祖母は、病気の怖さを教えてくれた。末期になってから、腎障害が目立ち、目が見えなくなった。生前祖母は、こんなことを言ってくれた。「おばあちゃんもこんな訳のわからん病気持ってて、はるちゃんと一緒や。」だから、ガンバロウとも、だから、あなたもとも、言わなかった。倒れてから、一泊だけ外泊してくるというので、祖父の介護ヘルプのつもりで、出張ボランティアに向かった。その際、祖母がかたくり粉のくず湯をつくってほしい。といわれ、失敗ながらも、おいしい。と言ってくれた。もっと、上手につくればよかった・・・。生前、痛い痛いとよく言っていた祖母。骨が出て、寝たきりだった祖母にあたしは、ただ痛いね。と同情することしか出来なかった。もう嫌だ、死にたい。とばかり漏らしていた祖母に嫌気もさした。そんな自分が・・・無力で恥ずかしくて情けなかった。こんなあたしに、祖母の死後、何度も夢の中に出てきてくれた。何も出来なかったのに、ありがとう。とばかり言ってくれた。
ただ、あたしに出来るのは、大好きだった天国の祖母に心配かけないような生き方をすること。ただそれが、亡くなった人に対しての唯一の供養なのだと思う。

母の10歳違いの姉、おばちゃんは、いろいろ問題を起こしてくれた人。
それはここに書くべきことではないが、今では許せるような気がする。
問題を起こしては、いなくなり、ほとぼりが冷めてからまたひょっこり、現れる・・・そんな叔母が私は許せなかった。
でも・・・今ふと、思う。
身内を憎しみ合い、恨みあっていても、何も変わらないと・・・。
母と祖母を泣かしてきた叔母を簡単に許せるわけはないけれど・・・
それでも、すべてが不幸だったのではなく、やさしさも持ち合わせていて、ただ不器用だから、他人を不幸にし、そして自分自身をも不幸にしてきたのだと・・・。
でも、大好きだから、どんなに傷つけられ、どんなに裏切られても。
私はやっぱり、叔母を嫌いになんて、なれなかった。


そんな大切な、私の家族。
みんなが、げんきでえがおで、しあわせですごせますように。
【2007/06/23 16:19 】 | 想うこと | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
泣いた日・・・
今日は泣いてしまった日・・・。

担当の訪看さんのお子さんが急な発熱で、お休みされた。
変わりに来た訪看さんのひとこと。

「痛い痛いって、どこが痛いの?がんばって、元気にならなくちゃ。あなたが治りたいって気持ちが弱いから、良くならないのよ。歩けないのも同じ。例えみんなが回復の望みはないって言ったって、患者は希望を失っちゃダメなのよ。」と、あなたの為だというお話を薀蓄話された後、帰っていかれました・・・。

あの、私の気持ちはどうなるのでしょう?この怒りや戸惑いや空しさは、どこにぶつければいいですか?私の気持ちが弱いからですか?
私の努力が足らないからですか。
だったら、今すぐ歩かせてください。
今すぐ、この痛みを治してください。
今すぐ・・・希望を与えてください。
私に、「明日」を見させてください。
あなたは本当に看護師ですか。患者の心に寄り添い病んでいる人をケアする人間ですか。痛みもわかってもらえない、共感も出来ない、それよか、自分の視点でしか看れないような方に、私は自分の痛みを伝える事は出来ません。
信用することも出来ません。がんの痛みが、膵臓への痛みがどれほどのものか、あなたに想像できますか。身を引き裂かれそう・・・いいえ、いっそのこと、引き裂かれた方がどんなにいいでしょう。
一瞬のことで、どんなに楽でしょう。

モルヒネ漬けを否定するのなら、痛みを取り除いてください。私だって、好きでこんな体になったんじゃないんです。好きで、麻薬であるモルヒネに頼っている訳ではないんです。

「麻薬ばかりに頼ってると抜け出せなくなるよ。シャブみたいに。少しくらい我慢しなさい。」

あなたの言葉が、何倍もの痛みとなって、私に届きました。医療薬としてがん治療・他の疾患の治療として処方されるモルヒネの量では、まず中毒にはなりません。あなたは、看護師なのに、誤解をしたままケアに携わっているんですね。恐ろしくなりました。でも、文句は言えません。
半分も、3分の1も言えません。言ったからとどうなるでしょう。何かが変わりますか。伝えれば伝えるだけ、所詮他人事なんだという思いが、芽生えるだけ。夜も眠れない。昼も、いつ激痛に襲われるかわからない。
冗談でも、大げさでもなく、なんでこんなに痛いの?

一人になってから、あたしの心は涙でいっぱいになった。
せめて、寝返りくらい一人で打ちたい。一人で座りたい。一人で食事がしたい。一人で息がしたい。一人で排泄したい。空をみたい。外に行きたい。勉強したい。あそびたい。
私は歩けるようになりたいとリハビリも頑張ってきた。治療もサボってたわけじゃない。毎週毎週点滴に、足りない酵素や輸血のために、病院に通った。雨の日も風の日も、それこそ台風の日でも。嫌いな怖くてどうしようもない、雷がなっている日だって、毎週毎日、治りたいと、これ以上病気進んでほしくない気持ちで、いっぱいいいっぱいな気持ちで、通ったんだ。
治りたい、良くなりたい。決してあきらめたわけじゃない。でも、あきらめないと生きては行けない現実があることを、どうか少しでも、わかってください。
手放さなければ、今を、今日を、生きてはこれなかった。生きるのに、今を生きるのには、必要のないものを、排除し手放し、それはやがて失っていくもの。治りたい・・・良くなりたい・・・学校行きたい・・・病気再発進行して欲しくない。

そう思って・・・どれだけ、裏切られたことだろう。この想いに、この病気に。
絶望し、失望し、この世のどん底を知り。それでも、そこから這いあがろうとした。一生懸命、崖下に落ちたそこから、這いあがろうとした。でも、また上がっても、またどん底に突き落とされるんだよ・・・その繰り返しなんだよ。
希望や気の持ち方や精神力で病気が治るのなら、病気なんて単純でいい。薬なんていらない。お医者さんもいらない。看護師さんとの出会いもなかった。
がんばって、がんばって、がんばる事に疲れてしまっている今、「がんばれ」と言われるのは、過酷だよ・・・。

将来のこと、先のこと、明日の事に、答えを見つける事は、簡単なことではない。明日さえ不確かなまま今日を生きる私たち親子には、とてつもなく重い課題。

「また、明日ね!」そう言葉に出来る、あなたとの距離を、感じてしまう。私とあなたの温度差を感じてしまう。そして、一人で孤独になる。

生きる事、明日を描けること、自分の力で息をすること、排泄すること、寝返りが打てること、文字が書けること、食事が出来る事、学校に会社にいける事・・・。
普通の人が、ふつうに出来る事なのに、働くことも学ぶことも、自分で生活し食べる事も。それさえもままならない私は、人間として価値がないのだと。
生きている意味なんて、どこにもない。私は弱いから、涙でいっぱいになって、抑えきれずに、溢れ出てしまうのです。

感情が止められないまま。今日を生きることしかできないのです。
明日を語れるあなたがうらやましい。
1週間後のことを話せるあなたがうらやましい。
1カ月後のことを思い描けるあなたがうらやましい。
1年後のことを映し出せるあなたとの距離を感じます。

どうしても、埋まらない、溝。

話しても、伝わらぬこの想い。

仕方ないのだと・・・自分に言い聞かせる。

シカタナイ、シカタナイのだと・・・・。
【2007/06/23 16:10 】 | 日々の日常 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
私の一日
私の一日をちょっとご紹介。

朝はほとんど寝てます。
夜はほとんど痛みや発作のため眠れず明け方に眠りにつくのが多いので。。

ただ、日曜日や祭日、土曜日の一日は平日より少し異なる。一週間をトータルして午前中の訪問は滅多にない。
朝、6時頃父が出勤する前に私が寝ている部屋から隣の居間(?と呼ぶのか?)までお姫さま抱っこしてもらって移動(TVがあるので)。
それから再び寝るか移動させられたのに気づかないでいるときもある(恐るべし。この移動が大変なんだよ、点滴あるし)。

起きてから母による介助が始まる。
まず歯磨き、洗顔。歯ブラシは歯茎から出血しやすいので、毛先の柔らかいやつか、血小板が極端に減っている時は薬剤が入ったうがいのみか、綿棒でする。洗顔はあったかいお湯にタオルを浸したやつで。
左手が動かなくなっていた時はこのすべてを母か看護師にしてもらっていました。
今は左手のみで用意さえしてくれたらひとりで出来ます。

そして朝のケアは母による、吸入、薬、2~3時間置きの体位交換。それからは午後まで何もない。
午後2時か3時頃に訪看さんが来てケアの時間。
バイタルチェック・点滴確認・透析チェック・処置(採血・点滴追加など)・清拭・洗髪(これは週に2回って髪、ほとんどないんですけど…一応形だけ)、お話。それで1時間半は経ちます。

訪看さんが帰った後、夕方5時から8時の間に日・月・火・木・土(日・際は13時から15時の間に来ます)は血液の担当医の先生、水・金に心臓担当医の先生の往診です。その他臨時の先生が数名来ることも。
往診は、診察(聴診・視診・触診)、治療方針の見直し(振り返り・評価)、翌日の検査オーダ、薬剤投与など。これでざっと1時間半。一緒に(って私は除く時もあるけど)食事をとってから帰る事もあります。

で、先生が帰り、父が帰ってきて(先に父が帰っている事もあるけど)11時頃まで家族でTVみたりと過ごしています(弟は先に寝てしまうことあり。我が家は全員B型なので自分のペースを決して崩さないという恐ろしい一家。そして寝るころになるとまた、父に抱かれ、就寝部屋へ。私は母と寝ています。
隣の部屋では父と弟。何かあった時、父は地震が来たって、目覚めませんから…。

就寝前に人工呼吸器をセットして、自動夜間腹膜透析をセットします。
それから、日中のケアの合間や時間がある時は福祉の教科書でちょっことお勉強。まぁ、教科書を読むことしか出来ないですが…

これがざっと、平日の一日です。
土曜日も…これと同じかな。日・祭は訪看の訪問がなく、代わりに先生が追加点滴やら持ってきて処置してくれる。時間はだいたいお昼過ぎ。

日曜日は皆さん朝寝坊。土日は食事が許されるのでみんなと一緒に朝食(いや昼食…?朝昼兼用が多い…)。で、日曜日は週に1度の血液透析日。母と私でその作業を行います。って言っても私はほとんど、口だけ。自分の出来そうなところは片手でしますが、感染のリスクを考えると片手での操作は危ない…。

その後は往診の時間まで待ったりゆったりと過ごします。そして、布団に入ってから母に本を読んでもらったり、いろいろ話したり、親子の時間を楽しんでます。

それがだいたいの私の一日。朝から母の天然ボケっぷりに笑わされたり、父のまぬけな質問に唖然としたり、弟のしぐさに和ませてもらったり、時に私がネタになります。そんな笑えるこの家族が好き。
なんでも言い合えて受け止めてもらえるこの家庭が好き。いつまでも続けばいいと願う、この幸せの時間。
だれも犠牲になることなく、だれも自分を責める事なく、だれも他者を恨むことなく、今生きているこの瞬間を感じる事が出来ればいいと、願う。
毎日同じ事をしているようでも、実は微妙に毎日変化があって、それを時々気づかなくて退屈な事もあるけど、今日という今という同じ時間は二度と訪れないのだと、だから私は今日を、今を精いっぱい生きようって、何年かして振り返った時、あの時の自分は精いっぱい生きた、と言えるように時間を大切に今を生きたいと思う。
【2007/06/23 16:05 】 | 日々の日常 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
障害者社会参加について
先週、PTをお休みしたので、今日は2週間ぶりの訪問リハビリだった。

リハビリしながら、先生に質問&おしゃべり攻撃・・・。これからの事とか、漠然としたことだけど、話していた。
短期間に集中リハをして、回復する事はないのかと、質問すると(自分でも分かってんのに、何言ってんだ・・・って後悔)。

リハをし過ぎると筋肉細胞が壊れゆくから、何より再発にもなりかねないから、回復という意味ではまずは考えにくい。
先生は現在の、遺伝子解析(オーダメイド医療)や治療、治験の事なども、知ってる限り話してくれた。

後、障害を持った人の社会参加の事について。
障害を持ってる人も、その個人の持つ能力を生かす社会。というものについて。
まだまだ、日本は何から何まで、遅れているんだなぁと思った。
古く昔から、障害者は保護するべき存在という歴史があるから。

障害を持っていても、周りや機械のサポートによって、個人の能力は生かされる。そういった新しい歴史を作っていこうとしているのが、アメリカなんだよね(ADA法)。
あたしは在宅で活かせる資格はないのか、考えてるだけ。
やりたい事より、出来る事を優先してしまう。
それでは、長く続かない。と分かっているのに。好きな事だから、長く続くんだよ。と。でも、それにはあまりにも障害物が高いなぁ・・・。好きな事、やりたい事は山ほどあって、なりたかった・就きたかった職業もちゃんと、存在していたのに。

現実は選べるほどはなく、正直、選べる程の余裕もない。
もっとも、これが社会参加という形となれば、介護の必要な人間を、雇う程の余裕はないのが、また現実なんだなぁ。

「自分の事は自分で出来ますか?」
「着替えは?トイレは?」
「車は運転できますか?どうやって通うのですか?」

コレが日本の企業の、障害者雇用における基本。
個人能力を生かす社会参加は、その人の障害や体力に合わせ、問われるのは、能力のみ。
こんなに情報社会になったのだから、どこにいても全国や世界に繋がるネットなどを活かし、もっともっと障害を持った人の能力を生かすべきだと思う。

なんて言って、あたしは、パッパカパーとリハして回復するなら、回避できる問題なのに・・・。と今日は質問したのになぁ。良くなりたいよ・・・。

この体で生きていくのって、厳しいなぁ。出来ない・難しいなんて言ってたら、いつまで経っても社会に認めてもらえない。
出来ない事をどう工夫して、活かせるようにするか。やりたい事を次々とチャレンジしていくこと。それが成功への第一歩なのだと。障害持ってても、着実に成功への道を歩んでおられる方々には、頭が下がります。

あたしは・・・到底なれそうにないから。抱えているものも、条件も、環境も違う。
それって、当たり前の事。自分に与えられたこの場所で、どう自分なりに生きていけるか。

リハビリの先生は、病院で関わるのみの毎日だと、病院から出た患者さんの、その後のこういった問題が分からない。だから、いろいろな資格をとって、勉強してるんだ。と語っておられた。何か、すごくかっこいい。
いつも自分の知らない世界を知ろうと、視野を広めてる人って、いろいろな事を知っていて、情報も多く持ってて、それが人のためにもなって、すごい。
魅力的な憧れの人だな、と思う。・・・って憧れても全然近づけない、あたしですが・・・。PTの先生の専門は、小児の神経学的理学療法です。まだ20代で若いけど、いろんな資格とってて、以前はこども病院にもいたからなぁ。スタッフからも厚い信頼受けておられる。

そんな先生と出会えて、よかった。
先生、ありがとう。
見捨てないでいてくれて、ありがとう。
【2007/06/23 16:01 】 | 日々の日常 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
神経内科の先生の生き方。
今日は神経内科の往診でした。

何か、今日はいろいろ話した。
人間対人間の会話。大人社会についての話とか。
先生は大人な人だなぁとか思った。
物の見方や考え方に尊敬した。
とても勉強になりました。お話聞けてよかったなぁと思ったし、聞いてもらうだけでも相談してよかった。
人の生き方についてとか、人生観についてとか、そういうのを話せる先生との関係は感謝しています。

この先生は、多くの神経難病のお子さんや患者さんを診て来て、ご自身の人生観も磨かれて行ったんだろうなぁと度々思わさせてもらってます。

あるドクターの言葉。
「医者が患者に教えるんじゃない。僕らが患者さんに多くの事を学ばせてもらってるんだ。」
この言葉を言い残して、かっこいいくらい余韻を残して、去っていったあの先生は、今ごろどうしていらっしゃるかな?

今の神経内科の先生との出会いも、文字には出来ないくらい、多くの思い出とともにエピソードがある。
それはここに書ききれるくらいあっさりとしているものでもなく。でも、とにかく、この先生との出会いで、私自身多く助けていただいたし、私を17歳の子どもとしてではなく、一人の一個人として、接してくださる。
話す言葉も成人患者さん相手みたいに丁寧だし、不安に思っていることはとことん答えてくれる。
それが例え自分の診療時間外のことであっても、外来でも何時間でも付き合ってくれた。だから、いつもこの先生の外来は待ち時間が長かった。
それだけ、一人一人の患者さんに誠意を持って時間を持って接してくださるから。

大切にしたい。先生と過ごす時間。多くのものを教えてくれて、気づかせてくれて、ありがとう。
頭いいのに、決してそんなそぶりも見せず、偉いのに、全然偉そうじゃなくて。

私が「先生のお陰で大切なことに気づかせてもらいました。」っていったら、「僕は何もしていませんよ。気づいたのはあなたが自分の力で気づいたのです。僕はそのお手伝いをしただけです。」って言ってくれた。
あくまでも、気づいたのは自分自身だからと言って。そんな少し謙虚な先生も好き。
でも、ビシっと言ってくれる時は、相手が子どもだろうが言ってくれるから、そんな先生だからこそ、頼もしい。


昨夜はあまり眠れなかった。痛みもすごい。でも、いろいろ考えると・・・。
病気持ってるとか関係なく、人って生きてるといろんな悩みにぶつかる。
だけど、私は病気を持ってる立場として、言える事だけど、病気と付き合っていくうえで、セーブしなきゃいけない部分もある。
ブレーキが効かないと自爆してしまう。そんな一面が・・・あたしにはあるんだなぁ・・・。
あえて、自分から疲労やストレス溜める事とかは、なるべく避けたい・・・。一時状態が悪くなって、時間がかかっても必ず回復するものならまだしも、再発と言う形で障害に残る部分もある。
これ以上、失いたくないから、人生回避したい事はしたい。きっと今、ぶち当たってる壁は、リスクが高い。いつもそうだけど・・・。

けど、もう18歳にもなろう人間として、自分の事は自分でする。という責務も持たなければならない。決して病気だからと言う病人面に甘えてはいけないと思っている。
避けるか避けないかは、私の自由な選択。
人生は誰に背負わされるものでもないし、自分で決める事。
すごく迷うけど、いい事ばかりの世の中でもないし、みんなそれぞれ大変な事を背負って生きている。
これが時として、社会の現実なんだと思った。

今の世の中はすぐに、何でも手に入る。いらなくなったら、捨てられる。
無駄なものは、どこまでも排除でき、自分に心地いいものを簡単に選べる。それが幸せとも限らなくて、辛くてしんどい思いして、努力して掴んだ幸せは、私の中ではとても尊いものであると思うのです。
だから、今すぐあきらめず、出来るとこまでがんばってみるつもり。がんばってみたい。
本当はもっともっとがんばりたいんだよ。
がんばる気持ちは、昔のまんま。
決して衰えている訳でもないんだ。ただ・・・終わりはいつなのか、痛みから解放される日は死ぬときだけとか、元気になりたいって思えば思うほど、そんな漠然とした不安は襲ってくる。
身体も思うように動いてくれない。体力も落ちた。けど、この日々の中で乗り越え、培ってきた、心の中にあるものは、きっとこの先、今の私を支えてくれるだろうと、信じてる。

何か綺麗事っぽくて恥ずかしいけど、今日はこの気持ちを残しておこうと思った。

先生からは同じ車椅子ユーザー・寝たきりユーザーでも病気の特性や個人のそれぞれの状態を見極めて、理想と現実はあくまでも違う。

理想は高くにあっても、まずは足元をみて、地固めをしていくしかない。
その積み重ねが大切。と言われた。

いつになったら、私が描く理想に届くんだろう・・・。いっそ、あきらめた方が、現実的?とか思うけど、私は自分で選んだこの生き方しか出来ない。何より、今日は先生が理解してくれたのは、うれしかった。
理解どころか、背中をぐっと前に押してもらった感じ。

私のよくないところは、アクセル全開で、時々ブレーキがきかないとこ。
時には、セーブ・ブレーキも必要。わかっていても、難しい・・・。
それも、一つの勇気だと教えてくれた先生。

病気と仲よく・・・それは、私の病状から言っても、無理。こんな病気と仲よくなんてやってらんない。痛みと上手に付き合うなんて、そんなのは論理上のことですよ。

お偉いさんががんの痛みと上手に付き合う、みたいな本を多数出版されていますが、あくまでもお偉い方の論理上の話で、現実味がない。。のが、悲しく思う。闘病生活は悲劇のヒロインになれるほど、綺麗なものではないし、また悲観に浸ってばかりでは、現実は生きてはいけません。

私は病気と仲よく、上手に付き合うという、そんな病気ではないし、そうする余裕もないでしょう。
でも、短命でもそれが運命ならば、受け入れるしかないのでしょう。「運命は自分で変えられる!」とか、どっかで・・・TVでみたような・・・?じゃあ、変えてください。ってまたひねくれた考えを・・してしまった・・・反省。。

【2007/06/23 15:57 】 | 日々の日常 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
退院後のリハビリ。
午前中は、退院後の初のリハビリ。

退院後から、入院中に不運にも脳内出血を起こし、後遺症で軽度の言語障害が出てしまったので、PTと合わせて、ST(言語聴覚士)による言語発声訓練も受ける事になった。
というのは、これはまた、あたしの希望…。
先生には反対されたけど。やっぱり、何かしていたい。希望…なんてないけど、でもどこかで頑張っていたい。

そんな思い。STの先生は女の先生。
頭いいんだよぉ~!
PTも同じ土曜日なので、続けてするのは体力も持たないからと、曜日を変えてしましょうか。と言われたので、来週から火曜日にSTの訪問リハビリがあります。

午前だって。先生病院でのお仕事は?って聞いたら、あたし、火曜日休みなのぉ~、なんだって。お休みのところ、本当にすみません。
うちの病院には在宅部というものがないので、どれだけ皆様にご負担ご迷惑になっていることか・・・受け入れてくださって本当に感謝しています。ありがとう・・・。

何だか、今日はPTの先生と真剣に語りこんでしまった・・・。リハビリを今無理してするのは、病状的にも良くない。
リハビリすればするほど、回復する病気ではないし、他の疾患のことも考えると、筋肉をリハビリによって動かしすぎると筋肉細胞が破壊され、取り返しのつかないことになる恐れ。

分かってる・・・のだけど・・・。何かしていないと、不安。リハビリ出来ていたあの頃は、自分のためにしている無理より、周りの事とか考えて、無理してた部分があった。
結局、「自立」とか「社会復帰」とか、頑張っていたけれど、あたしの本当にやりたい事って、そんな部分になかった気もする・・・。あの頃のように、服を着替えたり、トイレするだけで、すっかり疲れ果て。
トイレに行くだけで、もう心臓鳴りっぱなし。
不整脈バクバク・・・。
このときほど、自分は心臓病児なんだ・・・って自覚したことないよ。。悲しいけど。
自分の楽しむ時間もなく、痛みや発作に耐えて、一日が終わる・・・。って、悲しい。

かといって、人に介護してもらう事の多い今も人疲れするんだ。でも、動けないから、仕方ない。
動かないんだから。割り切れる。割り切れる分、楽な事もある。そんな感じ。

PTの先生に、しばらくは機能的なリハビリよりは、雑談中心でいきましょう。と言われる。
上の先生からの指示らしい・・・?機能的なリハビリをしてても、回復は望めない。精神的リハビリを重視すべきか?今日は足が痙攣したり、腕がしびれたりし、その時の対処法などを教えてもらった。

リハビリの先生は、すごく頭がいい。まだ若いのにたくさん勉強してらっしゃる。
PT学だけでなく、この先生は小児のPT士で、ほかにも神経学的な事などを専門とされておられる。いろいろと勉強になります。

目がおかしい。焦点がずれる。めまいがする。頭痛。座るというか、座位が保てないので、クッションで支えられ、PCに向かってる時とか、意識を失う発作を単時間のうちに繰り返す。
本を読もうとしたら、そうなったので、あきらめた。
大好きで、文学少女とまで言われた本好きなあたしが、本を読むことすら出来なくなる。

いったい、どれだけのものを、奪えば、気が済むのですか?

薬の副作用まで抜けず。というか、ずっと抗がん剤も続けているので。手のしびれも相変わらず・・・。
あたしは一体、どこが健康なんでしょう・・・?

訪問看護師さんとも最近仲がよい。ていうか、仲よくしてくれてるんだろうね・笑。
あまり細かな事は、要求しないように気をつけるようにしてる。
細かな事というか、場合によっては、当たり前な事なんだけどなぁ。病気の事や状態は把握して欲しかったり、患者さんが多いから、患者側が思うより、現実は難しい事なのかも知れないけど。
でも、患者が完璧を求めると、看護師さんを疲れさせてしまう・・・。事故にならないといいんだけど、体・命を預けてる身としては、『間違い』はあってはならない事。

また、『知らない』と同じくらい、『勘違い』や『思い込み』も怖いんです・・・。難しいね・・・。
でも、看護師さんには感謝しているし、みんな一生懸命してくれる。24時間緊急体制になって、前より在宅の体制が改善されている。
その分、スタッフの皆さん大変な中、がんばってくれてるし、十分彼女たちのがんばりを認めたいと思う。患者を評価するだけではなく、そういう現場で全身全霊を持って患者と接しておられる現場のナースたちをも、評価して欲しいと切に願う。
【2007/06/23 15:51 】 | 日々の日常 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
文字を書くこと。
最近、日記を書くことに何の意味があるのか、問う自分がいる事に気づく。

本家サイトを開設して、2年。
決して人様に勇気も自信も希望も夢も与える事が出来たサイトではありませんが、ここを訪れて、ずっとこんなつたない管理人の日常をつづった日記を読み続けて下さった皆さん。
多くの方からメールも貰いました。中傷もありましたが、それは極僅かで、大半の方々が応援して下さいました。

沈んでるとき、
「あなたの文が大好きです。」
「私はあなたに勇気をもらいました。」
「これからも書き続けて下さいね。」
「このサイトが大好きです。」
そう言ってくださった方々。
私は決して、人様に自慢できるような生き方をしてきた訳ではありません。
生まれたときから、ただ必至で毎日を生きる事だけで精いっぱいでした。
その生きた過程を言葉という活字に託し、文字と出会い、文字を書くことと出会いました。

ここを開設したのも、いつかの日に、そう遠くはないであろう未来に、書き続けてきた日記が自分の手では書けなくなった時、書き続ける事が出来るようにと、ここを開設した次第です。

決して多くの方に知ってもらいたいとか、見てもらうために立ち上げたわけではありません。
誰も見なくていい。ただ、私が私であり続けるために、私が私で生きていけるために、文字は必要で、書く手段がある限り、書きなさい。と言ってくれた人がいたから、私は非難を浴びても、ここまでここを続けられてきたんです。

しかし、最近になり、私の文で嫌な想いをさせてしまったり傷つく人がいるならば、ここを続ける意味も価値もないと思います。
以前は、私が書き続ける事が出来るまで、ここは続けたい。とずっと、思ってきた。
それは、いつかの日に、私の死後、この文字たちが、私の人生を語り継いでくれるだろうと思っていたから。

でも、もしも。
私の書いてきた文字で、傷つく人がいるならば、ここは閉鎖するべきだとずっと思ってきました。
ネット上。いくらでも偽りも書けます。
真実を曲げる事も出来ます。
でも私は、自分の人生に、これまでの生きてきた過去に、偽りを書いてきたつもりはありません。
ここだけには、正直に素直な自分でいたかったから。つらければ現実逃避する事だって出来る。
嫌ならば書かなければいい。
でもそれは、私には出来なかった。誰が見ているか分からないネット上で、言葉として発信する時。
いつも不安があります。真実を書くことで、嫌な想いする人もいるかもしれない。いたかもしれない。
ここには、私のありのままの事が書かれています。
恥ずかしい事でも、思い出したくない事でも、情けない事も、怖い事も。
でも、それは私のある一部のものでしかありません。日記は私のすべてではないです。
私の日常をすべて反映している道具ではないです。

病状の起状も激しく、いつ書けなくなるか分からない。その恐怖といつも一緒・・・なんです。
いつも今日の日記が、最後になるかもしれない。そんな思いで、書いてるんです。
私の日々を綴るという事は、暗い・重い内容になっていたのも事実です。
私の日常は、そういうものだから。
読み手がいるのに、希望も何も与えられない、ただ来て頂いては心配させて、暗い想いにさせてしまうだけ。

だったら、日記を書いてる意味なんてない。
ここを閉鎖しようかとも考えていました。今のままではそうなっても、仕方のない事かと。
こんな私に文字を書く資格なんてないと思う。
それを世間に公開し、伝えていく力もないと思う。
ただ、私は私の視点で、我の狭い世界で、生きてるだけの人間。公開する意味なんてない。
それでも、一人でも、書き続けて下さい。と言ってくれた人がいるから、文字として発信する向うに、読み手がいるって素晴らしい事だなと思うようになりました。

私のこんな拙いつまらない文が、どれだけ皆様の心にどのように、届いているのか分かりませんが、少なくとも、見て下さってる方々が、応援していただいてる方々がいる限り、あたしはここで文字を書き続けてもいいのでしょうか。

そろそろ、潮時かな。とも思い始めています。ただ、自分の中では、まだ書き続けられなくなるまで、ここを続けたい。
ここで出会った皆様との出会いを大切にしたい。とも思っています。ただ、書き続けるなら、何もネットで公開しなくたって、メモ帳に書き残せばいいわけですし。

ちょっと、文字を書く事から離れてみようかな・・・でも、きっとあたしには、無理だろうな・・・。。
活字中毒なあたしには・・・。何か自分はダメ人間だなぁ、と思えて。ほんとにダメな部分、いっぱい持ってて。
何してもうまく行かない時は、あるものだけど、どうしようもない時もあるんだなぁって。

今は、そんな時期なのかなぁ・・・。。生きてると、あの時自分の選んだ行動は、正しい事だったのか正しくない事だったのか、答えが分からない事に、何度も出会う。

ずっと、夜が怖かった。小さい頃から。何だか漠然とした不安を抱えて。
日が昇り始める明け方にようやく眠りに落ちる感じだった。
それは決して、夜更かししてる訳でも、怠けている訳でもない。怖いからなんだなぁって。。
何に怖がってるのか。それは迫り来る死に対してだったかも知れない。ことに、気づいたのは、ごくごく最近でした。

今でも、眠れぬ日々が続きます。
それでも、朝は来て。そして一日が始まる。
そうやって、月日は経ち、やがて何かを得るのでしょう。
私はそこまでの領域にはまだまだ達していないようだけど。

なんだかんだ言っても、今日も夜を迎え、そして明日がまた来るのでしょうか。
今夜は痛みがなく、眠れますように・・・。

そして。
この先も生きていくことが、できますように・・・。
【2007/06/23 15:46 】 | 想うこと | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
悩みの重量
先日、仲間の一人が就職した。
彼女も重い障害を抱え、幾度も就職難なこの時代に、蹴られても来た。
一度就職出来ても、理解ない職場の同僚や上司などで精神をやられていった。
そんな彼女から、メールが届いたとき、どうしても心から素直に、おめでとう!といえない自分がいた・・・。

同じように障害持ってる仲間の中で、同じ目標に向かっていても、みんなが全員、到達点までたどり着けない。
その中には、体の事や病気の不調で、立ちどまってしまったり、去って行ってしまうこともある。

そういった、少しでも、自分の障害の経験を通して、人の苦しみが分かる者同士だから、自分の事以外の、他の人の気持ちも感じて欲しい。
ほんとは、おめでとう!って、一番に、分かち合える仲間でいたい。みんな、大人だなぁと思った。

後で考えたら、あたしは、自分の挫折と自信のなさを通して、人の成功を妬んでいるだけなのかな…。
そうだとしたら、情けない人間だな・・・。
ほんと、寝たきり生活は仕方ないと受け入れても、健康な体が欲しいよ。
ちょっと、この体はきついな・・・と実感する。それでも、出来る限りは、あきらめない!

人は人、自分は自分。結局は、その自己解釈にたどり着く。

精神的に苦しかった。
人間関係、自分自身との向き合い。
只今、心のテンションが落ちているのは、その内にたぶん、回復すると思います。

世の中って、矛盾したことがあるなぁって思う日々。
個人的な悩みって、理解するのも、されるのも、難しいなぁ。と思う。

それぞれ、生きる場所も、居場所も違う。あたしの悩みも、
「なーんだ、そんな事。」って大きさかも知れない。
「えーーーーーっ。」って大きさかも知れない。

結論は、自分と向き合え!って事です。
逃げれるような、悩みには、悩むな。
逃げれない、逃げたくないなら、いっぱい悩め。
後悔しても、悩んでたことには、誇りを持て。
はじめから、後悔という逃げ腰の、向き合い方はするな、って事です。

自分の人生は、自分にしか出来ないことがある。今のあたしは、自分自身と、大切な周りの人との、小さな世界の事しか、日々考えられない。
社会にも出ていないし、未熟だなぁと思う。
もっと広い視野を持つと、いろんな考えや生き方を知る。人は欲を言っては、キリがないけど。
それは、その人それぞれの希望であって。

たとえば今のあたしは、寝たきり生活でも、自分で自立できているレベルの人たちが(トイレ・着替え・車の運転など、日常生活全般が自力→他人の手助けなく出来る。)自分の障害を理由にしているのをみると、いい思いはしない。
人はそれぞれ、ここはもっとこうだったら。とか、あの時、こうしていれば。とか、抱えてるものだったけど、障害を持ってる分、そういう思いとの葛藤ってのは、あると思う。

けど、そのすべてを、たとえば、自分の今の人生の納得行かないのを、全て障害のせいにする、しかも本人は努力しようとしない(他人に動いてくれとばかりの態度)は、どうかな?って思ってしまうのです・・・。それに、かわいそうに・・・と、動いてしまう人も、どうか・・・と・・・。そりゃ、愚痴も弱音も吐くよ。
あたしも、そう。けど、愚痴と弱音と、いかにも自分は悪くない!正しい!ってのとは、違うと思うんだ・・・。

努力をしている人は、しているよ。
それは、健康な人も同じでしょう。

あたしは今、やりたいことがあり、それに向かって、厳しい治療も耐えれる。
それだけでも、幸せな事なのかもしれない。そのためなら、努力もする。頑張る事は、楽しい。けれど、どうしても体がついてこない。出来る事が、出来なくなること・・・。

その現実は、悔しくてたまらない。
いつかは、現実と直視する時が来るだろう。
そんな事、思いたくも、見たくもないけれど。だからこそ、毎日、自分自身とちゃんと向き合っていたいと思うのです。

結局は、出来る人は、出来る。
出来ない人は、出来ない。
それが、現実です。
時には、出来るフリしてごまかしている。当たり前だけど、ごまかしは、いつまでも続かない。

弱くて脆い人間です。あたしは、そんなつまらない人です。とりあえず、今のあたしは、今日のあたしらしく、歩むのみです。
一日、一歩ずつ。

たとえそれが、後退していく一歩だとしても・・・。自分の小さな世界しか、まずは大切に出来ない。
そこから、始めるのみです。
あたしは、あたし。
それでいい。
【2007/06/23 15:41 】 | 日々の日常 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
書く楽しみ。
書く楽しみ(4月)

いつも本家HP・ブログを訪ねて頂き、こんな管理人のつまらない日常を読んでくださり、本当にありがとうございます。

今年の6月で、ここを立ち上げ早くも2年の歳月が流れました。
メールを下さる機会も、多くなりました。とてもうれしいです。
全ての方にお返事が出せていない状況ですが、読んでいます。一人一人のやさしさを感じています。

この日記って、どんな方が読まれているのかな?(知り合いを除き)とこちらから見えないだけに、ふと、知りたくなる時があります。メールやカキコを頂くと、とてもうれしくなります。
メールくださった方、レスしてくださった方、書き込んでくださった方、全員覚えています。
誰かに宛、書いたものでも、ただ私自身の半生を書きしるしたい一心で、日常を自分の狭い我の視点でしか物事をみれず、その心で、感じたことをそっくりそのまま書きあらわしている次第です。

自分の中では、「読んでくださっている方がいるんだなぁ~」ってなんだか申し訳ない気分です。
ここには私の日常を隠さずありのままを赤裸々に書いているので、ナイーブな方は傷つかれるかもしれません。
ショッキングな状況も含まれています。でも、これが私の毎日であり、これが私の病状ですので、何も隠す事はないと考えています。ここを読んでくださっている方の多くは、ある種の覚悟をして読んでくださっている方が多いのではないでしょうか。
心配させてしまっているお友達もたくさんいます。応援してくださっている方たちもたくさんいます。

私はここで、この場所で、文字を発信することしか出来ませんが、いつも皆さんの温かい心に、触れています。
それでも毎日、読んで下さる方がいて、本当にありがとうございます。
ネット日記は、読んでもらうことで、書く側も何かの自分へのプラスがあると思います。ノートとか自分だけに書き読むものなら、自分にやさしく書ける、いわば、自分中心にいくらでも自分保護で、突っ走れるかな、と。

はじめの頃は、日記を公開することに大きなためらいと迷いがありました。私はここで、自身の抱えているものの大きさをひけらかし、同情を集めたかったわけでも、骨髄バンクや献血のドナーになってくださいと、お願いしたいわけでもなく、ただ長年書き続けていた日記が、自分の手では書けなくなったとき、私はきっと自分を再び見失いそうな気がして、そうなったときに、生きる意味を見失わないためにも、このデジタルという世界に、私自身の思いを託したまでです。
しかし、ひいては、こうして公開することで、客観的に自分を見つめる目というのも、養われてきました。
文字を書き続ける事で、成長してきた自分がいます。でも、最終的には、それも自己満足なんですけどね・・・。

自分の書いた文字がみられる恥ずかしさは、今もあります。文字って、気持ちの裸でもありますから。
人はそれぞれ考えが違う。出すほど、叩かれるというのもあるわけです。
だから、書くのが怖いというのも、ある。自分を守りたい、安全圏で守られたいという弱さもあります。
沈黙も大切・・・。そんなバランスをうまくとりながら、ここを今日までどうにかこうにか続けられてきたわけですが。
私は、そのバランスも悪い。。自分で自分のバランスが取れず、ドキドキハラハラしっぱなしの情けない管理人なのかもしれません。
そんな私に、支え、見守り、いつも元気を届けてくれる仲間や皆様に、本当に感謝しています。
この場を借り、改めてお礼申し上げます。

小学生の恩師にこんなことを言われたことがありました。
「書く手段がある限り、書き続けなさい。あなたにはその使命があります。書く事から逃げては行けません。それは自分から逃げるということです。堂々と書きなさい。あなた自身の言葉で綴りなさい。あなたには人を引き付ける力があります。」
私はその先生によって、文字と出会い、今日まで文字を書き続ける事が出来た。
読まれるのに、慣れたい・・・。恥ずかしがらず、これが私の日常だと、文字で綴りたい。全く文章力もなく、何の魅力もない私です。表現力もない。読まれる方には、退屈なくだらない未熟な話にお付き合いさせてしまってるかも知れません。
それでも私は、書く楽しみ、幸せを、知りました。
これからも、文字というものについて、生きている限り、学びたいと思います。

思えばあたしは、こうして日記ひたすら更新するだけで。
こちらからの交流って、してなかったんだと気づかされた・・・。
いや、あたしはそんな、自己中心的な人だとは知ってたけど・・・。自分がこうして私生活を公開する。って行為に、最近、迷いや複雑なものを感じるんだ。
ふと聞いた話だけど、たとえば名前を勝手に使って、どこかにカキコされたり、アドレスを勝手に公開されたり。
文字だけでは、だれがだれなのか分からない。信じる・・・しかないものね。そういう、怖さ。知ってたつもりなんだけどなぁ・・・。私生活をあからさまにするって事は、他人の関心を引いてしまうこと。それは面白がってとか、興味本位とかにも繋がるんだし。決めつけたくはないけれど・・・。

あたしにとっては、ネット=外との接点だし。ネットで出会えた友達は、大切な宝だ。
でもそれぞれ、ネットへの価値観って違うものなんだな・・・と思うと、寂しくなる。でも、ネットでつながって、かけがえのないものとも、出会えたんだ。
それは、ずっと大事にしたいな。


それが、今の、文字に対するわたしの本音。

【2007/06/23 15:36 】 | 想うこと | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
失うということ。
失うこと。(4月)

ある病気で片足を切断した女の子がいた。

その子とは10年来の友達だった。
片足を失ったその子は、
「もう一度、ミニスカートを履いて、颯爽と街を歩きたい。」
という夢を持っていた。従来の義足では、銀色の義足が剥き出しになり、とてもミニスカートは履けない・・・。
それで、切断していない足に近い、肌色の義足をつくることになった。しかし、出来上がった義足を見て、彼女が注文した事は、「膝小僧がほしい。」だった。その思いに答え、完成した義足は、以前会ったときに見せてもらったが、義足とは思えない出来栄えだった。

何かを失うということは、それまでの本来の自分を失うことでもある。

私は冷えるといけないからと、スカートは履かせてもらえなかった。腎臓やお腹を冷やすと、発作を起こすから。それでも、ミニスカートを履いてみたい。と思ったこともある。夏にちょっとだけ許してもらって、母に買ってもらったら、父にものすごく叱られた。
母は、叱られている私を後目に、ニタニタ笑っていた・・・。
後でなんで助けてくれなかったの?と問い詰めると、「お父さんはあんたが可愛くてしょうがないんや。それに、そのスカート、めっちゃ短いから、それでお父さん怒ったんもあるんやで。」と。
確かに、私が選んだものは、ギリギリのミニで、買う時も、母と、お父さんが怒らないかとひやひやしながら、買ったものだった。
父にとってはいつまでも可愛い娘なのだろうか。
一回だけ着て、祖母んちに見せに行った限りで、そのスカートは履かなくなった。もう一度、履いてみたいと思う。けど、もう年齢的に限界か・・・汗。

また車椅子ユーザーの友達にも、何人かそういった悩みを抱えている人もいる。
車いすに座って、皺にならず、履きやすく、トイレなどにも対応しやすい。というリクエストに答えてくれる洋服って、一般の売っているものでは、なかなか見つかりにくい。
スカートは座る状態では、何cmか上にあがる。ずっと車椅子に座っているような人は、その辺も考慮して、スカートの丈を合わせないといけない。それに、私が今欲しいのは、ジーンズ。
元々、ズボン派で、ジーンズが好きだった私は、病院で緊急入院になる時でも、苦しいからパジャマに着替えなさいと先生から言われても、着替えなかった。
なかなか、車椅子で履きやすくて、脱ぎ着もしやすい、というニーズに答えてくれるものは、ない。介護してもらうにも一番人気のないものは、ジーンズ。
これは生地の都合上、とても履かせにくく、脱がせにくいものらしい。
デザインもお気に入りで、脱ぎ着もしやすくて、履き心地のよいものに出会うと、「いつもその服を着ている・・・」という定番のものになってしまう。。
もっとレパートリーを増やしたいと思うのだけど。。

それに、私はむちゃくちゃ小さいので、いまだに子ども服。サイズは早くも弟に抜かされました。
弟のズボン、履けます。ジーンズとなると、ウエストもめちゃ細いので、だぶだぶ・・・。丈も調整してもらわなければなりません。
でも今の私は、パジャマか介護しやすいジャージなので、そんな話は、もっともっと遠いものですが・・・。

障害を受け入れる事は、あきらめる事ではなく、私はすべてを受け入れてはいない。
人間ってそんなシンプルには出来ていないもの。

最近歳を取ることも、失うことかな?と、感じ始めた。そういう年齢なのかな?まだ早い?若い頃は、平気で出来ていたことや、言ってたことが、恥ずかしくなったり。「もう年だし。」の一言であきらめたり。でも、まだまだ、あきらめるのは早いと思う・・・。

だけど・・・どうしようもない。しかたない。
という想いも・・・あるのだ。
これは、あきらめ・・・になるのだろうか・・・。


【2007/06/23 15:24 】 | 想うこと | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
大人になれないコンプレックス
車椅子になってから、同じように車椅子生活をしている人とか、同じような病気や障害持ってる人と、知り合いたいと、友達になりたい。とすごく思った時期があった。
その次には、障害・病気を持った人と距離を置いた時期がありました。

それは、自分の中で、障害・病気を認めたくない気持ちがあったのと、同じように障害を持った者同士でも、それぞれの違う人間で、全てはわかりあう事が出来ない事に気づいた(障害や病気の原因も程度も症状もそれぞれ違う、それ以前に、性格も考え方も当たり前に人それぞれ。分かり合えるはずと求めた分、その埋めあえない距離が大きく感じた)。
そして一つ、あたしが決定的に心に傷を感じたのは、
「あなたは所詮偽善者。人の痛みなんて誰にもわかりっこない。」
と、ボランティアで関ったある女の子に、言われた言葉だった。

あたしは、小学校5年から6年までいじめを受けた。
5年生の時は学級崩壊で、担任だった男性教師が女子生徒にひいきをしたとかで、生徒からいじめを受け、担任が不登校になった。
担任の不在の時は教頭・校長自らが授業をしたという体制だったようだ。
あたしはその頃長期入院を繰り返し、ほとんど行ってなかったからいじめの全容を知ったのは、クラスに戻ってからの事だった。
長い事休んでいて、登校できた時には、担任が変わっていた。
それで、いじめのある事実を知ったんだ。新しく担任になったのは、他校から来られた女性教師だった。
彼女は多くの養護学校などで重度の障害を持った生徒を受け持ち、真剣に向き合っていた先生だった。
彼女一人の手で、あれほども荒れ狂っていたあたしの学級は、立ち直った。
そして、あたしたちが卒業するまで見守ってくれた。
彼女が私に文字を書く楽しさを教えてくれた人であり、人生の恩師だ。
だが、そのクラス内でのいじめはひどいものだった。あるターゲットとなる子を的に絞り、クラス全員で、無視・陰口・言葉の暴力。
それは次第に、体が弱く休みがちなあたしへと向けられた。

だが、もう一人クラス内で同じようないじめを受けていた女の子がいた。
彼女は、転校してきたばかりの子で、同じようないじめだった。
掃除の時間、あたしは埃を吸うと発作を起こす事から、保健室か養護学級にいくように言われていた。
でも、帰ってきたら、あたしの机だけがそのままにしてあった。同じいじめられてた女の子が、あたしのそのままになってた机を運ぼうとしてくれたら、
「バイ菌移るから、やめとき。」といわれた。
あたしは、「なんでバイ菌うつるん?」
分からない謎ばかりだった。みんな、プリントとかを配るのを嫌がり、休んだら欠席カードという連絡簿を家の近くの子が持っていく事になっているのだが、休みが多くなるとそれすらも、満足に持ってきてくれなかったりした。
正直、あたしはオトナシイ子だった。目立たない、でも登校した日には進んで手をあげて、みんなが嫌がる仕事も自ら引き受けていた。
担任にも積極性があると一目置かれていた。それが、彼らにしたら面白くなかったのかもしれない。
でもあたしには、耐えられた。休みがちだから、明日には登校できるか分からないし、また入院になって、長期欠席になるかもしれない。
みんな、「同じようにいじめに遭う標的になるのが怖くて“傍観者”」になるんだと、その時のあたしには、わかっていた。
むしろ、毎日学校という世界にいない、あたしには、そのいじめの光景は、幼稚に見えたし、馬鹿馬鹿しかった。
だけど、みんないじめはストレス解消に楽しくて、イジメラレル側にはなりたくないから必死だというのは、何となくわかった。

小児病棟でみたいじめとどこか似ていて、病気の辛さや治療や検査の憂鬱、病院に閉じ込められた狭くて小さな世界。溜まったストレス発散とかのために、いじめがあった。
特になかなか退院できなく長期入院が続いている子が退院する子めがけて。
でも、どこの時代にもどこの世界にも、いじめは存在する。
それは人と人とが交じり合う限り、なくなりはしない。

中学に進学してから、あたしは病状が重くなり教室での授業を一度も受けた事がない。保健室だった。
だから、いじめが続いていたのかは分からないが、よく休み時間には仲のよい友達が、ノートをとって届に来てくれた事があった。あの時は、うれしかったなぁ。。もう、今は、連絡もしてないけど。
級友によるいじめは、あたしの中で、小学生時代に終わった。だが、中学になってから、教師による体罰・精神的な暴力に耐えた。一番しんどかったのは、中学だったなぁ。。
いい思い出なんて一つもなかったし。。
大人に絶望したのも、この時から。

いじめはどこの社会にもある。と割り切れるようになったのは、高校になってから。
だって、病気ならより、仕方ないし。
しんどさや辛さも分かるから・・・。
だけど、クラスの子たちは、みんな健康なのに、何に不満なんだろう?受験?つまらない学校生活?家庭?そんな言い訳に出来る?
正直、学校に行きたくてもいけなかったあたしには、分からなかった。
でも、クラスの男の子にはなぜか人気があった。これは自慢でもなんでもないです。同じ班になった男の子には、めったに一緒には過ごせない給食の時とか、牛乳で笑わせてくれたし、あまり面白くなくて笑わなかったら、しょげてたし。たぶん、先生から言われてたんだろうな。。「Ressarは、難しい病気のため、休みがちだから、登校した日には、やさしくするように。」そんな事が予測出来てしまった。

あたしが、遅れて母に連れられ教室に行くと、みんなの視線が、あたしに注がれる・・・そんな雰囲気。
テストも発熱で欠席。テストが返ってきたら、
「いいなぁ~、テスト受けなかったら、点数とか気にならなくていいね。」
なんて、平気でうらやましがられた。
病気になってなかったら、熱が出なかったら、内申がぼろぼろでいける高校なかったら、どうすんの・・・。悔しさや襲う不安なんて、誰にもわかんなかっただろう。
健常児で友達と呼べる友達が、学校にはいなかった。
でも、声かけて、子ども同士の付き合いで遊んだ子もいた。周りにはたくさんの友達がいたのに、なぜかあたしは、孤独を感じていた。
もしかしたら、私と同じようにいじめをうけていた、あの転校生もあたしと同じ、孤独だったのかもしれない。

楽しみも苦しみも、ともに分かち合える友達はいない。とても孤独だ・・・。あたしと一緒だと・・・。
だけど、それは同じではなかった。あの女の子は、学校に行きたくなくても、翌日には行かないといけない。あたしは、行きたくてもいけない。
どちらの方が、苦しくて辛いかなんて、比べられないし、重さは測れない、同じ天秤にかける事は、不条理だ。
あたしには、分からない事ばかりだった・・・。
中学も、あたしは友達を極力つくらないようにした。
彼らに何も求めなかった。
クラスにいないのが当たり前な存在。はじめからつくれない、だからつくらない。
とにかく行けるときに行く事。後は無事に、許可されてりいる2時間を過ごせるか。
体力が持つか?自分との闘い。

いじめの痛みなんて、病気の痛みなんて、そんなのなってみた人でないと、分からないよ。
あたしだって、自分の痛みはわかるけど、自分の痛みを知れば知るほど、人様の痛みは分かり合えないと思う。

障害や病気がきっかけで、いじめられる事は、よくあると思う。
それは、同じように、病気や障害とともに生きて過ごしてきた人と話して、知るようになった事。
悲しい事、辛い事・・・。
あたしには、ほんとうの友達のぬくもりは感じた事なかったし、クラスにはいなかった。
いないのと同じ存在だった。クラスの中に溶け込めない。どちらの立場にもいない、存在がない。
透明人間みたい。そんな自分・・・。
思春期という空白の時間。あたしもさみしかったんだよ・・・辛かったんだよ・・・。
先生や親に保護されて守られてばかりも、辛いんだよ・・・。
みんなと同じ時間を過ごせていない。
傷つけたり、傷ついたり、そういう痛みも分からずに・・・。休みがちなあたしに、距離をおかず、登校すれば話し掛けてくれたクラスメイトには、本当に感謝しています。

中学3年の時、その時期には動く事も出来ないほど衰弱しきっていたあたしに、卒業式間近だからと、担任への寄せ書きを持ってきてくれたり、そこにはちゃんとあたしが書くスペースもあけてあった。
試験が終わった日には、おかしの差し入れもって来てくれたとき、ほんとにうれしかった。
あえていうなら、中学3年の時が一番中学生活で思い出として残ってる。担任も変わって、その先生とは気があったし、もう一度あたしに教師としての信頼を取り戻してくれた。

クラスメイトは、「卒業式には絶対来ておいでな!歩かれへんかったら、うちらがおぶってたるから!」と言ってくれた友達。はじめて、健康な子の友達と呼べる子を持った、と思った。
卒業式の出席は、ドクターからもお許しは出なかった。卒業式の後、担任が、卒業証書を持ってきてくれ、一人だけの卒業式を行ってくれた。でもあたしには、印象的な卒業式だった。
その3日後、クラス全員が、家まで来て、あたしのためだけに、卒業式をしてくれた。クラス全員40人、仲のよかった子に下に降りてきて。とメールをもらって、感染症の危険から危なかったけど、降りたら、クラス全員が、男の子も、「卒業おめでとう!!」と大声で言ってくれたんだ。あの時は・・・びっくりしたけど、涙が出て止まらなかった。

あたしのための色紙まで書いてきてくれた。
一度も会った事もない子もいた。同じ教室で共に勉強した事もない彼らが、ここまでしてくれるとは思えなかった。あたしは、病気の関係で背が低い。チビ。
外に出たあたしに向かって、男子が発したひとことが、「ちっさ!」だった・笑。知らない男の子からは、「かわいい!」とか言われたなぁ・・・笑。
みんなは背が高かった。卒業しただけあって、髪染めてる女の子もいたし、ピアスしてる子もいた。
うらやましかった。たった、10分足らずしか顔合わせる事は出来なかったけど、身も知らずのクラスメイトと呼べるかどうかさえ疑問なあたしに、こんなサプライズを届けてくれた友達に、はじめて「友達」として受け入れられた思いだった。

1週間後、病院であたしは2回目の卒業式を開いてくれました。院長先生の言葉が頭から離れない。
「君は生まれてからずっと、病気と向き合い、多くの奇跡を私たちに見せてくれました。辛い事もしんどい事も、痛い事もあったでしょうが、全てをなおに受け入れるあなたの健気な姿に尊敬します。あなたは、ここにいるドクターやナースに、そして今日出席できなかった多くの人たちの心の支えとなり、多くの事を教えてくれました。あなたがこの病院で育った事を、誇りに思い、そしていつか、共に仕事が出来る事を、心より楽しみにしています。」
といわれた言葉が、印象的だった。最後の、いつか共に仕事が出来る事を心より楽しみにしています。の言葉が、妙にうれしくて、何度も日記に書いたなぁ。。

少し成長してから、ふと感じる事は、未だに、中学時代という思春期の空白を、あたしという人間形成に、成長できない要素かなぁ、とか思ったりもする。
あの教師による裁判事件がなかったら、教師による嫌がらせがなかったら。もっと快適だったかもしれない中学校生活。二度とはない、中学時代を、少しでもふつうに楽しみたかったなぁ。とも思うかな・・・。

またある人に言われた言葉。
「あなたは社会人の経験がないのだから、人間関係に未熟なところがあると思うよ。」
あたしは、学校も行けなかったし、無理を承知で中学生のころにボランティアでたくさんの人と関っただけで、働いた事もないし、働いてお金をもらった事もない。でも、父の姿をみてきて、働くのは大変、大人としての自己責任、それが大人社会で生きる基本と、いろいろ思ってきた。
生まれる前から、病気との付き合いの毎日。そればかりで、ほかに何をしたとか、身についたとかは、痛みに強くなった事と、病院のかかり方や、医者との付き合い方がうまくなったくらい?それさえも、難しいかな・・・。成長したものなんて、これっぽっちもない。先生や看護師さんに守られ、治療や検査を素直に受け、出来る事と出来ない事を制限される毎日。
自由から、程遠い毎日だった。自分の仕事というものを得て生きてきた、周りの友達をみると、時に自分と違うなぁと思うのは、折り合いのつけ方。
大人になるというのはある意味、上手にあきらめる事が出来るようになるという事。自分の力や周りの力で、出来る事と出来ない事が、見えるようになるのも、大人になるという事。あたしの中の、まっすぐな部分が、自分と相手との間で、突き刺さり、しんどく感じてしまう時がある。

生きていく、という仕事と、これまで毎日付き合ってきた、あたし。それにはいつだって、真剣勝負だし、手抜きは出来ない。自分の命を守るのは、自分しか出来ない。誰にも譲れない、守れない、あたしの毎日。もしかしたら、病気と付き合ってきた、あたしだから、感じた事、考えた事があったかもしれない。

生きてる事に自分や周りの命の存在に、感謝する機会なんて人生において、そんなにない事。病気との付き合いの中で、得たものもある。先生や看護師さん、患者仲間、そして家族。
あたしという小さな世界の中で、それなりに人間関係に、悩み、考え、成長させてもらった。だけどやっぱり、どこかで不安。社会経験がない事。これから先もおそらく。子どもも生めない。子どもを生むという事、育てるという事は、母になる事。子どもが好きで、体力があるならば、保育士にもなりたい!と思ってた事もあった。
あたしは結婚できるのか?子どもは生めないのか?子育ては?自分の事さえ出来てない者に人を育てるなんて事が出来るはずもない。でも、そんな女性としての普通の夢もある。捨ててはいないけど、あきらめも持っている。きっと、ずっと悩んでいくんだろうなぁ。

その歳らしい、人間になっていますか?と。
【2007/06/07 21:57 】 | 想うこと | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
伝えたいこと。
あたしは今まで、最高のドクターと出会い、最良の医療を受けてこれた。と自負しています。
けれども、医師と患者の関係を超えた、信頼関係を築く事は、それまでの道。決して平坦なものではなかった。
医師と治療の考え方の違い等で、対立もし、すれ違いも生じた。
私は今、自分が納得し、現時点で最善だと思われるの治療を受けたいし、自分の治療には納得と覚悟をして受けたいから、知らない事は聞きまくるし、知ってる事も聞きまくるし、自分で専門医並みに勉強もした。矛盾している事も、問いただす。
医療側からみれば、面倒な患者だと思うし、そう想われている雰囲気も感じる時があります。

私の病気は難病だけど、医学は日進月歩だし、日本や世界で、今、どのような最先端の治療が行われているのか?
自分で知れる範囲は調べるし、それが、自分に合っているか?は分からないけど、その部分で医師との感覚な違いはあるのかもしれない。
専門的な知識はあると言っても、あたしは素人。
学校で学んだ訳ではない。まったくの素人で、独学で身につけたもの。けれど、自分の体だから、知れるとこまで、知りたい。知り尽くしたいと思う。

でも、最近。
その、知りたい。と思う裏側に、「知り尽くす恐怖」も存在している。知れば知るほど、恐ろしくなる。
知らないと漠然とした不安が残り。
知りすぎると予後が見通せる確実化した恐怖が襲う。どちらがよいのか?
それは個人の裁量に、委ねられるだろう。

時には、先生にこんな治療はどう?とネットや本で調べた、意見を言うし、それが先生にしたら、失礼な事や生意気な事と受け取ってしまうのかも知れない。
それに、あたしにも、何事にも気長に。という長所がなく、焦る事ばかりで、我がままな部分もあると思う。

けれど、=先生を信頼していない。とは違うのです。
先生に聞いたりしているのは、信頼しているからだし、(先生の話の前後に)矛盾しているとあたしが思う事に問いただすのは、先生なら答えてくれるだろうと思うから。そもそも信頼してなかったら、外来も行かないだろうし、先生の顔もみたくないと抵抗する。

治療について、これでよいのか?今より他の治療法は?とか、悩み迷う部分もあって、自分でもいつも吹っきれる事が出来なくて、調べたり、聞いたりしてるのです。
そういう愚痴とか、訪問看護師さんがカルテに書いたりなんかして・・・先生の耳に入ったりする事もある。
先生のご機嫌損ねてしまう事だってある。
そんな時、あーもう誰にも言えないな。とあたしの中の信頼関係が崩れていってる感じもする。

そもそもこう言う事は、書きたくないんだけど・・・。
医師も看護師も、家族ではないし、あくまでも第三者。医者は患者と家族にはなれない。なってはいけない。あくまでも基本は、第三者としての意見や行動しか起こさない。
カルテに書くのは業務だし、読むのも仕事。
でもそこに、感情が動くのは、人間だから。
家族や友達なら、こんなすれ違いは起きても、話し合って埋めあえる小さな事でも、医療という現場ではなかなか、難しかったりする。
人の痛みを分かる人が、医療現場でどれだけ働かれているのか?
疑問も生まれたりする。
(反対に、医療従事者の痛みも、患者として分かち合いたいと思う。)

日本には、自分の意見を持ってる患者、こうして欲しいこれはして欲しくないと自己主張の持てる患者は、苦手だというような、印象を受けます。
周りは、話に聞く範囲だけど、依存的な患者さんが多いみたいだし、治療方針を話し合うのは家族が中心だとか、本人は話したくない、こうしてネットもメールもしたくない、うつ状態で、ベッドで一日中居る・・・という患者さんが大半。だという話をよく耳にします。
身体状態のレベルも悪く、末期の患者さんも多いのだけど、依存的な患者さんは得てして医療者からは扱いやすく、自分の意見をはっきり持ってると、自己主張が強い(我がまま・扱いにくい)といわれる。

自己主張が強い=我がまま・扱いにくい。
と思われている現況について。
何をもって、我がままと捉えられるのだろうか。
何か、確立したマニュアルでも存在するのか?
自己主張は、一個人の、人間として、当たり前の主張であろう。それを医療の場においては、自己主張が強いと、「我がままと」思われる。言われる。

げんきになりたい。と思うことは、我がままだろうか?
治りたい。と思うことは、いけないことだろうか?
例え難病で、治ることはない、進行性の病だと告げられても、かすかな希望をみることは、それを主張することは、自己顕示欲が強いといわれないといけないことだろうか?

自分の体だから、知りたいと思う。
愛する、守りたい家族や友人、大切な人たちがいるから、生きていたいと、思う。
その想いを、大切に、いのちを支えてほしいと思う。
あなたにも大切な人・守りたい人がいるように、患者にも大切な家族がいるんです。
彼らのために、自分が死ぬわけにはいかないと、働き盛りの人は思います。
自分が死んだ後の、家族の暮らしを一番に、考えるからです。
そうおもうのは・・・間違っていますか。
所詮医者も、他人事だから。
病気さえ見てれば、患者のことはどうでもいい。
そんなお医者さんが一人でも存在していることは、悲しい。多くの医者が患者を助けようと、生活を守ろうとしている。その傍らで、「病気」だけを見て、患者をみれなくなっているお医者さんがいる。
一人でもそういうお医者さんがいることで、多くの患者のためを思い、必死でがんばっているドクターたちの世間の見方や信用も落ちる。

どうせ医者なんて。どうせ医療なんて。
病気になったって、何もしてくれない。
そうして、どんどん、医療への不信は募っていく。

医師がすべて悪いんじゃないのに。
責任を、医師に転化している患者にだって、多少なりとも責任はあると思うけど。
でも、その両者の想いを確認し、埋めあうことは、今の現場では、難しいと感じる・・・切ないけれど、伝えられない想いが存在してしまう。

人間関係はお互いに、言いたい事言い合った方が、より深まり、だけど、何でも話してね。と言ってくれるけど、それは理想論の話で、現実はなかなか難しい・・・。
最近の若い人は傷つきやすい人も多いし、ほんとに自分の意見を言うと、意見を受け入れてくれなかったと、捉えられる事もある。
なんか、悲しいです・・・。

ケアを受ける側は、和やかな雰囲気で、お互いの関係を持ちたいし、決して、いがみ合ったり、信頼を失くすような関係は持ちたくない。
だから、言いたい事を黙って、医療者を受け入れる患者さんも多いんじゃないかな・・・。
でも、自分の体だし、誰も責任持ってくれない。
あたしの過去の誤診事件もそんな初歩的な事から、起きた事だったと思う・・・。

あたしはこれからも、今、自分がどうしたいのか?
しっかり考えようと思う。
人の気持ちや意見は、なかなか変える事なんて出来ない事だし、自分の行動や心の受け止め方を変えるしかない。
病院選びもそこから始まるのかもしれない。
私の周りのドクターたちは、とても良い信頼できる、患者の人生をも診てくださる素晴らしい名医に出会う事が出来、常に納得の医療を与えてもらえた。
その環境にいる事を、改めて幸運に感じ、感謝したいと思う。

また、重度障害者でも、車椅子でも、例え寝たきりとなっても、
今何をしたい。何を食べたい。何のテレビを観たい。何を買いたい。どこに行きたい。
は、人間として基本的な欲求だと思うし、たとえ、周りがそれによって、サポートという提供があっても、負担にならずに、お互いに適切な時に適切な量のサポートをしたい。
意欲的な患者さんが増えると、負担が大きくなる事も現実だし、時々、こちらが、意欲を失くさせるような、あきらめるような事を聞いたりしたくないし、して欲しくない。
綺麗事で終わりたくないし、出来ると信頼しているし、何が出来るか分からないけど、出来る範囲で協力したい。

そんな偉そうに、寝たきりの重度障害児が言っても、現場で働く皆さんには、何の慰めにも励ましにもならない。
患者って、こうして医療の中で埋もれ、あたしも偉そうに書きながら、自信喪失していくんです・・・人間として・・・。
うつ状態になって、何もやる気の起こらない患者さんの気持ちも分かるし、でも、みんなに心は元気になってもらえるような世の中にしたい。
これも、こんなあたしが、何できるかわかんないけど・・・。

まずは、何事にも自分の心にめげない様にすること。最低限は、自分を卑下しないようにしたいです。


最後まで、読んでくれてありがとう。
【2007/06/07 02:06 】 | 日々の日常 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
失すということ。
病気になって、失ったものは増えた。
あきらめたものも、あった。
手放さなければならなかった、夢もあった。

そして、失うものは、病気によって失くしたものでも、人によってそれぞれなのではないだろうか。
ある人は、事故で足を切断しなければならない事態だったり、ある女性では、乳がんで切除しなければならなかったりするだろう。
そして、求めるものも、行き先も、また人それぞれだという事を、ここで再度、確認しておかなくてはならないと思う。

私の場合、それが夢であり、女性としての機能であり、歩くことであり、息をすることであり、体の機能であり、子どもらしさを失う事であった。

良く聞く、「病気になったから、得たものがある。」というような言葉を、よく耳にする。
そして同じように、「病気になって良かった。病気に感謝している。」という言葉も同じくらい聞く言葉である。

そんな話を耳にする度に、そう思っている人たちの事を、心から尊敬してしまう。
私には、何年付き合っても、決してそうは思えないであろうから。
確かに私だって、病気が全て不幸だとは思っていない。病気だったからこそ、今の自分が存在していると思っているし、感謝もしている。同時に、病気であったからこそ、出会えた大切な人たちもいたわけだ。

しかし、病気は私から夢を奪った。そして今、生きる行為すら奪おうとしている。
その現実の中で生きる事が、どんなに苦しくて辛いものであるか。

「病気になって良かった。」
という言葉は、病を克服し、あるいはうまく共生しているからこそ、生まれる言葉であり、言える言葉なのだと未熟な私は、思う。


私の人生は、病気と共に生き、向き合ってきた。
しかし、その人生の全てが、病気や障害に埋め尽くされたわけでは、決してない。
あくまでも、病気や障害は、私自身の一部と思っている。
私は、寝たきりの女の子でもないし、車椅子の障害児でもない。
難病を背負いながら生き、寝たきり生活を送る、一個人だと思っている。

病気や障害で失うものは、人それぞれだろう。
そして、その捉え方も十人十色で、いい。
求めるニーズも、違う。

何かを失うという事は、それまでの本来の自分を失うということでもある。
私は、車椅子になり、寝たきりとなってから、自分というものを、失いそうになりながら、病気の後をついていくので、精いっぱいな日常を送っている。

決してそれが不幸だとか、不幸せだと思っているわけでは、ない。そう思った事も、ない。
ただ、そういう現実の中で、生きる事が、辛く、時には投げ出しになりたい時だって、存在する。

病気になったのは、確かに不運な出来事だった。
だけど、その事を不幸だと意識した事は、一度もない。
私は不幸に育てられた訳ではない。逆に、病気であったからこそ、親には健康な子どもに注ぐ愛情より、より深く強い愛情を受けたと自覚しているし、祖父母も私の誕生を心より楽しみに、そして大切に育ててきてくれた。
その恩は、私が生きている間に、きっと返せるだけの大きさではないだろう。
病気は私から、たくさんのものを奪い、あきらめさせ、人生に失望を与え、この世の絶望すらを見させた。
幼くして、意識しなくてもいい、死に対しても、深く見つめる機会を与えた。

人生を悟るのは、もっと先でいい。
死を語るのは、もっともっと先でいい。

それらは、10や20で語れるものではないと思う。
語るものでも、ないと思う。
人生について、生について語るのは、これから先の人生勉強の中で、学んでいくことだと思っている。
学んでいくべきだと思っている。

病気と向き合うという事は、想像をはるかに超えた、己との闘いである。

ある主治医が言っていた。
「病気になって良かったと思ってはいけません。病気は憎むべき存在です。それを受け入れてはいけないのです。」
あの先生の言葉を今、深く噛み締めている。

闘うのではなく、向き合うのだと。
受け入れるのではなく、見つめるのだと。

病気が運んでくれた出会い。それは大切にしたい。
しかし、痛みや苦しみや悲しみは、どこかに行けばいい。病気によって得たものがある一方で、失うものの方が、はるか多かった。


私に病気になって良かったと悟れる日は、来るだろうか。それはきっと、もっともっと遠い日の事になるかもしれない。

【2007/06/07 01:51 】 | 想うこと | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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