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ボランティア日記?
特養を2週間で、やめてしまった事は、私の中で大きなマイナスのダメージを与える事になりました。せっかく受け入れてくれた数少ない施設。なのに…自分の都合で、やめなければならなかった事を、ずっと責め続けました。それでも、ずっと、ウジウジしている訳にはいきません。次のボランティアが待っているのです。
私は、目の前にやる事があると言う事だけで、前へ進んでいく事が出来ました。若さゆえの、パワーだったのかも知れません。体は、ほんとに、辛かったんですけどね。精神面では、ボランティアとしての存在が、大きな力となっていました。


暫くは、在宅サービスステーションM、一つだけに絞る事にしました。もう、無理をして、特養のように、自分の都合だけでやめてしまう事が、許せなかったのです。それが障害を抱えながら社会に一歩出た、社会への、施設への、利用者への、スタッフへの、最低限のマナーと精いっぱいの配慮でした。
Mディサービスセンターは、週1回土曜日の午前中だけ活動に入りました。初っぱなから焦り、特養のような過ちを、もう二度と、繰り返さない為に。


Mディサービスセンターの初めての活動日。
特養である程度の、関り方を知った私は、積極的に利用者さんの輪に入っていきました。人と関る事が、出来なかった、私。人と関る事を拒絶していた、私。そんな私が、自ら積極的に、話し掛けられるとは、自分でも驚きでした。ただ、ここに入った以上は、彼らと向き合いたかったのです。自分が望んで、入ったこの世界に。責任と誇りと、プライドを、持ち続けたかっただけなのかも、知れません。


Mディサービスの責任者Kさんと一緒に、活動場所の2階に連れて行かれ、スタッフや利用者さんに紹介してくれました。


K責任者「今日からボランティアとして働いてもらいます、Ressarさんです。」
私『Ressarです。よろしくお願いします。』


「きゃぁ~可愛い名前!!」


と、どこからともなく、スタッフの声が聞こえてきました。何とも明るい、このディサービスセンターが、私は好きでした。特養とは違う、明るさやオープンさ、そして、スタッフと利用者さんの対等さ、時には利用者さんを人生の先輩として、尊敬しているスタッフの在り方に、特養にはなかった、ものを気づかされました。


初日に、いろいろな方と触れ合い、さっそく仲良くなった利用者さんもいました。


利用者さん「また、来てくれるか?」
Ressar『これから毎週土曜日にこの時間に、来ます。』
利用者さん「待ってるで。来週やな。来てな!」


と、手を握ってくれたおばあちゃん。
私は、涙を見られないように、そっと、手の甲で涙を拭いました。私を必要としてくれる人が、いる。ただ、それだけで、私は自分の存在価値を明らかにでき、認めてくださった利用者さんやスタッフ。そして、受け入れてくださったこの施設に、ただただ、感謝するばかりでした。


翌週、土曜日。
朝早く、9時前には家を出ました。ディが始まるのは、10時。自転車で、片道40分もかかるのです。普通なら、自転車で20分でいける距離。でも、心臓病の私には、とても、ゆっくりゆっくりしか、行けなかったのです。いつも不整脈が起きていました。活動中は笑顔をつくり、しんどそうな表情は一切見せず。
でも、通勤途中では、何度も自転車を降りて、休憩しなければなりませんでした。肩で息をしながら、チアノーゼを隠し、Mディサービスセンターの職員駐輪場に自転車を止めて、息を整えました。そして、活動に入る前に、強力な不整脈を抑える薬と、発作止めの薬を飲み、活動に入る事が、日常でした。


母は、あの頃の事を、こう語ります。


『見ているのも辛かった。帰ってきたら真っ青で、玄関で座りこむのを見て、それでも続けようとするあなたが、信じられなかった。』


と。家に帰る途中で、何度も意識を失いかけました。それでも、気力だけで、帰路にたどり着き、家の前で立って待っている母の姿を見ると、ほっとして、そのまま意識を失ったこともありました。
発作で肩で息をしながら、チアノーゼで全身真っ青になりながら、意識も定かでない私の背中を必死でさすってくれた母の姿を、今も思い出します。


『また、来てくれたんか。もう、来てくれへんと思ってた。嬉しいわ』


私が流行性の風邪にかかってしまい、週一回のディでの活動をお休みしていたとき。利用者さんから発せられた言葉。そんなに、私の事を思って、待ってくれている利用者さんやスタッフがいる事を知り、涙を拭うのももどかしく、とても嬉しい気持ちで、暖かい涙を、初めて流しました。


Mディサービスでの活動を3回程行った3週目の事。
センターから一本の電話が入りました。


担当者「Mディサービスではどうですか?何が困ったことはありませんか?」
私『順調です。』
担当者「そうですか。それは良かった。そうそう、病気の子どもに関するボランティアですが、いくつかの養護学校から面接をしたい。とのご連絡を頂戴しました。特養での件もありますし、今はMディサービスだけで精いっぱいだとは思うのですが。どうされますか?」
私『行きます。面接の日取りは?』


私は迷わず、そう答えていました。何も、考えずに。ただ、考えるより先に、口に出していました。
どう考えても、今はMディサービスだけで、精いっぱいなのに。これ以上重ねると、また、特養での同じ過ちを繰り返してしまう事など、分かっていたはずなのに。
冷静に考える事が出来ていなかったのです。
ただ、私の中ではある決定(けつじょう)のようなものが、出来ていました。


“もう、二度と同じ過ちはしない。責任と誇りを持って、やろう。”


僅か、中一だった私の古い日記帳にそう、記されています。


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【2006/11/07 15:44 】 | ボランティア | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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