スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:-- 】 | スポンサー広告 | page top↑
ボランティア日記?
次いで、面接に行ったのが、病弱児養護施設。
ここでは、重度の心臓病を持った子。血友病の子や慢性疾患を抱えた児童が生活していました。
私も、一度、二度と養護学校に行くように薦められた所。同じ病気を抱えた仲間とも知り合いました。
ここでは、毎週金曜日の午前10時から午後3時まで。
レクリエーションで、あそびを考えたり、食事の用意をしたり、忙しく働きました。ここの寮母さんから色々な事を教わりました。お昼の時間には、調理場で料理を教えてもらい、色々な生活の知恵を教えてもらい。
第二の母のような存在でした。


最後は、知的障害児施設に面接に行きました。
知的障害児施設は2カ所のところで面接希望があり、2つとも行きましたが、1カ所のところは県外で、とても通える場所ではなく、断念し、府内の施設に決めました。ここは、隔週火曜日の2時から6時半まで活動に入りました。自閉症や発達障害、重度の知的障害を子どもとも触れ合い、私の中で根付いてしまった、『障害児者』という根底を覆されるきっかけともなりました。


これ以外に、入院している子どもにあそびを届けるボランティアや病気の子どものきょうだいへのサポート。
保育ボランティアも経験しました。
病弱児養護施設から、不定期でしたが、院内学級のお手伝いにも出張ボランティアという形で、入りました。
救命救急士の方と市民に応急手当(心肺蘇生術など)を普及するボランティアにも携わりました。
救命の資格を取り、救命救急士さんと各地を周り、勉強会を開き、市民に応急手当を普及する活動を続けてもきました。


とても、忙しかったあの頃。毎日毎日、スケジュールがびっしりでした。手帳もふたつ。休む時間なんて、なかった。
今思うと、爆弾を抱えた身をよく酷使したものだと、驚きを通り越して呆れてしまいます。体は、常にしんどかった。
忙しく、でも、その毎日が、私に『生きている。』という実感を与える事でもあったのです。
体を限界まで、酷使することで、強さを手に入れようとした。でも、それは、私の妄想であり、歪んだ価値観だとのちに気づく事となりました。


私にとって、ボランティアとは。
私の人生に、なくてはならないものだったのでしょう。
辛い時、しんどい時、いつもあの頃の事を思い出します。
辛い思いもしたけれど、悲しい思いもしたけれど。
私は、あそこで。あの場所で。
人間としていろいろなものを教えられ、学び、そして。
人と関る事が素晴らしい事だと知りました。
いろんな人と出会い。いろんな子たちと出会った。
いろんな先生と出会い。いろんな親御さんとも出会った。
それは、私の人生で、大きな力となり。また、素晴らしい財産でもあります。


しばらく、このような生活が続きました。
そして。ボランティアを続けて1年。
私は、大きな再発をすることになります。


スポンサーサイト
【2006/11/07 15:46 】 | ボランティア | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
<<ボランティア日記? | ホーム | ボランティア日記?>>
コメント
コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
| ホーム |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。