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ボランティア日記?
中2の夏。ボランティアを始めて1年と少し経過した頃。あの悪夢の日々がやってきました。
がんばり続ける私に、病気はストップをかけたのです。
それが、あの再発でした。
いずれ動けなくなる。と言われていた。でも、それはもっともっと、先の事だと思っていました。まだ、早い、まだだいじょうぶ。そんな根拠など、どこにもなかったのに。


いつものように、朝目覚めると、体が動きません。
うんとも、すんとも言いません。
冗談でしょ?本当にそう、思った。待って、今からボランティアに行かなきゃならないのよ!どうして、今なの?ねぇ、お願い、待って。。
すぐに、母に連れられ、病院に行き、入院することになりました。それから、1カ月。寝たきりで、ボランティアをお休みすることとなったのです。
この1カ月の間。体を動かすことは出来ず、本当に地獄の日々でした。今と同じ、寝返りさえひとりでは、出来なかったのです。病院で、休息の時間を与えられ、私は今までの、この1年を振り返っていました。私は、頑張りすぎていた。それは、自分でも分かっていました。体調が悪くても、どんなにしんどくても、どんなに体が痛くても。その痛みを必死でこらえ、電車とバスを乗り継ぎ、向かった施設。片道40分もの道のりを毎週毎週欠かさず通った施設。風の日も、雨の日も、それこそ台風でも。どうしても、自転車が無理な時は、タクシーで施設へと通っていたあの頃。


頑張り続ける私に、主治医はもう一度言いました。


『ほんとに、死ぬよ。いい加減にしなさい。君にとってボランティアが大切なのは良く分かった。でも、このままだと僕も、助ける自信がない。』


主治医の涙を見て、私ははっとさせられたのを覚えています。そして、父が私に向かい、言ったひとこと。


『御前は俺にとって、たった一人の娘なんや。今まで大切に育ててきた。御前がそこまでして、ボランティアちゅうものに、かける想いは分かった。だから、もう。もう、自分の体、大切にしてくれへんか。』


父の涙を始めてみた。
私がボランティアを続ける事で、悲しむ人がいるなら、私はもう、続けていくことが出来なくなるかも知れない。と思いました。
そして、動かない体のまま一カ月が過ぎようとしていた頃。Mディサービスの責任者の方が、お見舞いに来てくださいました。


責任者「Ressarちゃん。具合どう?無理するから。ボランティアセンターの〇〇さんから聞いたよ。うち以外にもいろんなボランティアしてたんやってね。うちは、Ressarちゃんが来てくれて、本間助かってるんだよ。利用者さんも待ってはるよ。“今日はあの子、来えへんのか?”とか聞いてくる。スタッフも、皆、Ressarちゃんに来てほしい。」


責任者の方からの話を聞き、涙を流しました。
そして、帰り際に、動かなくなった私の右手を握りながら、
『また、来てね!待ってるから!』
と言って、帰っていく責任者からの言葉が重く、それでも嬉しく感じました。
ほかの養護施設の職員も次から次へとお見舞いに来てくださり、笑顔をくれた、彼らに、私は自分の欲と傲慢さで、活動に入っていただけではないのか、と考えさせられました。
変わる変わる来る、来客者に主治医も担当医も看護師も、両親でさえも、目を丸くし、ただ驚くばかりで、来客中は皆、遠慮して診察もケアも入る事はありませんでした。


入院中、考えたことは。このままでは、いけないという事。このまま、以前のように、走り回っていたら、自分はおろか施設の人にも、迷惑がかかってしまう。
ボランティアはもう出来ない。
それでも、なかなか決心がつかなかったのです。
ボランティアは、私にとって大きな大きな存在となっていたのですから。
あそこで出会った彼らの事を思い出しました。
いろいろな人と出会った。いろいろな子と出会った。
別れてしまった子もいた。何人もの利用者さんを見送ってもきました。その度に、彼らと過ごしたこの場所を、続けたい。と思った。


そして、私の中で。やっと、一つの決心が出来た時。
1カ月の強力な治療を終え、動けるようになった私は、自宅へと戻り。各施設にもう、続ける事は出来ないと、電話しました。
そして、活動で、ではなく、退院から1週間後。各施設に、挨拶に出向きました。
肢体不自由児養護施設。知的障害児養護施設。情緒障害児養護施設。病弱児養護施設。
とりあえず、この4つの施設を、辞め、私は、MディサービスセンターとMTディサービスセンター、入院している子どもにあそびを届けるボランティアの定例会、きょうだい児へのサポート、臨時の病児保育、市民に応急手当を普及する活動だけに、絞りました。
それでも、だいぶ、楽になったのです。
でも、まだまだ体は悲鳴を上げ続けていました。


退院してから、1カ月後。
今度は不整脈から突然心停止し、集中治療室で2週間入院することになりました。2週間だった入院が、入院中にまた再発してしまい、動けなくなり、1カ月入院しました。


2度目の入院で思ったことは、もう、ボランティアを続けてはいけない。減らしたけど、それでも、私はもう出来ない。と限界を感じ始め、残りのボランティアについても、本気で検討していました。


そして、入院中。
残りのボランティアに電話を入れました。
もう、出来ないこと。申し訳ない思い。ごめんなさい。と何度も何度も詫びました。また、同じ過ちを犯してしまった。特養でのあの、経験で。同じ思いは、もう二度と繰り返さないと決めたのに。


最終的に残ったのは、在宅サービスステーションMと病院内にある、MTディサービスステーションでした。
病院内にある、MTディサービスステーションは、まだ養護施設の活動もやっていた時に、追加して活動していたところです。ディに来ている人の通院介助やリハビリ訓練も行いました。


この2つだけは、最後まで続けていきたい。
心から、そう願いました。
そして、在宅サービスステーションMが毎週土曜日の午前9時から12時半まで活動に入り、MTディサービスステーションは、毎週月曜日の午前9時から12時半まで活動に入りました。
それ以外の日は、フリーで、時々保育ボランティアや講座への助手として、参加したりしました。


これなら、後もう少し。続けられると思ってた。
でも、病魔は刻々と進行していきます。
やめて。と叫んでも、私の体はどんどん、闇に吸い込まれていくばかりでした。



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【2006/11/07 18:35 】 | ボランティア | コメント(0) | トラックバック(1) | page top↑
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