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セクハラおじいさん。
在宅サービスステーションMで活動していた時。
あるひとりの、おじいさんと出会いました。


『あんた、新しく入った職員か?』


送迎の車で来た利用者さんにお茶を入れてる為、ポットでお湯を注いでいたとき、後ろから、声をかけられました。


『あっ、はい。ボランティアでお世話になる事になりました。
Ressarです。』


笑顔で言う私に、おじいさんは、笑顔を返しながら、どさくさに紛れてお尻を触っていました(笑)。


それが、私とOさんの出会いでした。



そう、このOさん。
このディでは、ちょっとした問題児だったのです(笑)。
施設で可愛い職員を見つけては、どさくさに紛れてお尻を触ってきました。その時、ディで一番若かった私に、魔の手が忍び寄った事は、言うまでもありません。


いつも、私のお尻を挨拶代わりにタッチしては、私からもスタッフからも叱られていました。


けれども、それは決して、いやらしいものではなく、Oさんの言わば日課であり、時間が経つにつれ、私も気にならなくなりました。


それが、Oさんのコミュニケーションだったのですから。


Oさんは、脳梗塞で右半身麻痺の人でした。
軽度の言語障害もあります。


それでも、私はOさんとお喋りするのが好きでした。


毎朝、ディの送迎車で、来られたOさんを確認した後、私は下の事務に走り、新聞を取ってきます。
そして、Oさんに温かいお茶と新聞を渡すのが、私の仕事でもありました。


利用者さんの迎えの送迎が一段落した頃、Oさんの座っているグループに入って行く事が多かった。
Oさんとは、色々な話をしました。
戦争時代の事、病気の事、家族の事、子ども時代の事。
私がスタッフに呼ばれ席を立ったり、他の利用者さんの介助で席を立つと、暫くしてOさんからのお呼びがかかります。


私は苦笑いしながら、Oさんとの話を続けました。


やんちゃで、いつも私やスタッフを困らせていたOさん。
私が再発して入院したり、流行性の感染症にかかり休んだりすると、次の週に私の姿を見つけると、


『何で休んでたんや?心配しとったぞ。』


と、本当に悲しそうな目で訴えかけるように言いました。




そして、Oさんと同じグループにいつも居たのが、KさんとOさん(女性)というおばあさんでした。
KさんとOさん(女性)は仲が良く、家も近いようで、ディの送迎車にもいつも同じで、来ました。




Kさんは、私と同じ先天性の目の疾患で、極度に光をまぶしがり、いつも室内ではサングラスをかけていました。
私は活動中は、コンタクトでしたが、やはり、まぶしいのが苦手で、
Kさんとは意気投合していました。



ある一部の利用者さんにおいて、病名は伝えてはいないものの、私が病弱であることは、いつの間にか知れ渡っていたようです。

いつも青白い顔。血色が悪い手足。生気がない顔は、とても健康とは言い難いもののようでした。


在宅サービスステーションMでは、施設に入ると真っ先にスタッフルームへ行き、自分の名前が書かれたNAME札を表にします。
札を表にすると、出勤してきている。という合図なのです。
そして、職員用のジャージに着替えます。
私は、小柄で、まだ子どもだったので、大人のサイズしかない常備している職員用のジャージでは、とても大きく、特別発注してくれました。
そして、施設に入る際に、専用のシューズにも履き変えて、活動に入ります。


そのジャージを着てても、私の身体に、治療や検査によって傷つけられた傷跡は、見えてしまう事がありました。


ふと、腕まくりをして活動していたときの事。
Oさん(男性)が、私の左腕に出来たいくつもの、点滴痕を見つけました。



Oさん『これ、どうしたんや?』
Ressar「あっ・・・点滴してて・・・その痕ですよ。」


Oさんは、そうか、でも点滴でこんな痕になるか?
と、不思議そうでしたが、私がその場から離れてしまったので、
それ以上は何も言いませんでした。



私の血管は非常に脆く、少しの刺激だけで、いや、血液の圧にも
耐えられず、毛細血管が破壊され、出血します。
この度重なる点滴の痕も、その血管が破壊された破壊痕です。



ここのディの利用者さんは、私の事を自分の孫のように、とても
可愛がってくれました。
スタッフでさえも、我が子のように接してくれました。




私が、ここも続けていけないと知り、最後の日。
お別れ会を開いてくれた時は、みんな涙顔でした。


私は、こんなにも想ってくれていた人がいたんだ。
ただ、この世に恩を返したい。人の役に立ちたい。
と想って、ただ、それだけの思いで入ったこのボランティア。


こんなに頼りないボランティアを、こんなに泣き虫なボランティアを、
こんなに子どもなボランティアを、こんなに弱いボランティアを、


心から信頼し、信じてくれた利用者さんとその家族。スタッフ。
頼ってくれた利用者さん。


私はただただ、彼らに感謝するしかありませんでした。


私との別れを惜しんで涙を流してくれた利用者さん。
私は、泣かれるほど、別れを惜しまれるほど、彼らに何をしたでしょうか。
ただ、自己満足で続けていたに違いない。
別れを惜しまれるほど、私には価値も何もありません。


それでも、彼らが流してくれたその涙は、私の心を温かく、優しく
包んでくれました。


いつもお尻を触っては私に、叱られていたOさんもこの日は、朝から
元気がなく、とても悲しそうな表情をしていました。


そして、最後まで、私の手を握っていました(笑)。
最後だからと、私もその手を振り払うことなく、握り返してた。


ここで出会った人たちは、私の人生に大きな影響を与えました。
ここを辞めてから、何人かの利用者さんが亡くなったとの知らせを受け取りました。
その度に、空に向かって、思いを巡らせています。


唯一の情報源だった彼も、私が辞めてから暫くして隣接された特養に異動になったので、彼らの情報も途絶えてしまいました。


今、時々私の耳に入る情報と言えば、
「○○さんが亡くなった。」
というようなものばかり。


そして私はもう、施設の人間ではありません。
個人情報保護法で、利用者さんのその後の経過も安易に、聞けなくなりました。


彼らの情報が分からなくなった今。
あのOさんが、どうしているのか、元気で居るのかも、私には分かりません。
情報は不明確で、勝手に想像するのみです。



でも、きっと。



また、新しい可愛い職員を見つけては、相変わらずのセクハラ精神で、
若い子のお尻を触っているのでしょうか。



少し歳のいった職員には、手を出さないので、


「なんであたしには、触らないのよ!!」


と、怒られていたOさんのにやけ顔が、想いだされます。




ありがとう。
たくさんの思い出をくれて。


ありがとう。
たくさんの優しさをくれて。





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【2006/11/13 12:01 】 | ボランティア | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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