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I先生との出会い
私が、14歳の時。
小児腎臓内科の担当医が、変わりました。
担当医が変わることを前から聞かされていたので、腎臓主治医の外来で、新しい担当医が助手として、いる事を確認しました。

腎臓主治医G先生「今日から、○○先生(前の腎臓担当医)の変わりで、Ressarちゃんの担当をしてくれることになった、後任のIくんです。」
I先生「はじめまして。Iです。よろしく。まだ、勉強の日々だけど、一生懸命Ressarちゃんのこと診させてもらうね。」

これが、私とI先生との出会いでした。

まだ、ジュニアレジデントだったI先生は、上の先生に日々怒られながらも、がんばって、私と仲良くなろうと、面白いことやあそびや勉強を教えてくれました。
I先生が仕事が休みの時は、ドライブもつれてってくれたりした。
I先生は、28歳の男性でしたが、とても気さくで、話しやすい先生でした。
人見知りが激しい私も、すぐに仲良くなれた。

ある時、入院中。
先生は、夜病室に来ては、ベッドの横に腰かけながら、とてもしんどそうな表情を浮かべては、
「頭痛い…。なんだか最近体が重くて、ついてこないんだよね。太ったかな…?笑」
冗談まじりで、そう言っていたI先生は、太ったどころではなく、どんどん痩せていっていました。
夜必ずと言っていいほど毎日、私の病室を尋ねては(個室だったので)、頭痛い、と呟いていました。

私は、心配になり、何度も、
『検査受けたら?』
と、言いましたが、忙しかった先生は、それどころではなく、日々の業務に追われて、
「大丈夫だって!さぁ、気合でがんばるぞ!」
と自分で自分を奮い立たせていた。



あの時、もっと強く、先生に検査を進めていれば…
あんな悲劇は、起こらなかったかもしれない。。
あのしんどそうな顔は、まともじゃなかった。
毎日来てくれる先生の顔を、日ごとに衰弱していく先生を、見るのはとても、辛かった。

「頭が痛いんだ…」
と私の病室にくる度に、呟いていたI先生。
他の先生の前や、教授回診の時は、そんなこと微塵も感じさせぬ、笑顔で、振りまわっていました。
そんな、無理を重ねて、しんどさを自分自身で消化しているI先生を、私は何も言えず、何も、出来ず、ただ、あの時を迎えてしまうことになった。


あの日は、いつもより、早めに病室に訪れていました。そして、いつものように、椅子に腰かけ、私の話や、控えていた検査や今後の治療について、いつもより丁寧に話してくれたI先生。
2時間ほど居て、今日は当直だからと、部屋を出ていきました。
私も、消灯が近づいて、そろそろ寝ようかと、その前にお手洗いに行こうと、車椅子で、トイレに行こうとしたとき。病棟のトイレは、ナースステーションの前を通らなければいけないことになっています。
この日も、詰め所の前を通ると、なんだかいつもとは違う、ばたばたな雰囲気が漂っていました。

経験から、“何かある!”と直感した私は、詰め所の前にある処置室のドアが、開け放たれていて、ナースや他のドクターが、バタバタと出入りしていました。
チラッと中を覗いてみると…そこには、さっきまだ病室にいてくれたI先生が、意識がないのか、ぐたっと、倒れこむように、ストレッチャーに乗せられていました。
先生の体には、心電図の電極や、点滴のチューブ。そして、色々な管が取り付けられていました。

あまりの衝撃を目のあたりにして、声も出せず、そのままトイレにも行かず、病室へと戻りました。。

翌日、いつも来てくれるI先生ではなく、主治医のG先生が診察にきました。
先生からは、I先生の事を、何も言わなかったので、診察が終わったあと、私の方から切り出しました。


『I先生……どうしたの?』

G先生は、はっとした表情を一瞬みせ、その後はいつもの温和な笑みで、

「I先生、ちょっと熱出しちゃって、今日はお休みなんだ。でも、心配しなくていいからね。少しお休みするけど、また元気になったら、すぐに戻ってくるから。」

もちろん、私はそんな説明では、納得できません。
G先生に詰めよりました。

『あたし、知ってるんだよ。昨日の夜、トイレ行こうとして、見たの。処置室で、先生倒れてるとこ。……嘘つかないで!!』

G先生は、私があの現場にいた事を知らず、とてもびっくりしていましたが、やがて、椅子を持ってきて腰かけながら、話しだしました。


「君には、嘘はつけないな。実は…I先生、君の言う通り、昨夜倒れたんだ。頭痛を訴えてね。MRIをとったら…脳腫瘍だった。今、この病院の脳神経外科病棟で入院してる。でも、場所が場所なだけにね。簡単に手術で取り除ける大きさでも、なくて。かなり進んでる。どうしてもっと、早く気づかなかったんだ……」


悔しそうに、言うG先生が、いつものたくましい先生ではなく、少しだけ小さく、寂しそうに見えました。


Ressar『I先生、あたしの病室に来ては、いつも“頭痛いんだ”って言ってた…。何度も検査受けてって、言ったけど、忙しくてそれどころじゃないんだ。って言って、いつも笑って気力だけで乗り切ろうとしてた。昨日も、I先生ここに来たんだよ。その僅か10分後にI先生倒れたの。』


私も、2歳8カ月の時、脳腫瘍になり、そして、6歳に再発し、8歳の時には、また違う脳腫瘍を発症しています。だから、脳腫瘍の怖さも、辛さも、痛みも、少しは分かるつもりでした。
それでも、やっぱり、I先生が脳腫瘍だと聞かされたときは、自分の病気の告知を受けるより、とてもショックでした。


I先生は、その後脳神経専門の病院に転院し、2度開頭手術を受けましたが、すべてを取り除くことが出来ず、そして、場所も悪かったために、ここでは、成す術はない、と宣告されていました。


私も、一時退院した時、I先生が入院している病院に、車椅子で、母と面会に行きました。
5カ月ぶりに見たI先生の姿は、まるで私が知っているI先生ではなく、まったくの別人のようでした。
頬がげっそりこけ、もともと痩せていたその体は、ますます細くなっていて、手には、幾度も刺されたと思われるほどの、点滴痕…。
想像していたとはいえ、やはりショックは大きかった。


I先生と二人だけで話がしたかったので、母には席を外してもらい、I先生は、私と2人になるとこう言いました。

「ごめんな。最後まで、君を診るって約束したのに。約束守れなくて。俺、病気なんてインフルエンザくらいになっただけで、大きな病気とか、なったことなくて。病気の子の気持ちとか、分かるなんて、えらそうなこと言ってたけど、こんな病気になって、初めて気づいたわ。病気の子の気持ちなんて、分かってなかった。そんなん、分かるわけないよな。同じ痛みを知ってないくせに。この病気になって、俺がどれだけうぬぼれてたか、分かったわ。Ressarちゃんは、俺とは比べものにならんくらい、たくさんしんどい思いしてんねんもんな。恥ずかしいけど、俺…怖いねん。」


そう、話してくれたI先生。
その2カ月後、彼は、カナダに脳神経のスペシャリストがいると言うことで、海外にての最後の望みに賭けてみる事にしたのです。
渡米する日。
私は、I先生を見送るため、両親に連れられ、関西空港にいました。


その頃のI先生は、もはや自力では歩けず、車椅子に乗っていたその衰弱しきった体は、まるで、死期を悟っているようでもありました。


I先生「わざわざ見送りに来てくれて、ありがとな。Ressarちゃんもしんどいのに。絶対帰ってくるから。Ressarちゃん、生きるんやで!」

Ressar『うん、分かったよ。Ressarもがんばるからね。先生が帰ってくるまで、生きて待ってるから。』

I先生「俺が帰ってくるまでちゃうで!俺が帰ってきても、生きるんや!あきらめたら、あかんで。ほな、行って来るわ。俺もがんばってくるわな!じゃぁな!」



そう、言葉を交わしただけで、飛行機の時間が来てしまい、先生とは別れました。
その日はすごく寒い日で、珍しく雪が降っていました。
私は、毛布にくるまれながらも、I先生の姿が見えなくなるまで、ずっと、先生の後ろ姿を見送っていました。
父が、『もう行こう。』というのも聞かず、ずっとずっと、先生の姿が見えなくなるまで、飛行機が、空へと発つまで、見送っていました。





私の元に、I先生が亡くなったと知らせが届いたのは、あの日から1週間後の事でした。
1週間、I先生は、生まれ育った日本を離れ、異国で病と必死に向き合った。
そして、旅立っていったのです。まだ、29歳でした。

彼が、あの日。
私に言った、「恥ずかしいけど、俺、怖いねん」
その言葉が、今でも私の耳にこだまのように、残っています。
あれは、ひょっとしたら、迫り来る死への怖さだったのかも知れません。
1年の闘病生活の中で、彼は、何を学び、何を見、何を、感じたのでしょうか?
今となっては、彼の心のうちは、誰にも分かりません。
でも、きっと彼は、病気をして、人の痛みを知り、そして。
辛さも味わったけれども、冷たい涙だけではなく、温かい涙も知ったのではないでしょうか。


今年、I先生の3回忌が終わりました。
私は、出席できなかったけれど、ここで、先生の事、ずっと想っています。

あなたが、とても患児想いのやさしい先生だったこと。
楽しく、どんなときでも、ユーモアを忘れずに笑いをくれたこと。
自らの私生活を捨て、すべてを私たち患児ひとりひとりにつやしてくれたこと。
どんな病気でも、弱点は必ずある!だから、知識という武器を持って戦えば、絶対勝てる!と体を張って、守ってくれたこと。

あなたは、とても優秀なドクターでした。
まだレジデントという、勉強を重ねる身でしたが、あなたが、今生きていたならば、きっと優秀な医師になっていたでしょう。

「将来は、小児の腎臓の専門医を目指してるだ。」
と微笑みながら、将来を語ってくれたI先生。

あなたの叶えられなかった夢は、あなたの大切な人が、叶えてくれていますよ。
第一線のドクターとして、彼女もとても優秀なドクターで、多くの子どもたちを笑顔にしています。



「頭痛いんだ…」

あの時のあなたの言葉が、頭を離れられません。
どんなに、しんどかったでしょう。
どんなに、痛かったでしょう。
薬剤部にいっては、痛み止めを貰っていたと言っていた先生。


気づいてあげられなくて、ごめんなさい。
何も出来なくて、ごめんなさい。



「Ressarちゃんが、俺が受け持ったはじめての患児やった。正直、俺まだ勉強不足やから、Ressarちゃんの病気も詳しくは分からんけど、俺はRessarちゃんの生き方に感銘受けたし、難しい病気抱えても、前向きに生きようとするRessarちゃんを人間としても尊敬できる。俺が、こんな病気になったんも、もっと人の痛みを分かりなさいっていう神様からのお告げやったんかもな。医者の不摂生ってやつや!」


辛いのだろうに、しんどいだろうに、痛いだろうに、
そんなこと、微塵も感じさせぬほど、明るく、いつものユーモアを決して忘れなかったI先生。


私は、あなたを忘れません。
あなたと過ごした、1年と8カ月の日々の事を。


私の担当医になってくれて、ありがとう。


天国のI先生へ。

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【2006/11/20 00:18 】 | 過去の入院日記 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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