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眼科の先生のひとこと。


今日、CT・MRIを撮りに病院に行った時のこと。
私は、感染の危険から、病院裏口(職員専用通路)から入ります。
そこから、感染症科の隔離室へと直行。
CT・MRI室から呼ばれるのを、看護師さんと待ちます。



30分くらい待って、技師の人と血液担当の先生が呼びに来てくれました。
検査室に向かうには、眼科と耳鼻科の外来の前を通っていかなければなりません。
ちょうどお昼どきで、一番患者さんもちらほらしか、いなくなった時を狙って、検査室に向かいました。



その時、眼科の前で、ふと、懐かしい声が診察室の方から聞こえてきます。
でも、その声は、尋常ではなかった・・・。
大声で、怒鳴る先生の声・・・。
何事かと、車椅子を押してくれていた先生の足も、自然と止まります。



『失明しても、責任持ちませんよ!』



そう、言葉を発して、診察室から出てきた先生。
負け地と患者さんも、先生追いかけて喧嘩腰。
どうしたって、あたし達にも、聞こえちゃうよ。



会社が休めないとか、内科の病気は死ぬ怖さあるけど、目の方は死ぬ事ないとか・・・。
唾飛ばしながら、理由話してた、50代くらいの患者さん。
何か・・・悲しかった。話し、聞いてて。
ほんとに、その人、本心から言ってるのかなぁ・・・と。


目見えなくなっちゃって、いいの?



最後に、
『治す気がないなら、もういいです。他の患者さんに失礼ですよ。』
と言ってた、先生。
ここまで、怒ってくれる先生って、いないよ。
診察来なくても、無関心。患者本人の問題なんだし。患者の身体。人生なんだし。
だから、そこまで踏み込むのは、ほんとは、医師の範囲じゃないのかも。
だけど、誰があの患者さんの目を救えるの?
ほんとに、本心から、悪くなった方がいいと思ってる人なんて、いないはず。
もう、大人でしょ。それくらい、分かるでしょ。
奥さんも、お子さんもいるでしょ。ひとりじゃないでしょ。



たかが、他人事なのに、怒りが伝染しちゃったのは、どんなに頑張って治そうとしても、
治んない事だって、人だって、いるんだよ、って事。
あたし自身が、右目失明して、左目もいつ失明するかわかんない。
治るものなら、どんな辛い治療だって、手術だってしたいのに。



あたしも、あぁやって、暴れてみたいなぁ。
スッキリするかなぁ。しないだろうなぁ・・・。



眼科の先生が、あたしに気づいて、その患者さんほっといて、駆けつけて来てくれた。


『やぁ、どうしたんだい?入院してるの?』


そう、話しかけてくれた先生は、さっきまでの険悪な雰囲気は、感じさせなくて、いつもの
優しい先生に戻ってた。
先生と患者さんの一部始終を見てしまった私たちは、重い雰囲気のまま、検査室に向かった。
眼科の先生も付いてきてくれた。



廊下を歩きながら、
『あぁいう患者もいるんです。一生懸命治そうとしても、患者さん自身が、その気にならなきゃ、
医療は一方通行になります。』
と言ってた、先生の言葉の重みと先生の心のうちの医師としての切なさが、伝わり、私まで、
悲しくなった。



治したくても、治らない患者がいる。
どんなに願っても、視力を失っていく怖さに、ひたすら立ちすくむ患者がいる。
その患者を支える、医師がいる。
先生は、そんな患者さんを知っているから、治療に前向きじゃない、我がままな患者さんを診ると
つい声を荒げてしまうのだろう。
本当の痛みを、知っているから・・・。



内科の病気は、死ぬ怖さもあるけれど、目の病気で死ぬ事はないさ。
そう思っている人が、いるのだとしたら。
間違いであることに、手遅れになる前に、気づいて欲しい。
目の病気で、死ぬ事だって、あるんだよ。
光を失う辛さ、あなたに分かりますか?
失ってから、気づいたって、遅いんだよ。
後戻り、出来ないんだよ。あの時、こうしてれば、って後悔しても、取り戻せないんだよ。



病院には、いろんな人が来る。
病気だけじゃなく、患者自身の、それぞれの人生を持ってくる。
それぞれの、生き様が、そこにあり、いろんなドラマが、日々繰り広げられている。



あの、おじさんに出逢って、何も面識もない人だけど、後味悪く、ずっと、引きずるあたしって・・・。
失明する前に、気づいて欲しい。


何で他人なのに、そこまで深く考えちゃうのだろう・・・。
今は、自分の事で精一杯。自分の事を、考えてればいいのに。
考えなきゃいけないのに。



検査室の前で、眼科の先生と別れて。


『さようなら。またねぇ~』


と言って、頭、よしよししてくれた、先生。
先生も大変だね、とちょっと、同情した気分でした・・・。


 



検査終わり、そのまま病室に帰ることなく、裏口から救急車待たせてあったので、
空いてる病棟の先生が付き添ってくれて、おうちに帰りました。
が、検査室から、またまた、眼科と耳鼻科の前を通ったら。
おばさんが2、3人集まって、あたしの方をじーっと見て、明らかに聞こえる声で。


『あの子、可哀想に。』
『何歳くらいかしら?小学生?まだ、これからなのに・・・。』
『周りに付いてる先生方も、大変ね。』


などと、言ってた人たち・・・。
聞こえてます。そういうのは、こそこそと話してくださいな。
何も、本人に聞こえるように話さなくても・・・。



先生達に囲まれて(血液腫瘍担当医と検査技師、病棟医の3人)、無菌テント被せられて、
厳重な防備で、廊下通ってる患者がいたら、明らかにふつうじゃなくて、物珍しく、
あれこれ憶測されても、仕方ないのでしょうが・・・。
車椅子の人なんて、ざらにいます。車椅子でも、何だって一人で出来る人も、います。
自立してる人だって、います。
それは、もちろん本人の努力の成果もあるし、周りや環境の支えも、あるでしょう。
がんばったから、実るのです!



だけど・・・
だから、『あなたも。』なんて、お節介やめてね。。。
あたしだって・・・言われなくたって、がんばってるやいっ。



物事には、『がんばって、成果に現れるもの。』と、『どんなに努力しても、結果に出ない事』も、ある。
ってこと。どうか、分かって下さいな・・・。



私って、ほんとに幸せ者だと想います。
少なくとも、理解ある先生たちに囲まれて。時々治療の考え方の違いで、小さな衝突しちゃうけど、
それでも、あたしの気持ち。一番に考えて、尊重してくれる先生にめぐり合えた事。
それまでの道。色々あったけど。傷もついてきたけど。
気持ち、伝えられなくて、空振りしちゃって、すれ違ってばかり・・・。
そんなときも、一度や二度では、なかったけれど。
慣れてきたら、言葉にしなくても、伝わる想いって、存在する。
でも、言葉にしなきゃ、伝わらない事もある。
『分かってくれるよ。』って、口閉ざしちゃったら、伝わる事も伝わらない。
やっぱり、伝えなきゃ。でも、伝える事に、疲れる事だってあるんだ。



あたしの場合、いきなり、『はい、(勝手に)決めました。』と事後報告・・・の方が多いから。
ふつうなら、『じゃあ、勝手にすれ?』となっちゃうケド。
あたしの先生は、違う。
一緒に悩んで、考えて、迷って、そこに答えがなくても。
一緒に、歩いてくれた人。
いろんな先生と出会ってきたけど。訳分からない先生も、沢山居たけど・・・。
届かぬ想いを胸に、人は、生きていかなきゃならない。



今日、眼科の先生とあの、患者さんのやりとり聞いてて。
病院って、医師や看護師さんに従う患者を好む傾向に、自然とあると思う。
もちろん、治療方針とか、そういうのは、専門家の意見に『真剣に』耳傾けないと・・・ですが。
でも、あくまでも、耳傾ける・・・だけ。
決めるのは、患者本人。
医療の中心は、患者であるべきで。
患者が、『受診しない。』と決めたからには、やっぱ患者自身の考えが存在する訳だから・・・。
仕事が忙しくて、通院の時間が取れないのも、患者さんのニーズになるわけ。
それを、治療だから!なんとか職場の時間をずらして!なんて、そんな事は、言えない訳だ。
患者さんの生活のニーズ。医療のニーズにどう、社会が、どこまで、応えていけるのか。って
問題も、存在するしね。
一方的に、治療のため。だとは、言っても、生活の為に治療するのであって、治療するために
生活を犠牲にする事は、間違っていると思うのです・・・。



医師や看護師さんの意見に従う・・・患者の方が、扱いやすい・・・というか。
そーなったら、ダメなんだと思う。
医師の考え=患者の考えとはならない場合もあるし。
納得いくまで、話し合ったりできる医師との関係があれば。
もしかして、医師が自分の考えに、従わない患者に、『もう、他の病院に行ってくれ』とは、
最低の意見だと思う・・・。そんな経験した人、多いのでは?
あたしは、過去に何度も・・・あった。。



患者は、どしどし、『自分の意見』持つべきで、周りに流されるように、なっちゃあ、ダメだと思う。
長期入院してる患者さんで、自分の意思とか失くし、無表情な人・・・。
患者であっても、生きるが病院であっても、その人らしく生きる権利があるはずで。あるべきで。
反対に、先生や看護師さんの、言う通りにした方が、楽に生きられる環境になんて、おかしい・・・。
・・・『おまかせ主義』な患者さんもいるけど。
うまくいかないと、医師のせいにしてる人、多く感じちゃう。



そういう意味で、あたしの今の周りの環境は。
いい環境に、いさせてもらってるなぁーって、思うのです。
いさせてもらってる・・・というと、また受身・・・になっちゃうので。
ベストな環境に、感謝しなきゃ。



でも、してもらっているという意識から、どうしても自分の気持ち、押さえ込んで。
この歳になっても、未だ、自分の想い、きちんと伝えられないまま。
すれ違い。衝突。戸惑い。
入院してるときは、ここは病院だから、我慢する事も必要。と自分なりの理屈つけて、
過ごす事も出来るけど、在宅に戻ってからも、ここは自分んちなのに、好きな事も言えなくて・・・
あたしは、人の助けを借りなければ、生きていけないから。
ケアしてくれる人が、いないと寝返りも、打てないから。
もし、介護してくれる母と喧嘩でもして、介護放棄されたら・・・。と思うと、怖くて、言いたい事、
我慢してしまうのです。



障害持って、自立してる人ってすごいなぁ、って思う。
あたしには・・・どんなに努力しても、叶わない夢。
夏に半年入院して、もう治療ないって言われて、在宅でのターミナルケアを受けてる訳だけど。
明らかに、前の生活には、戻れない。在宅に戻ってきても、介護の重み。
1日をより、大切に、生きたい。と思った。
幸せは、永遠には、続かないもの・・・。と言う事を、この何ヶ月間、ひしひしと感じて居た。
それは、悲しくも切なくもあるけれど。だけど、今日の積み重ねで、人生は続くのだから。
過ごした時間や日々は、必ず、過ぎ去っても、大切な思い出として、心にいつまでも記憶される。
そんな、1日を、重ねてみたい。


 


 

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【2006/12/05 16:44 】 | 日々の日常 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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