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精神科とカウンセリング。
小3~中1までの4年間。
私は、臨床心理士による、カウンセリングを受けていました。
稀少難病を抱え、生活を送るうえで、いろいろな葛藤も生まれます。
病気と向き合う上で、一番大事なのは、受け止め、受け入れる力。簡単なようで、実はすごく、大変な作業です。


入退院ばかりを繰り返し、学校もドクターストップがかかり、行けなかった。
新しい病院に、救いを求めて、セカンド・サードオピニオンをし、はじめて行く病院では、いつも、言われる。

『多機能低下不全症候群……って、、なに?』
医学界でも、知られていないこの病気。
あたしは、何度も孤独感に支配された。
そして、終いに言われる事は、
『詐病の疑い。』とまで、言われる始末。えぇ、もうなんとでも言ってくれ!って感じだった。
誰も分からない。この謎の病。
それを理解してくれる先生は、医療スタッフは、ほんの僅かしかいなかった。

色々問い詰められ、精神科に回されたりもした。
精神的疾患見つけるのに、必死にされてるって、雰囲気で。
精神科ってのに、いい印象持ってなかった。
おそらく多くの人が、『精神科』というものを、あまりイメージよく、思っていないだろう。

過去のトラウマ、いっぱい、引き出しちゃいそうだし。
学校行っていない(正しくは、ドクターストップかかり、行けないのだけれど。)のは、怠けているからだとか、努力が足りないから、病気は治癒しないのだとか、はじめて行った病院の多くは、学校の事を必ず聞いてくる。
『ところで、学校はどうしてるの?』
あなた方は、目の前に苦しみ、自分を頼ってきている患者を、見ようともしないのですか?
どこかに、救いはないかと、自分を頼って来ていることを自覚せず、そんな無駄話する時間があれば、教えてください。どうしたらこの病気は、治るのですか?
学校行っていない=登校拒否=不登校。
っていう、方程式が、未だに根付いてしまっている頭でっかちな人は、多い。
病気持って、治療をがんばる子どもたちは、多かれ少なかれ、勉強や進学や将来の事に対し、大人が思っている以上に、敏感に、反応します。


学校行けなくて、いつも家や病院で過ごす事が多かった私は、近所の方に、いろいろ変な目でみられもしていた。
学校ある時間に、母と外へ出れば、
『あの子、学校行ってないみたいよ。』
と、陰口をたたかれ。あたしも親も、辛い思いをした。
あたしの病気、よく知らない近所のおば様たちは、体が弱い私を見かけると、
『病気だからって、甘えてちゃダメよ。』
と、言われもしてきた。
次第に私は、外へ行くのもおっくうになり、誰とも会いたくないと、引きこもりがちにもなった。
何も悪い事してないのに。休みたくて休んでるんじゃないのに。
先生が、行っちゃ行けないって言ってるからなのに。ほんとは、勉強したいのに。学校行きたいのに。
周りの好奇な目は、幼心に、トラウマと化していってしまった。


病院への、医療者への不信感は、そうして蓄積されてしまった。
子ども病院のカウンセリングや総合病院でのカウンセリングなどを受け。
さすがに、精神科へは行かされなかったけど、心療内科に通わされた事もあった。
カウンセリングの先生も、最初は良かったのだけれど、次第に馬があわなくなり、カウンセリング自体が苦痛の何者にもならなかった時があった。
それでも、4年間もの間、無意味なカウンセリングをしてきて。


本当に、体もしんどくて、その事誰にも分かってもらえなくて。
私が不調を訴えると、明らかに検査データー異常値なのに、科学的には説明できないからと、それも詐病といわれ、自分で作り上げる病ならば、どうしらこんな検査データーをここまで異常値に出来るんだ!
そんな術があるんなら、教えろ!!と医療者への反抗心が芽生えていった、あたしの心。


でも、理解下さるドクターもいた。
気持ちを、分かってくださる医療者がいた。
ココロの弱み、見せるのって、負けですか?
前向きなまま、強く生きなきゃだめですか?


そんな事ないと思うよ。
言いたいよ。
もっと、人に頼ってもいいんだよ。
甘えてもいいんだよ。
人は、みな強くないんだから。


あるカウンセラーから言われた言葉。

『障害者は、頼る事に慣れすぎている。』
『だから、して欲しいとお願いしてくるまで、こっちから何も助けたくない。』と。

健康な人だから、言える事です。
そのカウンセラーの方は、健常者だから。
人のココロ…読むのが仕事なのに、そんな事気にせず、一方的な言葉をかけられるのみ。

確かに私も、こうして愚痴り、悩み、考え、迷う。
それでも、解決できなかったら、人様の意見を聞き、人のお力をお借りすることもある。
でもそれは、障害あるなしに関らず、人が人として、人に、求めるごく自然な事ではないだろうか?


人は、ひとりでは生きていけない。
自分はまるで、ひとりで誕生し、ひとりでここまで大きくなったような言葉をおっしゃっていた、カウンセラーの方に、私は、付いていけませんでした。
でも、ココロやさしい、これこそ、真のカウンセラーの方もいて。
その方には、話を聞いてもらうだけでも、楽になれました。決して否定はしなかったし、生き方を咎める事もなかった。


私は、病気に負けず、がんばってる少女になれない。
車椅子だけど、明るくもない。
だけど、暗くもないよ。
いいことばかり、ここで書けない。
それは、あたしについて、偽りだから…。

私は、悩むこと、落ち込むことを、マイナスだとも不幸とも、捉えていない。

人は、考えるために、生まれてきた。

生きる意味を考える機会を与えてくれた、この病気に、感謝しています。


箱庭療法や認知療法というものを受け、私のココロが、読まれているようで、すごく嫌でした。
そんなもので、私の全てが分かるような口を聞かれ、本当に貴女、臨床心理士さん?と疑問符がつくような、方もいらした。

カウンセリングに通っている意味が分からなく、ただ言われるままに、通い続けた。
4年の月日が経ち。中学1年になったとき、病気は容赦なく進行し、自分を見失いました。
自暴自棄になり、何もかもが分からなくなった。
自殺未遂を繰り返すようになったのも、その頃です。
しかし、私は、ボランティアという自分の居場所を見つけ、そこで自分を取り戻していきました。
その頃に、4年間続けてきたカウンセリングを、やめる事を決意しました。
もう、ここに、通う理由は、ない。意味も、ない。
結局、私は、カウンセリングで、何も、得られなかったのです。でも、あの4年間の時間は、決して無駄ではなかったと思っています。決して、無意味な時間では、なかったと思っています。
私には、カウンセリングは、必要なかった。
もう、私は、カウンセリングを受けなくとも、自らの足で、心の両足で、歩いていけると、ようやく、分かる事が出来たのです。
この時間は、私にとって、結果的には、何も得るものはありませんでした。
けれども、いろんな方面で、いろんな考え方で、自分を見つめられるようにもなった、きっかけを与えてくれたのも、事実です。

そのことに、気づくそのものが、本来の『カウンセリング』なのかも、知れません。


中学生の時、心療内科のクリニックを紹介され、受診した時。ここの先生は、私を人間として、扱ってくださった。そして、決して子どもだからと軽蔑もせず、私と対等に、向き合ってくれました。
車椅子の私の、動かない右手を握り、
『辛かったでしょう。良くがんばってきたね。もう、がんばらなくていいよ。辛ければ、ここへ来なさい。僕は、貴女の病気を、治すことは出来ないけれど、貴女の心は、きっと、げんきになれます。貴女の心は、貴女が思っている程、弱くはありませんよ。ただ、疲れているだけです。ゆっくり、休みなさい。』
と、言ってくれました。その言葉を聞いて、あたしは、ボロボロと涙をこぼした。
先生の前で。診察室で。

その後、病気は進行し、3度通っただけで、クリニックまで、行くことが出来なくなった。
50、60代くらいの先生だった。でも、とても暖かくて、とても、優しくて。
この人こそ、心療内科医になるべきだ!と思った。


病気は決して、精神論で片づきはしない。
そして、気持ちの持ちようで、どうにかなるものでも、ない。
周囲から、精神論を持ち出され、辛い日々を送った。
病気に負けるのは、根性が座っていないからだとか、好き放題言っていた人も、いる。
でも、決して。
精神論で、この病が、奇病が治れば、医者も医療も、医学と言う学問すら、いらなくなる。


精神科や心療内科受診歴があると、医療関係者の多くは、その人の性格や考え方や価値観に、問題があると決めつけ、差別の目でみる。
一度や二度の受診歴が、カルテに、記載されているだけで、どうして、その人の全てを分かることが出来ると言うのだろう。
だれでも、心が疲れる事は、ある。
そして、頼りたい、すがりたい、気持ちになることもある。
救いを求め、話を聞いて欲しくて、心療内科の扉を叩く人もいる。


でも、まだまだ、そんな人は、少ない。
人々の精神科や心療内科に対しての偏見。
『心の病』は、人には知られたくない、自分の問題だと、責め続け、誰にも言えないまま、壊れてしまう。
壊れる前に、心内の扉を、叩くことは出来ないものでしょうか?


心と体は、繋がっています。
心が、しんどい時は、体にも変調が来たし、しんどくなる。
反対に、体がしんどい時は、心まで疲れてくる。
そういう、連鎖反応によって、人間の精神は、成り立っているのです。


医療関係者の皆様、これから医療・福祉の道を歩まれる学生さんへ(って、そんな方、ここにお見えになっているのか?)。

精神科、心療内科の受診歴が、過去にあるからと言って、その人自身の性格に問題があるわけでも、精神が弱いわけでも、努力が足りないわけでも、ありません。
心理検査などだけで、患者自身の心を、分かったつもりには、ならないで下さい。
あなたにも、弱いところがあるはず。
強い人間なんて、この世にひとりとして、いません。
弱い部分を持って、強い部分をもって。
そうして、互いの相互作用が働き、はじめて、『自分』という人格を形成していくのです。


精神科、心療内科への偏見と御解が、なくなり、もっと辛い時に、風邪の時に内科にかかるのと同じような感覚で、自分を見失ってしまう前に、壊れてしまう前に。
受診され、自分の心を向き合う場を作って頂ければ・・・。
って、なんだか、偉そうに。。
反感、買っちゃいますかね・・・。
申し訳ありません。。。
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【2006/12/08 00:46 】 | 病気 | コメント(2) | トラックバック(0) | page top↑
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コメント
--カウンセリングって・・--
いぜん、どこかでRessarさんがカウンセリングを受けていたと聞いてから、どんなカウンセリングをうけてこられたのだろうか?と関心をもっていましたが、大変だったのですね。

カウンセリング自体がまだまだ確立した医療(?)じゃないこともあるし、ココロというのはほんとにデリケートですもんね、昨日はある言葉に励まされても、今日はその言葉にトゲをかんじたり。何かをきっぱり答えてほしい時もあれば、のほほんと聞いてほしいだけの時もある。まだ幼いRessarさんが不信感しか持てなかったのは当然だと思います。
子どもって、大人と違って言葉じゃなくって雰囲気や表情、アクセントや強弱で感じるんですもんね。
ある意味小児科の横にはいつもお話をきいてくれる心ある大人がいてくれたら、きっと救われる事も多いのではないかなぁ・・・?
親でも先生でもなくRessarさんのお友達として・・・。

私もよく思っていました。親には言えない、友達にはわかってもらえない、そんな事聞いてくれる人がいたらなぁ・・・。って。そして時々よしよししてくれて、時々一緒に泣いてくれて。時々怒ってくれて・・・。

自分の中でつくっちゃいましたけどね。
だからイメージあそびが大好きな私。
(不思議ちゃんと呼ばれてましたが・・)

Ressarさんには想いを伝える言葉をたくさんもっていると思います。書いてほしいです。

by:kazuko | URL | #-【2006/12/08 10:01】 [ 編集] | page top↑
--kazukoさんへ--
コメント有り難う御座います☆
そうですね、どんなときでも、話を聞いて、喜びも哀しみも、共感・共有してくれる大人が子ども時代から、いる事は、とても心強く優しい大人へと、成長していけると思います。

私は、カウンセリングを受け、私の場合は、ほとんど無意味な過程でしたが、色々な意味で、カウンセリング時代を振り返り、決して無意味ではなかった事、自分の人生の上で、とてもプラスになった事だと、思っています。

こんなつたない文章を、読んで下さり、とても感謝しています。
有り難う・・・。
すごく、励まされます。
この記事の向こう側に、読み手がいる事。
私にとって、文字とは、元気と勇気を与えてくれるものです。
活字中毒なんです・・・あたし・・・。
書き続けます。この身体が、動く限り。
この心が、健全であるために。
例え辛くとも、痛くとも、しんどくとも。
気持ちを、言葉へと形を変え、私自身が私であるために。
書く能力がある限り、書く手段がある限り。
恩師に言われた言葉を胸に。

私は、書き続けます。

by:Ressar | URL | #-【2006/12/08 15:43】 [ 編集] | page top↑
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