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障害と人の親切。
障害と人の親切。

障害持って、街に出ると、人の親切に出会います。
時々、声かけられる、

『何か、お手伝いする事は、ありませんか?』

の声がけは。
もしかしたら、“自分でしようと思ってたのに。”といったような。
お手伝いしようと、して下さる方に、断りにくい状況を生んでしまう可能性も、あります。


でも、それはそれで、
「自分で出来るので、ありがとう。」と、はっきりと断ればいい。出来る事ならば。
そして、声かけて下さった側も、
『またお手伝いする事があれば、声かけて下さいね。』
と、ごくさらっと、流せば、いい。


必要な時に、必要な事を、手伝える時に、手伝って頂ければ、嬉しい。


私は、ひとりでは、何も出来ない。
寝返りさえ、満足に打てない中。人の手を借りなければ、それこそ日常生活を送る事は、不可能。
例えば、以前地下鉄に乗って、母とおばと出かけていた時の事。
エレベーターがなく、地下街から下におりる時、傍にいたガードマンさんに、ヘルプを求めた。
すぐに、無線でほかのお仲間を呼んで下さり、男の人3人がかり(うち一人は、かなりご高齢とみられるお爺さん…大丈夫か?と思ったケド。。)で、車椅子持ち上げて、降りて下さった。…は、いいのだけれど。
車椅子の扱い、慣れていらっしゃらないのか、下りの階段を、本来ならば、後ろ向きで車椅子を下さなければならないのに(下りで前のまま、いくと、乗ってる方が前のめりになって、落ちちゃう危険があり、大変危険です。)、そのまま向き変えず、降りるものだから、ひやひやしまくりでした。
母も、叔母も、何も言ってくれなかったし…。まぢ、怖かったです。


下まで降ろして下さった、その中のおじいちゃんガードマンの人が、最後に、

『ごめんなさいね。エレベーターなくて。大変だったでしょう。ご苦労様。ほんとに、ごめんなさいね。』

と、最後まで、丁寧に頭を下げて下さった、そのガードマンの方の姿勢に、心が熱くなり、涙が出ました。


人の親切は、宝なり。
でも、間違った知識を持っていると、危険を伴うことも事実です。
人の親切は、嬉しい。でも、時として、その親切が、仇となることもある。
人への支援って、ほんとに、難しい。
自身、障害持って、そしてボランティアで、たくさんの方々に関らせて頂いた中で。
つくづく、そう思わされるのです。


特に、お年寄りの支援には、難しさが伴います。
基準(何の基準だ?)から言うと、十分“ご高齢者”となる方々にも、「お年寄り」といった意識で、接すると、
『わしは、まだそこまで、老いとらん!!年寄り扱いせんでくれ!!』
とすごい剣幕で、怒られる事…あった。。
彼らにとって、自分の『老い』と向き合う事は、自分の敗北を認めるようで、退化していくその体に、絶望し、向き合う事が出来なくなるケースもあります。
『年寄り扱い』される事を、嫌う高齢者は、実は結構多い。


私は、介護施設等で、いろんな方々と接してきました。障害を持った方も、いらっしゃいました。
そんな時、私は、いつも、こう、声をかけます。
『何か、お手伝いしましょうか?』
その時々で、彼らが求める要求はなんなのかを、いち早く見つけ、なるべく一人一人のニーズや要求に答える。
あのおばあさんは、この時間、お茶飲む時間だから、用意しよう。と、準備に取り掛かり。
長く関る中で、数週間もすれば、利用者さんの求める事が、分かるようになっていた。それは、私の中だけでの、自己満足に過ぎない、ただの憶測に過ぎなかったのかも知れないけれど。


もちろん、お年寄り扱いされる事に慣れてきたのか、あきらめているのか、自分を年寄り。と認めて、素直に甘えて下さるお年寄りもいた。
『ありがとう。』
と笑顔で、言われる度に、うれしくなる。
反対に、「構わんでくれ!」と追い返された時には…
“何か、対応がいけなかったのだろうか。”とショックを受ける。
逆に、「ありがとう。でもこれは、自分で出来るからいいよ。若いのに、気が利くねぇ」
と言われたりもした。
自分の憶測だけで、あれしてあげよう。これしてあげよう。と、親切心で動くのではなく、何よりもまず、本人にお聞きするのが、一番。


『何か、お手伝いする事はありますか?』
そう聞くだけで、
「じゃあ、これやってもらってもいいですか?」
「これは、自分で出来るからいいです。」
と、その時々の答えを、返して下さる。
私は、ボランティアとして介入していく際に、いつも心掛けていたことは、一方的支援にならないように、あくまで利用者さん本人のご意志に沿う。こと。
自分本位の一方的支援になっては、絶対にいけない。


だが、これが、健康な人ならば、どうだろう?
ふと、考えてみた。
例えば、満員電車で、ご高齢の方に、席を譲ろうと、
「ここ、どうぞ。」
と声かけても。
『私は、まだ立てますよ。』
と、断られた時の、気持ち。


『せっかく譲ってあげようとしたのに。遠慮なく座ればいいのに。』
『ちぇっ。』

遠慮なんて、しなくていい社会。
助けが必要な時に、ヘルプする。
必要ない時は、気持ちよく、主張したい。
また、傲慢な譲る気持ちも、ないような。
相手の立場になってみて。
その人の気持ちを、言葉を、素直に受け止められるような。


ほんとは自分で出来るんだけど。
もし断って。
せっかく勇気出して下さったのに、今後、声掛けにくくなってしまい。
今度から、助けが必要な人が、困るんじゃないか…。
そんな事も、耳にした事、あります。

日本人は、やさしいから。
ってのも、良く聞く。



『遠慮して断ってるんじゃないか?』

でも、中には、

『障害者は頼る事に、慣れすぎてるから…。』

という言葉も、よく聞く。

その言葉も、障害者を思っての発言かも知れない。
確かに、人の親切に、ほんとは自分で出来る事も、せっかくの人の好意を無にしてはいけないと、ついつい差し出された手を、受けてしまう事がある。
それは、決して。甘えている訳でもなく。
でも、健常者から見たら、その行為は、『甘え』になってしまうのだろうか?


全て、偏った価値観から、あるんじゃないかな。


障害者には、やさしく助けてあげましょう。
電車の席は、譲りましょう。
とか。
どっかで、習ったこと?


PTOに応じて、考える。その時々。
同じように、障害持ってるからって、車椅子だからって、みんなそれぞれ。
あなたとあたしも、違う。
それって、当然の事、でしょ?

この頃のあたし。

私は、障害という部分において、精神的にも、周りの人の支えになってもらっています。
たぶん、ううん、きっと、独りぼっちなら、ここまで来られなかったと感じています。

だけど、それと同じくらい、『自分でなんとかしなきゃ。』って思いも、持っていて。
時として、助けてもらうべき時に、素直になれなくて、自分を追い込んでいたり。
『出来ない自分』を責め続けていた。


『何か、お手伝いする事ありませんか?』
そのヒトコトで、伝えるきっかけとなる人は、あたしの経験以外にも、たくさんおられると思います。

自分の事は、自分で伝える。
それは、大人社会の基本です。
それを、こんな風に求めてしまうのは、甘えているのかも知れません。

でも、自立性や自主性だけで、人は生きられますか?
人は、一人では、生きられない。

『泣きたい時に、泣ける社会に。』
『やさしい社会に。』

なれば、いいな…。



『もっと自立に向けてがんばれ。』と。
『あなたみたいな人、もっと前向きに、やってるわ。』
あたしの一部分しか知らない人に言われる。
だって、あまり話したことないし…。
何も知らないのに、自分の価値観だけで、物言われるのって、ほんと…つかれる…。
どっかで、テレビや本で、得たのですか…?


あたしは、『車椅子の女性』でもないし。『寝たきりの障害者』でもない。
『寝たきり生活送ってる、一女の子』だと、思ってるし。
あたしは、一障害者だけど、あたしは、あたしという人間です。
って、主張したくなる。。


私は、ここでは、ズバズバ言いたい事、書いてるけど…実際、相手に、言葉として想いを伝える事は、苦手です。相手の事を、考えるあまり、行き違い、すれ違い…揚げ句の果てには、誤解…なんてことも。。
小さい時から、自分の感情を抑え、自分を殺し、怒りさえも自分の内で消化してしまう子どもだった。
過去を振り返り、思う。
自分が、変わらなければならない。
自分はどうなのか?どうありたいのか?どうしたいのか?
いつも、周りには、伝えてこなかったほんとの気持ち。
周りも、言えないあたしに気を使い、どうしてほしいのか?どう支援すればいいのか?と気を使わせてもきた。
伝えなければ、伝わらぬ想い。でも、伝える事で、生まれるモノたち。
伝えれば、伝われば、スムーズに事が運ぶ。でも、伝えれば伝えるほど、他人事の悲しみとも、出会う。


心許して、気持ち打ち明けられる人の前では…、ほっとし過ぎて、。気持ち聞いてもらいたくなって…。
一人よがりに、相手の今の、気持ちも考えず…。
そんな一方通行には、なりたくないから、あたしはいつだって、人との適度な距離、保ってる。
仲がいい医療者とも、一定の距離は、守る。
いくら我が子のように可愛がってもらっても、あたしは、患者。


適度な距離を保ち続けるのは、難しいと感じる今日この頃。。。




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【2006/12/23 00:09 】 | 想うこと | コメント(2) | トラックバック(0) | page top↑
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コメント
--共感できます。--
はじめまして。ハルと申します。
どんな難病や身体の不自由をもっていたって、そうでない人でも、お互い出来ないことがあれば出来る範囲であるならば、言われた時にこころよく手伝う、また大丈夫であればその親切な相手の気持ちにありがとうと言い、自分で出来る事を伝える。お互いが特別なこととして意識しなければ出来る事だと僕は思っています。
by:ハル | URL | #2kbNzpR6【2006/12/23 10:48】 [ 編集] | page top↑
--ハルさんへ--
コメント有難う御座います。

そうですね。
誰もが遠慮なく、手助けしてほしいときに、手伝い、ありがとうと言える社会になってほしいものですね。
by:Ressar | URL | #-【2006/12/23 12:24】 [ 編集] | page top↑
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