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大人になれないコンプレックス
車椅子になってから、同じように車椅子生活をしている人とか、同じような病気や障害持ってる人と、知り合いたいと、友達になりたい。とすごく思った時期があった。
その次には、障害・病気を持った人と距離を置いた時期がありました。

それは、自分の中で、障害・病気を認めたくない気持ちがあったのと、同じように障害を持った者同士でも、それぞれの違う人間で、全てはわかりあう事が出来ない事に気づいた(障害や病気の原因も程度も症状もそれぞれ違う、それ以前に、性格も考え方も当たり前に人それぞれ。分かり合えるはずと求めた分、その埋めあえない距離が大きく感じた)。
そして一つ、あたしが決定的に心に傷を感じたのは、
「あなたは所詮偽善者。人の痛みなんて誰にもわかりっこない。」
と、ボランティアで関ったある女の子に、言われた言葉だった。

あたしは、小学校5年から6年までいじめを受けた。
5年生の時は学級崩壊で、担任だった男性教師が女子生徒にひいきをしたとかで、生徒からいじめを受け、担任が不登校になった。
担任の不在の時は教頭・校長自らが授業をしたという体制だったようだ。
あたしはその頃長期入院を繰り返し、ほとんど行ってなかったからいじめの全容を知ったのは、クラスに戻ってからの事だった。
長い事休んでいて、登校できた時には、担任が変わっていた。
それで、いじめのある事実を知ったんだ。新しく担任になったのは、他校から来られた女性教師だった。
彼女は多くの養護学校などで重度の障害を持った生徒を受け持ち、真剣に向き合っていた先生だった。
彼女一人の手で、あれほども荒れ狂っていたあたしの学級は、立ち直った。
そして、あたしたちが卒業するまで見守ってくれた。
彼女が私に文字を書く楽しさを教えてくれた人であり、人生の恩師だ。
だが、そのクラス内でのいじめはひどいものだった。あるターゲットとなる子を的に絞り、クラス全員で、無視・陰口・言葉の暴力。
それは次第に、体が弱く休みがちなあたしへと向けられた。

だが、もう一人クラス内で同じようないじめを受けていた女の子がいた。
彼女は、転校してきたばかりの子で、同じようないじめだった。
掃除の時間、あたしは埃を吸うと発作を起こす事から、保健室か養護学級にいくように言われていた。
でも、帰ってきたら、あたしの机だけがそのままにしてあった。同じいじめられてた女の子が、あたしのそのままになってた机を運ぼうとしてくれたら、
「バイ菌移るから、やめとき。」といわれた。
あたしは、「なんでバイ菌うつるん?」
分からない謎ばかりだった。みんな、プリントとかを配るのを嫌がり、休んだら欠席カードという連絡簿を家の近くの子が持っていく事になっているのだが、休みが多くなるとそれすらも、満足に持ってきてくれなかったりした。
正直、あたしはオトナシイ子だった。目立たない、でも登校した日には進んで手をあげて、みんなが嫌がる仕事も自ら引き受けていた。
担任にも積極性があると一目置かれていた。それが、彼らにしたら面白くなかったのかもしれない。
でもあたしには、耐えられた。休みがちだから、明日には登校できるか分からないし、また入院になって、長期欠席になるかもしれない。
みんな、「同じようにいじめに遭う標的になるのが怖くて“傍観者”」になるんだと、その時のあたしには、わかっていた。
むしろ、毎日学校という世界にいない、あたしには、そのいじめの光景は、幼稚に見えたし、馬鹿馬鹿しかった。
だけど、みんないじめはストレス解消に楽しくて、イジメラレル側にはなりたくないから必死だというのは、何となくわかった。

小児病棟でみたいじめとどこか似ていて、病気の辛さや治療や検査の憂鬱、病院に閉じ込められた狭くて小さな世界。溜まったストレス発散とかのために、いじめがあった。
特になかなか退院できなく長期入院が続いている子が退院する子めがけて。
でも、どこの時代にもどこの世界にも、いじめは存在する。
それは人と人とが交じり合う限り、なくなりはしない。

中学に進学してから、あたしは病状が重くなり教室での授業を一度も受けた事がない。保健室だった。
だから、いじめが続いていたのかは分からないが、よく休み時間には仲のよい友達が、ノートをとって届に来てくれた事があった。あの時は、うれしかったなぁ。。もう、今は、連絡もしてないけど。
級友によるいじめは、あたしの中で、小学生時代に終わった。だが、中学になってから、教師による体罰・精神的な暴力に耐えた。一番しんどかったのは、中学だったなぁ。。
いい思い出なんて一つもなかったし。。
大人に絶望したのも、この時から。

いじめはどこの社会にもある。と割り切れるようになったのは、高校になってから。
だって、病気ならより、仕方ないし。
しんどさや辛さも分かるから・・・。
だけど、クラスの子たちは、みんな健康なのに、何に不満なんだろう?受験?つまらない学校生活?家庭?そんな言い訳に出来る?
正直、学校に行きたくてもいけなかったあたしには、分からなかった。
でも、クラスの男の子にはなぜか人気があった。これは自慢でもなんでもないです。同じ班になった男の子には、めったに一緒には過ごせない給食の時とか、牛乳で笑わせてくれたし、あまり面白くなくて笑わなかったら、しょげてたし。たぶん、先生から言われてたんだろうな。。「Ressarは、難しい病気のため、休みがちだから、登校した日には、やさしくするように。」そんな事が予測出来てしまった。

あたしが、遅れて母に連れられ教室に行くと、みんなの視線が、あたしに注がれる・・・そんな雰囲気。
テストも発熱で欠席。テストが返ってきたら、
「いいなぁ~、テスト受けなかったら、点数とか気にならなくていいね。」
なんて、平気でうらやましがられた。
病気になってなかったら、熱が出なかったら、内申がぼろぼろでいける高校なかったら、どうすんの・・・。悔しさや襲う不安なんて、誰にもわかんなかっただろう。
健常児で友達と呼べる友達が、学校にはいなかった。
でも、声かけて、子ども同士の付き合いで遊んだ子もいた。周りにはたくさんの友達がいたのに、なぜかあたしは、孤独を感じていた。
もしかしたら、私と同じようにいじめをうけていた、あの転校生もあたしと同じ、孤独だったのかもしれない。

楽しみも苦しみも、ともに分かち合える友達はいない。とても孤独だ・・・。あたしと一緒だと・・・。
だけど、それは同じではなかった。あの女の子は、学校に行きたくなくても、翌日には行かないといけない。あたしは、行きたくてもいけない。
どちらの方が、苦しくて辛いかなんて、比べられないし、重さは測れない、同じ天秤にかける事は、不条理だ。
あたしには、分からない事ばかりだった・・・。
中学も、あたしは友達を極力つくらないようにした。
彼らに何も求めなかった。
クラスにいないのが当たり前な存在。はじめからつくれない、だからつくらない。
とにかく行けるときに行く事。後は無事に、許可されてりいる2時間を過ごせるか。
体力が持つか?自分との闘い。

いじめの痛みなんて、病気の痛みなんて、そんなのなってみた人でないと、分からないよ。
あたしだって、自分の痛みはわかるけど、自分の痛みを知れば知るほど、人様の痛みは分かり合えないと思う。

障害や病気がきっかけで、いじめられる事は、よくあると思う。
それは、同じように、病気や障害とともに生きて過ごしてきた人と話して、知るようになった事。
悲しい事、辛い事・・・。
あたしには、ほんとうの友達のぬくもりは感じた事なかったし、クラスにはいなかった。
いないのと同じ存在だった。クラスの中に溶け込めない。どちらの立場にもいない、存在がない。
透明人間みたい。そんな自分・・・。
思春期という空白の時間。あたしもさみしかったんだよ・・・辛かったんだよ・・・。
先生や親に保護されて守られてばかりも、辛いんだよ・・・。
みんなと同じ時間を過ごせていない。
傷つけたり、傷ついたり、そういう痛みも分からずに・・・。休みがちなあたしに、距離をおかず、登校すれば話し掛けてくれたクラスメイトには、本当に感謝しています。

中学3年の時、その時期には動く事も出来ないほど衰弱しきっていたあたしに、卒業式間近だからと、担任への寄せ書きを持ってきてくれたり、そこにはちゃんとあたしが書くスペースもあけてあった。
試験が終わった日には、おかしの差し入れもって来てくれたとき、ほんとにうれしかった。
あえていうなら、中学3年の時が一番中学生活で思い出として残ってる。担任も変わって、その先生とは気があったし、もう一度あたしに教師としての信頼を取り戻してくれた。

クラスメイトは、「卒業式には絶対来ておいでな!歩かれへんかったら、うちらがおぶってたるから!」と言ってくれた友達。はじめて、健康な子の友達と呼べる子を持った、と思った。
卒業式の出席は、ドクターからもお許しは出なかった。卒業式の後、担任が、卒業証書を持ってきてくれ、一人だけの卒業式を行ってくれた。でもあたしには、印象的な卒業式だった。
その3日後、クラス全員が、家まで来て、あたしのためだけに、卒業式をしてくれた。クラス全員40人、仲のよかった子に下に降りてきて。とメールをもらって、感染症の危険から危なかったけど、降りたら、クラス全員が、男の子も、「卒業おめでとう!!」と大声で言ってくれたんだ。あの時は・・・びっくりしたけど、涙が出て止まらなかった。

あたしのための色紙まで書いてきてくれた。
一度も会った事もない子もいた。同じ教室で共に勉強した事もない彼らが、ここまでしてくれるとは思えなかった。あたしは、病気の関係で背が低い。チビ。
外に出たあたしに向かって、男子が発したひとことが、「ちっさ!」だった・笑。知らない男の子からは、「かわいい!」とか言われたなぁ・・・笑。
みんなは背が高かった。卒業しただけあって、髪染めてる女の子もいたし、ピアスしてる子もいた。
うらやましかった。たった、10分足らずしか顔合わせる事は出来なかったけど、身も知らずのクラスメイトと呼べるかどうかさえ疑問なあたしに、こんなサプライズを届けてくれた友達に、はじめて「友達」として受け入れられた思いだった。

1週間後、病院であたしは2回目の卒業式を開いてくれました。院長先生の言葉が頭から離れない。
「君は生まれてからずっと、病気と向き合い、多くの奇跡を私たちに見せてくれました。辛い事もしんどい事も、痛い事もあったでしょうが、全てをなおに受け入れるあなたの健気な姿に尊敬します。あなたは、ここにいるドクターやナースに、そして今日出席できなかった多くの人たちの心の支えとなり、多くの事を教えてくれました。あなたがこの病院で育った事を、誇りに思い、そしていつか、共に仕事が出来る事を、心より楽しみにしています。」
といわれた言葉が、印象的だった。最後の、いつか共に仕事が出来る事を心より楽しみにしています。の言葉が、妙にうれしくて、何度も日記に書いたなぁ。。

少し成長してから、ふと感じる事は、未だに、中学時代という思春期の空白を、あたしという人間形成に、成長できない要素かなぁ、とか思ったりもする。
あの教師による裁判事件がなかったら、教師による嫌がらせがなかったら。もっと快適だったかもしれない中学校生活。二度とはない、中学時代を、少しでもふつうに楽しみたかったなぁ。とも思うかな・・・。

またある人に言われた言葉。
「あなたは社会人の経験がないのだから、人間関係に未熟なところがあると思うよ。」
あたしは、学校も行けなかったし、無理を承知で中学生のころにボランティアでたくさんの人と関っただけで、働いた事もないし、働いてお金をもらった事もない。でも、父の姿をみてきて、働くのは大変、大人としての自己責任、それが大人社会で生きる基本と、いろいろ思ってきた。
生まれる前から、病気との付き合いの毎日。そればかりで、ほかに何をしたとか、身についたとかは、痛みに強くなった事と、病院のかかり方や、医者との付き合い方がうまくなったくらい?それさえも、難しいかな・・・。成長したものなんて、これっぽっちもない。先生や看護師さんに守られ、治療や検査を素直に受け、出来る事と出来ない事を制限される毎日。
自由から、程遠い毎日だった。自分の仕事というものを得て生きてきた、周りの友達をみると、時に自分と違うなぁと思うのは、折り合いのつけ方。
大人になるというのはある意味、上手にあきらめる事が出来るようになるという事。自分の力や周りの力で、出来る事と出来ない事が、見えるようになるのも、大人になるという事。あたしの中の、まっすぐな部分が、自分と相手との間で、突き刺さり、しんどく感じてしまう時がある。

生きていく、という仕事と、これまで毎日付き合ってきた、あたし。それにはいつだって、真剣勝負だし、手抜きは出来ない。自分の命を守るのは、自分しか出来ない。誰にも譲れない、守れない、あたしの毎日。もしかしたら、病気と付き合ってきた、あたしだから、感じた事、考えた事があったかもしれない。

生きてる事に自分や周りの命の存在に、感謝する機会なんて人生において、そんなにない事。病気との付き合いの中で、得たものもある。先生や看護師さん、患者仲間、そして家族。
あたしという小さな世界の中で、それなりに人間関係に、悩み、考え、成長させてもらった。だけどやっぱり、どこかで不安。社会経験がない事。これから先もおそらく。子どもも生めない。子どもを生むという事、育てるという事は、母になる事。子どもが好きで、体力があるならば、保育士にもなりたい!と思ってた事もあった。
あたしは結婚できるのか?子どもは生めないのか?子育ては?自分の事さえ出来てない者に人を育てるなんて事が出来るはずもない。でも、そんな女性としての普通の夢もある。捨ててはいないけど、あきらめも持っている。きっと、ずっと悩んでいくんだろうなぁ。

その歳らしい、人間になっていますか?と。
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【2007/06/07 21:57 】 | 想うこと | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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