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信じる・・・痛さ。
入院中、生きるってなんだろう・・・?
とかいろいろ考えさせられた。
と言っても、現実は、在宅に戻ってからの方が、良くより鮮明に、考えているかな。

入院中は、ほんと治療の事で精いっぱいで、体の症状のきつさについていくのがやっとで、なぜ人は生きるか?なんて事も考える余力は、なかった。

そう、考えるのは、人が死ぬことに、敏感になっているのかも知れない。
あたしは今まで、いろんな病棟で、人の死に近すぎた。

まだ?と言ってもいいくらい、たぶん死を考えるには若いのに。人間、みんないつかは、死ぬんだ。と、どこか達観しちゃってる自分。

死を考えるのは、もっと先のことでいい。
そうであって欲しい。
身内の死を経験するより先に、自分の死・仲間の死を意識しないといけなかったのは、私のその後の人生に大きな影響力を与えた。
生き物はいつかは必ず死ぬ。
それはだれでも平等に与えられたものだと、教えられた。だけど・・・幼くして死ななければいけなかった子と多くの大人が悪さをしている世の中で・・・矛盾したこの世に、感じるものはいくらでもあるけれど・・・。。

それを言葉に出来るほどの、力は私にはなく、また人を許せる寛容の心も備わっていない。
もっと、人に優しくなりたい。もっと、強くなりたい。もっと、素直になりたい。もっと、人を許せる心を持ちたい。もっと、何でも笑い飛ばせるくらいの大きな人になりたい。。

そう思いながら、毎日現実を見つめて、生きているんです・・・。

人を信じるのって、難しい。どうして?なぜ?の連発。人を信じるたびに、自分を見失う・・・それは自分が弱いからだと思っていた。
でも、バカな私はどんなに裏切られても、信用を失っても、嫌いにはなれなかった。あたしは、人を寄せ付けないオーラーみたいなものがあると良く言われる。近寄りがたいとも言われた。学校でも友達はあまりいなかった。というより、学校に行けば、寄ってきてくれる子はいたけど(多分先生から来たら仲よくしてあげてね。みたいなことを言われていたと思う。)あまり喋らなかった。
それは、もう小さいときからで、人付き合いが苦手というよりは、早くも人生を悟っていた・・・といった方が正確かも知れない。

何度も人を信じれなくなった。医療を、自分を、人を、信じられず、この世に確かなものなんてあるのかと思った。
それでも、もう一度自信を持ち、信じる力をくれたのは、主治医や多くの仲間や家族だった。
苦手な人は距離をおけばいい。でも、社会では自分の好きな人のみの付き合いでは、やっていけないこと。それを私は、ボランティア活動で学んだ。ほんの少しの間だったけど・・・色々な人たちと出会い、いろいろな事を短期間で学んだ2年間は、本当に充実していて、楽しいときでした。

体は悲鳴をあげていたけれど、今の私の支えでもあります。大事なのは、人を信じるという姿勢。。
そして、難しいのは、人を信じる事の兼ね合いだ。だまされても、裏切られても、見捨てられても、信じる事の意味を、2年間のボランティア生活で学んだような気がする。

私の周りには、いつも見守ってくれる人がいた。家族がいて、医療者がいて、仲間がいて・・・良き理解者がいた。ただ、見えなかっただけ・・・。

自己中心になると、周りが見えなくなる。健康な人との距離を感じては、孤独になる。
同世代の子の話に付いていけなかったとき、ものすごく孤立する。あの時から・・・全然、前へ進めていない私。。同じ事を繰り返し、同じ問題にぶつかり、悩み、生きようと必死でもがいている自分・・・。


悩むのは、人生に永遠のテーマ。
変わらない、苦悩。
それは、私が生きていくうえで、どうしようもできないこと。

そう、割り切ってみた。
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【2007/06/23 16:29 】 | 想うこと | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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