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失うということ。
失うこと。(4月)

ある病気で片足を切断した女の子がいた。

その子とは10年来の友達だった。
片足を失ったその子は、
「もう一度、ミニスカートを履いて、颯爽と街を歩きたい。」
という夢を持っていた。従来の義足では、銀色の義足が剥き出しになり、とてもミニスカートは履けない・・・。
それで、切断していない足に近い、肌色の義足をつくることになった。しかし、出来上がった義足を見て、彼女が注文した事は、「膝小僧がほしい。」だった。その思いに答え、完成した義足は、以前会ったときに見せてもらったが、義足とは思えない出来栄えだった。

何かを失うということは、それまでの本来の自分を失うことでもある。

私は冷えるといけないからと、スカートは履かせてもらえなかった。腎臓やお腹を冷やすと、発作を起こすから。それでも、ミニスカートを履いてみたい。と思ったこともある。夏にちょっとだけ許してもらって、母に買ってもらったら、父にものすごく叱られた。
母は、叱られている私を後目に、ニタニタ笑っていた・・・。
後でなんで助けてくれなかったの?と問い詰めると、「お父さんはあんたが可愛くてしょうがないんや。それに、そのスカート、めっちゃ短いから、それでお父さん怒ったんもあるんやで。」と。
確かに、私が選んだものは、ギリギリのミニで、買う時も、母と、お父さんが怒らないかとひやひやしながら、買ったものだった。
父にとってはいつまでも可愛い娘なのだろうか。
一回だけ着て、祖母んちに見せに行った限りで、そのスカートは履かなくなった。もう一度、履いてみたいと思う。けど、もう年齢的に限界か・・・汗。

また車椅子ユーザーの友達にも、何人かそういった悩みを抱えている人もいる。
車いすに座って、皺にならず、履きやすく、トイレなどにも対応しやすい。というリクエストに答えてくれる洋服って、一般の売っているものでは、なかなか見つかりにくい。
スカートは座る状態では、何cmか上にあがる。ずっと車椅子に座っているような人は、その辺も考慮して、スカートの丈を合わせないといけない。それに、私が今欲しいのは、ジーンズ。
元々、ズボン派で、ジーンズが好きだった私は、病院で緊急入院になる時でも、苦しいからパジャマに着替えなさいと先生から言われても、着替えなかった。
なかなか、車椅子で履きやすくて、脱ぎ着もしやすい、というニーズに答えてくれるものは、ない。介護してもらうにも一番人気のないものは、ジーンズ。
これは生地の都合上、とても履かせにくく、脱がせにくいものらしい。
デザインもお気に入りで、脱ぎ着もしやすくて、履き心地のよいものに出会うと、「いつもその服を着ている・・・」という定番のものになってしまう。。
もっとレパートリーを増やしたいと思うのだけど。。

それに、私はむちゃくちゃ小さいので、いまだに子ども服。サイズは早くも弟に抜かされました。
弟のズボン、履けます。ジーンズとなると、ウエストもめちゃ細いので、だぶだぶ・・・。丈も調整してもらわなければなりません。
でも今の私は、パジャマか介護しやすいジャージなので、そんな話は、もっともっと遠いものですが・・・。

障害を受け入れる事は、あきらめる事ではなく、私はすべてを受け入れてはいない。
人間ってそんなシンプルには出来ていないもの。

最近歳を取ることも、失うことかな?と、感じ始めた。そういう年齢なのかな?まだ早い?若い頃は、平気で出来ていたことや、言ってたことが、恥ずかしくなったり。「もう年だし。」の一言であきらめたり。でも、まだまだ、あきらめるのは早いと思う・・・。

だけど・・・どうしようもない。しかたない。
という想いも・・・あるのだ。
これは、あきらめ・・・になるのだろうか・・・。


【2007/06/23 15:24 】 | 想うこと | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
大人になれないコンプレックス
車椅子になってから、同じように車椅子生活をしている人とか、同じような病気や障害持ってる人と、知り合いたいと、友達になりたい。とすごく思った時期があった。
その次には、障害・病気を持った人と距離を置いた時期がありました。

それは、自分の中で、障害・病気を認めたくない気持ちがあったのと、同じように障害を持った者同士でも、それぞれの違う人間で、全てはわかりあう事が出来ない事に気づいた(障害や病気の原因も程度も症状もそれぞれ違う、それ以前に、性格も考え方も当たり前に人それぞれ。分かり合えるはずと求めた分、その埋めあえない距離が大きく感じた)。
そして一つ、あたしが決定的に心に傷を感じたのは、
「あなたは所詮偽善者。人の痛みなんて誰にもわかりっこない。」
と、ボランティアで関ったある女の子に、言われた言葉だった。

あたしは、小学校5年から6年までいじめを受けた。
5年生の時は学級崩壊で、担任だった男性教師が女子生徒にひいきをしたとかで、生徒からいじめを受け、担任が不登校になった。
担任の不在の時は教頭・校長自らが授業をしたという体制だったようだ。
あたしはその頃長期入院を繰り返し、ほとんど行ってなかったからいじめの全容を知ったのは、クラスに戻ってからの事だった。
長い事休んでいて、登校できた時には、担任が変わっていた。
それで、いじめのある事実を知ったんだ。新しく担任になったのは、他校から来られた女性教師だった。
彼女は多くの養護学校などで重度の障害を持った生徒を受け持ち、真剣に向き合っていた先生だった。
彼女一人の手で、あれほども荒れ狂っていたあたしの学級は、立ち直った。
そして、あたしたちが卒業するまで見守ってくれた。
彼女が私に文字を書く楽しさを教えてくれた人であり、人生の恩師だ。
だが、そのクラス内でのいじめはひどいものだった。あるターゲットとなる子を的に絞り、クラス全員で、無視・陰口・言葉の暴力。
それは次第に、体が弱く休みがちなあたしへと向けられた。

だが、もう一人クラス内で同じようないじめを受けていた女の子がいた。
彼女は、転校してきたばかりの子で、同じようないじめだった。
掃除の時間、あたしは埃を吸うと発作を起こす事から、保健室か養護学級にいくように言われていた。
でも、帰ってきたら、あたしの机だけがそのままにしてあった。同じいじめられてた女の子が、あたしのそのままになってた机を運ぼうとしてくれたら、
「バイ菌移るから、やめとき。」といわれた。
あたしは、「なんでバイ菌うつるん?」
分からない謎ばかりだった。みんな、プリントとかを配るのを嫌がり、休んだら欠席カードという連絡簿を家の近くの子が持っていく事になっているのだが、休みが多くなるとそれすらも、満足に持ってきてくれなかったりした。
正直、あたしはオトナシイ子だった。目立たない、でも登校した日には進んで手をあげて、みんなが嫌がる仕事も自ら引き受けていた。
担任にも積極性があると一目置かれていた。それが、彼らにしたら面白くなかったのかもしれない。
でもあたしには、耐えられた。休みがちだから、明日には登校できるか分からないし、また入院になって、長期欠席になるかもしれない。
みんな、「同じようにいじめに遭う標的になるのが怖くて“傍観者”」になるんだと、その時のあたしには、わかっていた。
むしろ、毎日学校という世界にいない、あたしには、そのいじめの光景は、幼稚に見えたし、馬鹿馬鹿しかった。
だけど、みんないじめはストレス解消に楽しくて、イジメラレル側にはなりたくないから必死だというのは、何となくわかった。

小児病棟でみたいじめとどこか似ていて、病気の辛さや治療や検査の憂鬱、病院に閉じ込められた狭くて小さな世界。溜まったストレス発散とかのために、いじめがあった。
特になかなか退院できなく長期入院が続いている子が退院する子めがけて。
でも、どこの時代にもどこの世界にも、いじめは存在する。
それは人と人とが交じり合う限り、なくなりはしない。

中学に進学してから、あたしは病状が重くなり教室での授業を一度も受けた事がない。保健室だった。
だから、いじめが続いていたのかは分からないが、よく休み時間には仲のよい友達が、ノートをとって届に来てくれた事があった。あの時は、うれしかったなぁ。。もう、今は、連絡もしてないけど。
級友によるいじめは、あたしの中で、小学生時代に終わった。だが、中学になってから、教師による体罰・精神的な暴力に耐えた。一番しんどかったのは、中学だったなぁ。。
いい思い出なんて一つもなかったし。。
大人に絶望したのも、この時から。

いじめはどこの社会にもある。と割り切れるようになったのは、高校になってから。
だって、病気ならより、仕方ないし。
しんどさや辛さも分かるから・・・。
だけど、クラスの子たちは、みんな健康なのに、何に不満なんだろう?受験?つまらない学校生活?家庭?そんな言い訳に出来る?
正直、学校に行きたくてもいけなかったあたしには、分からなかった。
でも、クラスの男の子にはなぜか人気があった。これは自慢でもなんでもないです。同じ班になった男の子には、めったに一緒には過ごせない給食の時とか、牛乳で笑わせてくれたし、あまり面白くなくて笑わなかったら、しょげてたし。たぶん、先生から言われてたんだろうな。。「Ressarは、難しい病気のため、休みがちだから、登校した日には、やさしくするように。」そんな事が予測出来てしまった。

あたしが、遅れて母に連れられ教室に行くと、みんなの視線が、あたしに注がれる・・・そんな雰囲気。
テストも発熱で欠席。テストが返ってきたら、
「いいなぁ~、テスト受けなかったら、点数とか気にならなくていいね。」
なんて、平気でうらやましがられた。
病気になってなかったら、熱が出なかったら、内申がぼろぼろでいける高校なかったら、どうすんの・・・。悔しさや襲う不安なんて、誰にもわかんなかっただろう。
健常児で友達と呼べる友達が、学校にはいなかった。
でも、声かけて、子ども同士の付き合いで遊んだ子もいた。周りにはたくさんの友達がいたのに、なぜかあたしは、孤独を感じていた。
もしかしたら、私と同じようにいじめをうけていた、あの転校生もあたしと同じ、孤独だったのかもしれない。

楽しみも苦しみも、ともに分かち合える友達はいない。とても孤独だ・・・。あたしと一緒だと・・・。
だけど、それは同じではなかった。あの女の子は、学校に行きたくなくても、翌日には行かないといけない。あたしは、行きたくてもいけない。
どちらの方が、苦しくて辛いかなんて、比べられないし、重さは測れない、同じ天秤にかける事は、不条理だ。
あたしには、分からない事ばかりだった・・・。
中学も、あたしは友達を極力つくらないようにした。
彼らに何も求めなかった。
クラスにいないのが当たり前な存在。はじめからつくれない、だからつくらない。
とにかく行けるときに行く事。後は無事に、許可されてりいる2時間を過ごせるか。
体力が持つか?自分との闘い。

いじめの痛みなんて、病気の痛みなんて、そんなのなってみた人でないと、分からないよ。
あたしだって、自分の痛みはわかるけど、自分の痛みを知れば知るほど、人様の痛みは分かり合えないと思う。

障害や病気がきっかけで、いじめられる事は、よくあると思う。
それは、同じように、病気や障害とともに生きて過ごしてきた人と話して、知るようになった事。
悲しい事、辛い事・・・。
あたしには、ほんとうの友達のぬくもりは感じた事なかったし、クラスにはいなかった。
いないのと同じ存在だった。クラスの中に溶け込めない。どちらの立場にもいない、存在がない。
透明人間みたい。そんな自分・・・。
思春期という空白の時間。あたしもさみしかったんだよ・・・辛かったんだよ・・・。
先生や親に保護されて守られてばかりも、辛いんだよ・・・。
みんなと同じ時間を過ごせていない。
傷つけたり、傷ついたり、そういう痛みも分からずに・・・。休みがちなあたしに、距離をおかず、登校すれば話し掛けてくれたクラスメイトには、本当に感謝しています。

中学3年の時、その時期には動く事も出来ないほど衰弱しきっていたあたしに、卒業式間近だからと、担任への寄せ書きを持ってきてくれたり、そこにはちゃんとあたしが書くスペースもあけてあった。
試験が終わった日には、おかしの差し入れもって来てくれたとき、ほんとにうれしかった。
あえていうなら、中学3年の時が一番中学生活で思い出として残ってる。担任も変わって、その先生とは気があったし、もう一度あたしに教師としての信頼を取り戻してくれた。

クラスメイトは、「卒業式には絶対来ておいでな!歩かれへんかったら、うちらがおぶってたるから!」と言ってくれた友達。はじめて、健康な子の友達と呼べる子を持った、と思った。
卒業式の出席は、ドクターからもお許しは出なかった。卒業式の後、担任が、卒業証書を持ってきてくれ、一人だけの卒業式を行ってくれた。でもあたしには、印象的な卒業式だった。
その3日後、クラス全員が、家まで来て、あたしのためだけに、卒業式をしてくれた。クラス全員40人、仲のよかった子に下に降りてきて。とメールをもらって、感染症の危険から危なかったけど、降りたら、クラス全員が、男の子も、「卒業おめでとう!!」と大声で言ってくれたんだ。あの時は・・・びっくりしたけど、涙が出て止まらなかった。

あたしのための色紙まで書いてきてくれた。
一度も会った事もない子もいた。同じ教室で共に勉強した事もない彼らが、ここまでしてくれるとは思えなかった。あたしは、病気の関係で背が低い。チビ。
外に出たあたしに向かって、男子が発したひとことが、「ちっさ!」だった・笑。知らない男の子からは、「かわいい!」とか言われたなぁ・・・笑。
みんなは背が高かった。卒業しただけあって、髪染めてる女の子もいたし、ピアスしてる子もいた。
うらやましかった。たった、10分足らずしか顔合わせる事は出来なかったけど、身も知らずのクラスメイトと呼べるかどうかさえ疑問なあたしに、こんなサプライズを届けてくれた友達に、はじめて「友達」として受け入れられた思いだった。

1週間後、病院であたしは2回目の卒業式を開いてくれました。院長先生の言葉が頭から離れない。
「君は生まれてからずっと、病気と向き合い、多くの奇跡を私たちに見せてくれました。辛い事もしんどい事も、痛い事もあったでしょうが、全てをなおに受け入れるあなたの健気な姿に尊敬します。あなたは、ここにいるドクターやナースに、そして今日出席できなかった多くの人たちの心の支えとなり、多くの事を教えてくれました。あなたがこの病院で育った事を、誇りに思い、そしていつか、共に仕事が出来る事を、心より楽しみにしています。」
といわれた言葉が、印象的だった。最後の、いつか共に仕事が出来る事を心より楽しみにしています。の言葉が、妙にうれしくて、何度も日記に書いたなぁ。。

少し成長してから、ふと感じる事は、未だに、中学時代という思春期の空白を、あたしという人間形成に、成長できない要素かなぁ、とか思ったりもする。
あの教師による裁判事件がなかったら、教師による嫌がらせがなかったら。もっと快適だったかもしれない中学校生活。二度とはない、中学時代を、少しでもふつうに楽しみたかったなぁ。とも思うかな・・・。

またある人に言われた言葉。
「あなたは社会人の経験がないのだから、人間関係に未熟なところがあると思うよ。」
あたしは、学校も行けなかったし、無理を承知で中学生のころにボランティアでたくさんの人と関っただけで、働いた事もないし、働いてお金をもらった事もない。でも、父の姿をみてきて、働くのは大変、大人としての自己責任、それが大人社会で生きる基本と、いろいろ思ってきた。
生まれる前から、病気との付き合いの毎日。そればかりで、ほかに何をしたとか、身についたとかは、痛みに強くなった事と、病院のかかり方や、医者との付き合い方がうまくなったくらい?それさえも、難しいかな・・・。成長したものなんて、これっぽっちもない。先生や看護師さんに守られ、治療や検査を素直に受け、出来る事と出来ない事を制限される毎日。
自由から、程遠い毎日だった。自分の仕事というものを得て生きてきた、周りの友達をみると、時に自分と違うなぁと思うのは、折り合いのつけ方。
大人になるというのはある意味、上手にあきらめる事が出来るようになるという事。自分の力や周りの力で、出来る事と出来ない事が、見えるようになるのも、大人になるという事。あたしの中の、まっすぐな部分が、自分と相手との間で、突き刺さり、しんどく感じてしまう時がある。

生きていく、という仕事と、これまで毎日付き合ってきた、あたし。それにはいつだって、真剣勝負だし、手抜きは出来ない。自分の命を守るのは、自分しか出来ない。誰にも譲れない、守れない、あたしの毎日。もしかしたら、病気と付き合ってきた、あたしだから、感じた事、考えた事があったかもしれない。

生きてる事に自分や周りの命の存在に、感謝する機会なんて人生において、そんなにない事。病気との付き合いの中で、得たものもある。先生や看護師さん、患者仲間、そして家族。
あたしという小さな世界の中で、それなりに人間関係に、悩み、考え、成長させてもらった。だけどやっぱり、どこかで不安。社会経験がない事。これから先もおそらく。子どもも生めない。子どもを生むという事、育てるという事は、母になる事。子どもが好きで、体力があるならば、保育士にもなりたい!と思ってた事もあった。
あたしは結婚できるのか?子どもは生めないのか?子育ては?自分の事さえ出来てない者に人を育てるなんて事が出来るはずもない。でも、そんな女性としての普通の夢もある。捨ててはいないけど、あきらめも持っている。きっと、ずっと悩んでいくんだろうなぁ。

その歳らしい、人間になっていますか?と。
【2007/06/07 21:57 】 | 想うこと | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
失すということ。
病気になって、失ったものは増えた。
あきらめたものも、あった。
手放さなければならなかった、夢もあった。

そして、失うものは、病気によって失くしたものでも、人によってそれぞれなのではないだろうか。
ある人は、事故で足を切断しなければならない事態だったり、ある女性では、乳がんで切除しなければならなかったりするだろう。
そして、求めるものも、行き先も、また人それぞれだという事を、ここで再度、確認しておかなくてはならないと思う。

私の場合、それが夢であり、女性としての機能であり、歩くことであり、息をすることであり、体の機能であり、子どもらしさを失う事であった。

良く聞く、「病気になったから、得たものがある。」というような言葉を、よく耳にする。
そして同じように、「病気になって良かった。病気に感謝している。」という言葉も同じくらい聞く言葉である。

そんな話を耳にする度に、そう思っている人たちの事を、心から尊敬してしまう。
私には、何年付き合っても、決してそうは思えないであろうから。
確かに私だって、病気が全て不幸だとは思っていない。病気だったからこそ、今の自分が存在していると思っているし、感謝もしている。同時に、病気であったからこそ、出会えた大切な人たちもいたわけだ。

しかし、病気は私から夢を奪った。そして今、生きる行為すら奪おうとしている。
その現実の中で生きる事が、どんなに苦しくて辛いものであるか。

「病気になって良かった。」
という言葉は、病を克服し、あるいはうまく共生しているからこそ、生まれる言葉であり、言える言葉なのだと未熟な私は、思う。


私の人生は、病気と共に生き、向き合ってきた。
しかし、その人生の全てが、病気や障害に埋め尽くされたわけでは、決してない。
あくまでも、病気や障害は、私自身の一部と思っている。
私は、寝たきりの女の子でもないし、車椅子の障害児でもない。
難病を背負いながら生き、寝たきり生活を送る、一個人だと思っている。

病気や障害で失うものは、人それぞれだろう。
そして、その捉え方も十人十色で、いい。
求めるニーズも、違う。

何かを失うという事は、それまでの本来の自分を失うということでもある。
私は、車椅子になり、寝たきりとなってから、自分というものを、失いそうになりながら、病気の後をついていくので、精いっぱいな日常を送っている。

決してそれが不幸だとか、不幸せだと思っているわけでは、ない。そう思った事も、ない。
ただ、そういう現実の中で、生きる事が、辛く、時には投げ出しになりたい時だって、存在する。

病気になったのは、確かに不運な出来事だった。
だけど、その事を不幸だと意識した事は、一度もない。
私は不幸に育てられた訳ではない。逆に、病気であったからこそ、親には健康な子どもに注ぐ愛情より、より深く強い愛情を受けたと自覚しているし、祖父母も私の誕生を心より楽しみに、そして大切に育ててきてくれた。
その恩は、私が生きている間に、きっと返せるだけの大きさではないだろう。
病気は私から、たくさんのものを奪い、あきらめさせ、人生に失望を与え、この世の絶望すらを見させた。
幼くして、意識しなくてもいい、死に対しても、深く見つめる機会を与えた。

人生を悟るのは、もっと先でいい。
死を語るのは、もっともっと先でいい。

それらは、10や20で語れるものではないと思う。
語るものでも、ないと思う。
人生について、生について語るのは、これから先の人生勉強の中で、学んでいくことだと思っている。
学んでいくべきだと思っている。

病気と向き合うという事は、想像をはるかに超えた、己との闘いである。

ある主治医が言っていた。
「病気になって良かったと思ってはいけません。病気は憎むべき存在です。それを受け入れてはいけないのです。」
あの先生の言葉を今、深く噛み締めている。

闘うのではなく、向き合うのだと。
受け入れるのではなく、見つめるのだと。

病気が運んでくれた出会い。それは大切にしたい。
しかし、痛みや苦しみや悲しみは、どこかに行けばいい。病気によって得たものがある一方で、失うものの方が、はるか多かった。


私に病気になって良かったと悟れる日は、来るだろうか。それはきっと、もっともっと遠い日の事になるかもしれない。

【2007/06/07 01:51 】 | 想うこと | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
大人の世界。

私は今までの経験で、大人の世界というものをイヤと言うほど見てきた(ほんの一部ですが)。
私は今、未来の事を考える事は出来ません。
今を、今日を生き抜くので、精いっぱいです。

でもよく、もう大人なのだから親とは切り離して考えなさい。とアドバイスをもらうこともあります。
17歳ってもう大人のでしょうか?
確かに私は、考えが大人びているとはよく言われます。とても17歳とは思えないと。その考えはもう小さいときからだったので、自分ではそんな気はしません。
見方によっては、自分の意思があり、きちんと状況把握出来ているんであれば、それはもう「大人」と捉えられてしまうのでしょうか。
あるいは、17歳なんてまだまだ子ども。と思う方も多くいらっしゃるでしょう。70代の方からみれば、20・30の人もまだまだ子どもに映ってしまうでしょう。
それは、人の価値観だと思います。


親と子どもは、確かに別の人間です。
人生はそれぞれで、どう生きるかは本人の裁量に任せられるでしょう。
でも、現実は、今も親のお世話になっている訳で、自分の事ばかり考えるのはどうだろう?
と私は、思っている。

だから、お金の必要な事について、自主的に行動を起こすという事はないし、例え自分の国からの少ない見舞い金を私の口座に振り込まれても、家族と使い道を相談したいと思う。
私はよく親を裏切る子で、我がままで、どうしようもない親不幸。
ボランティアをする事になったときも、自分でさっさと決めて、親にも何も相談せず(前もって相談すれば絶対ダメって言われると思ってたから)、はい、明日面接行ってきます。って事後報告だったから・・・。
すごく心配して、何度も玄関で待っていてくれたりして、本当に心配かけたと今思い返すと、馬鹿な事ばかり親に心配かけていたと反省する。

それは私の家の事情でもあり、状況だけど、それぞれの家の約束事や、やり方ってあると思います。
家族って一種の集団生活でもあるわけだから。


それに、障害者の自立について、支援する側の立場である方々と話していると、あまりよく障害者のほんとの部分はわかっていないのかしら・・・?と思う事がある。
理想論が、多い?
プロとして、プライドが邪魔をする?
というか・・・皆さんが皆さん、そうではないと、はっきり書いておきます。

出来ない事を、きちんと「出来ません。」と、責任を持ってお伝えするつもりだったこそが、「病気に甘えてる。」と叱責されることもある。
できないことを判断するのは、あなたではなく、本人の私がすることだと思います。
障害者自身の私の話には、耳を貸してくれなかったりで、結局、当事者の意見はそこにはない。
それって、おかしいと思うんです。

私は単なる一難病者で、それを専門的に学び、プロの職に就いてる訳ではない。
知ってるのは、この病気と私についてのみ。
だけど、パッとお会いしたプロの方よりは、自分の事は自分がよく知っていると思う。
トップに立つ方だから、話しにくいし、失礼に当たるし・・・まぁよいか。とかみんな口をつぐむ。
後で裏でグチャグチャ言っても、声は届くはずもないし、何も始まらない。
ほんとにそれで、いいの?と悔しい。
まぁ私一人が悔しがったくらいで、世の中どうにも変わりませんが・・・。


いつも、人間関係の不思議さというものを感じる。
ある一方からみた私像と、もう一方からみた私像は違う。私は一人しか、いないのに・・・。
そう考えてみると、世の中何が真実で何が正しいのか、わからない。
信じるのは、自分の目?
だけど世間って、周りのうわさとか評価とかの方が、信用するよね?
真実はいつかは明らかになるとか、ほんとなの?とか思ってしまう。

大人の世界は、表と裏の顔があって、大人は過去に言った事を忘れる。自分がよい方に書き替える。
人にはよく見られたいのだろうか・・・。
それはあまりにも、無責任すぎる・・・。

私の事を「いつも心配しているよ。」「いつも思ってるよ。」とか言いながら、その方は、実は一番自分が可愛いって事を、バカな私はいまさら気づくのだった・・・。
他人は何もわからないから、「ほら、感謝しなきゃいけないよ。」とか言ってくる・・・もう、たくさんだ。

私も大人になる人間として、人をうまく利用して生きていくべきなのだろうか?
世の中を、渡り歩くって、そんなもん?
大人ちっくな子は、すでに上手に渡り歩いてたりする・・・。
あなた何言ってるの?とか突っ込みたくなりながら、その人の前では、しゃあしゃあと小嘘を並べる。
うまい、うますぎる。
よく頭とお口が回るなぁと、感心してしまう。
あー、なんか私だけ、子どもみたい。

自分の努力では乗り越えられないのだと知る。
うまく人を使う人間関係、そういうのに長けていない自分に気づいた。
大人はうそつきで、建前を気にして・・・。
大人になるって、そういうこと?
何が真実で、何が偽なのか、よくわからなくなる。
時として偽を真実と見せかすから、信用してると、裏切られた気持ちが芽生える。
正義は正しい・・・なんて言ってる場合だろうか、私は・・・。

これをわかったのは、よい社会勉強になったのでしょうか?

私に、百万馬力をください。
身体が二つほしい。
とにかく、健康な身体がほしい。

「体調管理も本人の自己責任」ですか・・・。
ボロボロに壊れても、消えてもいいから、ほんとしたい。
やり遂げたい。
病気なんて、くそ食らえだけど、自分の気力でどうしようもできないのが、悔しいです・・・。



何か的を得ない文ですみません。
これが、ネットに書ける限界点。
まるで昼ドラみたいにどろどろしてる・・・と書いてみて思うけど、こういうのってどこの世界にもあると思う。
ふつうのこととして、現実社会では今日も当たり前のように、起きていることなんだよね。

型にはめて見ないでほしいな・・・と感じる点があります。
でも人の中に形成されたある型を、とっぱらうのは至難・・・。
たとえば私について、その人が描く性格や個性とかも。
そういうのって、もったいないなと思う・・・。

あー自己反省しときます。
人について、あーだこーだいうより、私は私らしく今日も生きていこう。
人の話は最後まで聞く。
その中で、プラスもマイナスも、どんどん消化吸収していければいいなぁ・・・。
少しずつ、大人になりたいと思います・・・。

背伸びじゃなくて、本物の大人に。



【2007/03/03 13:52 】 | 想うこと | コメント(1) | トラックバック(0) | page top↑
良い病院とは?

良い病院とは、どんな病院だろう?と、この頃良く考える。
以前は、的確な診断・治療をしてくれる病院だと思っていた。


的確な検査・診断をしてくれる。というのは、まず第一条件だと思う。
医師とのコミュニケーションにおいて、患者さんの言葉に耳を傾けてくれる医師との出会いが、とても大切だと思う。
診察室に入っても、コンピューターの画面や検査データーばかり診ているような医師は、一人の人間としての患者として診てもらえないような不安な気持ちになってしまう。
患者さんからの症状や生活状況などの言葉は、検査や治療をするうえでも大切な要素だと思うし、信頼する専門の先生に聞いてもらうだけでも、安心感という薬を処方してもらえる。


医師のみでなく、外来においても入院においても、看護師さんやリハビリの先生、ケースワーカー、各スタッフとの連帯も大切だ。
外来の待ち時間などや、入院においての環境も大切だと思う。
良く本屋さんにおいてある、「名医のいる病院」などは、そんなそれぞれも総合的に採点されているみたいだけれど、その本は、医師が何々大学を出ているとか、そういう部分を最重視されているものも多く感じる。
専門医の医師のいる病院というのも大切だけれど、患者になるには医師との関わりだけではない。
慢性疾患など長期に付き合っていく部分では、周りのスタッフとの関係も大切になってくる。


だけど、そのすべてを満たす理想的な病院を探すのも、現実的ではなかったりする。
どこかでそのいずれかの部分を妥協して、自分の一番信頼出来る病院にかかっている。
あたしの今かかってる病院は、高度医療を扱う専門病院だ。いつも多忙。スタッフは忙しい。
もちろん、外来の待ち時間も長いし、入院のベッドも常に満床状態だ。
救急指定病院だから、軽症な患者はいない(むろん急性期疾患が多いから、すぐに元気になる事も多い)。生死をさまよう患者ばかりで、各病棟にICUがあるし、病棟スタッフはいつも走り回っている。


またそこでは、大学病院などでは、「入院してるでしょ?」という患者さんも、ふつうに外来受診または往診している。
点滴しながらタクシーに乗ってたり、もちろん腹膜透析やIVHなど在宅でしている患者さんもおられるし、同じように抗がん剤の点滴も外来で出来る。
あたしには、治療がない。診断がついても、確かな治療は出来ない。
確実な治療法は未だないから。
悪くなれば、「治療してほしい。」といい、入院を勧められれば、「入院はいや。」とわがままをいい。
そしていやいや入院すれば、「入院すれば治してもらえる。」と思っていた。
病院は病気だけを見つけて、治してくれるところだと思っていたけれど、病気と付き合うのは、誰でもなく、患者本人のあたしだということ。
それは厳しい現実かもしれないけれど、よい病院を探し求めていた頃のあたしは、甘えてたな・・・とも思う。


どんな辛い抗がん剤の治療にも、入院したくないと。言った人がいた。
死ぬのが怖くて、痛くて不安なのに、医師も看護師もい医療スタッフのいない、在宅で死を迎えた人もいた。毎日、治療のため、1日の大半を外来の処置室で過ごす人もいる。
何も知らない人は、「入院すればいいのに・・・」と思うかも知れないし、家での医療者のいない設備も整わない、状況・環境では困難な事でもあると思う。
体は辛そうなのに、いつも笑っていて、一人の人間として、患者として、病院との付き合いを誠心誠意している方だな・・・と、思う。


病院との付き合いは、病気にもよるし、個人それぞれの考えだ。
それはそれぞれのもので自由のものだと思う。


けれど、今のあたしは仕方なく、在宅で暮らしているのではない。
満足して暮らしているのでもない。
今日を幸せに暮らそうと、毎朝思っている。


これからのあたしは、病院に全てをお任せする付き合い方ではなく、自分の意思を持って、自分の生活・人生の一部として、そんな付き合い方が出来ればと思っている。

【2006/12/25 12:28 】 | 想うこと | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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