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かんさつ
かんさつ
日々の体調管理に、「めやす」としていることがあります。今日は、その中のほんの一部を、ご紹介。

++熱 病気非活動時;36度後半平熱 病気活動時;38度~42度高熱++
今はたいてい、38度後半が平熱というところです。
39度を超えると、注意し、40度を超えると若干の意識障害を生じます(だいたい毎日、朝と夜の測定)。
体温調節ができないため、気温が高いと体温が上がり、冷やしすぎると低体温となる。
解熱剤が使えないため、室温調整に心掛け、寝衣・掛け物・体幹部の冷却等を使用する。

++呼吸状態;回数は、50~70回前後++
私の歳での呼吸数は、通常12~16だそうです。
常に努力性呼吸(肩で息をする)がみられ、気管~胸(気管支)にかけて、ゼロゼロが多くなり、狭窄性の呼吸困難だと、笛のような、ピューという音が、聞こえる。
熱が39度を超えると、ゼロゼロ音が増強し、吸引が必要。
喘鳴の強さと場所、血中酸素飽和度の低下、心拍の上昇、鼻翼呼吸等の具合により、吸入・吸引を考える。

++咳;毎日若干ある++
ゼーゼーが強く、それに伴った咳は、すぐに吸入・吸引を考慮し、ゼーゼーがそれほども強くなく、コンコンと乾いた咳の場合は、吸引のみとする。
連続性に咳が続く場合、肋骨骨折の危険があるため、直ちに鎮静が必要。

++鼻水・鼻づまり;ほぼ毎日++
鼻水は体が冷え、体温が低くなると出やすく、体温が上昇すれば、鼻詰まり・鼻出血がおきやすい。
鼻血は、一度起きると2時間は止まらず、止血に時間がかかる。大量に出血するため、大半が口の方に流出し、吸引が必要。飲み込んでしまった場合は、運が悪ければ腸で固まり、閉塞発作が起きる。
咳がひどくなり、呼吸や表情にゆとりがなくなって、心拍が190を超すと鼻腔吸引と同時に吸入も考える。

++心拍 安静時;140~160/分 体動時;170~200/分++
普通、心拍数は、新生児で120/分前後、乳幼児で110前後/分、学童期で100前後/分、成人で80~90が通常の心拍として知られている。
100を超えると頻脈と定義され、60以下は徐脈と診断される。
1分間に180~200回が1分~5分以上続くと、余裕がなくなり、意識がなくなる。
常にサチュレーションモニターを接続しているため、数値を観察し、対処。

++血中酸素濃度;45後半~50前半を目標(酸素継続使用中)++
普段は、43~45%留まり。何かしらの発作が起きると、41%以下になり、全身蒼白になる。
30%台になると、虚血発作がおき、脳への障害が懸念される(通常99~100%)。
サチュレーションモニターを観察、熱や心拍、呼吸との関係が深い。まれにモニターのはずれや接触不良のことがあり、ヒヤっとすることがあり。

++表情;表情筋がまだ侵されていないため、笑うことはできるが、こわばりが強く、普段は無表情++
誰かがそばにいるとそっちに夢中になってしまうため、比較的表情は柔らか。特に信頼している人物であると◎
表情は、体調と比例傾向。

++言葉・発声;言葉の遅れはない 発声障害があり、うまく声を出すことができない++
気分がよいときは、自らの発声ができるが、こちらからは進んで声を出さない。誰かが語りかければ、話ができる。

++視覚;右目完全失明・左目裸眼0.06 メガネ装着時0.08~0.1++
神経疾患の再発時は、裸眼視力0.04以下になり、ときに測定不能も。メガネを装着しても、改善みられなく、よくて0.06である。
常に乾燥状態で、よく目の感染症になる。
拡大鏡を取り付け、正面20センチまでは何とか見える。乱視・弱視あり。

++聴覚;右耳高度難聴 左耳中度難聴++
先天性難聴で、右耳だけでは、ほとんど音を聞き取ることができず、左耳で何とか人の会話を聞き分けることができる。会議室など複数の人が話す場では、聞き取り難く、誤解等が生じる。一対一の会話は、ほぼ支障なく聞き取れるが、ときに唇話術が必要なときあり。

++嗅覚;匂いは比較的敏感に察知する++
鼻炎があるくせに、匂いに過敏。
香水・花・消毒薬等の匂いに敏感。ある種の匂いに、けいれん発作(てんかん等)、アレルギー反応を起こす。

++味覚;個人的に辛いもの好き++
辛いもの好きだが、食事制限のため、満足に食べれない。甘いものが苦手だが、低血糖であるため、摂取を余儀なくされる。糖分をとりすぎると気持ち悪くなり、頭痛・意識喪失へと繋がる。

++嚥下;障害中等度++
飲み込みの障害があり、先天性の病気のため、うまく食べ物を咀嚼・飲み込みできない。
食道に入るべきものが、気管支に誤って入りやすいため、よく誤嚥性肺炎になる。
場合によって、経静脈栄養・経腸栄養等が開始される。

++触覚;感覚まひ++
両下肢に若干の感覚まひがあり、触られている感覚がない。指先から、徐々に上にあがっていくような感じが起きる。上肢にもみられ、特に右に強い傾向がある。

++睡眠;平均3~4時間程度++
依然は、痛みがないときで、一日最高記録、24時間中22時間寝たことがあり(傾眠発作時)。
今は常時痛みのため、3~4時間寝られればよい方。
ときに、1時間しか仮眠が取れず、心身ともに参ってしまう。
たいてい、明け方に眠りにつき、午前中はうとうと。痛みのために睡眠が妨害されることが、多々あり。
痛みが治まると同時にひどい傾眠傾向があり、発作の終止に比例して、意識を失うように、眠り込んでしまうことがよくある。

++胃残量;朝・昼・夜もほとんどない(白い透明~鮮血)++
あまり食べれないので、胃に残るものも、ほとんどない。ほとんど空気か、出血性の胃液。

++尿量;1日300ml前後++
色が薄い。常に乏尿状態。
よく血尿を出す。

++食事;厳しい食事制限++
1年の絶食期間の後、食べれそうなものをチョイスし、特別食を摂取中。
固形食は無理で、刻み食及び流動食系。
食事抗原にアレルギーがあり、また生まれつき消化酵素が欠損しているために、食べてはならないものが多数。

++むくみ;常時あり++
調子が悪いとまぶたが腫れ、手足の甲が腫れる。
全体的な体のむくみもある。
季節の変わり目、気温、天気にも左右されやすい。
薬の副作用で、ムーンフェイスもある。

++発作;種々の発作あり++
てんかん発作;全身けいれんから目の焦点が定まらない軽い発作まで、一日数十回は起きる。大きな音や光で、発作が誘発されやすい。
喘息発作;季節の変わり目、天候、気温、不整脈発作時、夜間から明け方、感染時、あるいは突発に発作がおきやすい。心臓の関係から、現在内服薬は服用しておらず、ステロイド剤のみとなる。発作時は、β2刺激薬の吸入を併用。
不整脈発作;200を超える頻脈であれば、抗不整脈剤を試すより、DC(電気除細動)で元の心拍に戻す試みをする。徐脈の場合も同様であるが、頻脈の方が頻度が高いため、徐脈の対処は、あまり経験がない。

++舌の荒れ;常に乾燥状態++
常に乾燥していて、舌が白くなり、ところどころひび割れる。部分的に円形のただれが出始めると、何らかの感染症にかかりやすくなり、注意が必要。

++口腔;乾燥++
病気の関係上、常に乾燥状態で、口内炎がひどく、反復し、よく歯肉炎になる。

++全身++
体調が悪いときや何らかの食事を取った後に、全身じんましんが出やすい。



これが、私のからだのきろく。
【2007/06/23 16:21 】 | 日々の日常 | コメント(1) | トラックバック(1) | page top↑
私の家族☆
今日は家族の事を書きたい。

父は2人兄弟の次男坊。
父はやさしい人。穏やかな人。広い人。でもちょっぴり、子どもな人。
息子と本気でけんかして、子どもに呆れられる人。
一筋縄ではいかない人。甘えん坊。仕事一筋で、でも仕事先でいろいろあり、仕事には一生懸命だけど、なかなか恵まれない人。お人よし。本気で怒る事を知らない人。
でも、たぶん、きっと、父だから、生まれる前から病気だったあたしを、ここまで支えてくれたのだろう。
今でも一緒に、いろんな会話をする。今時のアイドルも知っているし、趣味はゲーム。MY機器は、プレステ2。
そんな、昔の仕事先でいろいろあり、一人で会社の事情を背負い込み、家族に心配かけないようにと、たった一人っきりで、何もかも背負い込んだ人。
頼りになる人。守ってくれた人。強い人。信じれる人。
「娘のためなら、全てを捨てる覚悟は出来ています。」と主治医に向かって、言った人。でも、父の口から、グチを聞いた事はない。男の人って、そんなもんかなぁ。
娘にちょっかい出して、嫌われる人。息子と本気でお菓子の取り合いする人。妻に失言して怒らせる人。
自分の用事で出かける時(例えばパチンコとか)朝早く起きて、布団を片づけて、朝ご飯をつくって、トイレ掃除して、玄関掃除して、それから出かける人・笑。
気が小さい人。でもって、ものすごく立派な人。
父みたいな、そんな男性と、一緒になりたい・照。


母は、2人姉妹の次女。母の家系はいろいろ複雑で、ここに書くべきことではない。
姉とは10歳離れているが、父親が違うので、いろいろあり、幼少期も成人してからも姉と一緒に暮らした事はない。母もたった一人で、親を支え、子を支え、夫を支え、家庭を支え、一人で背負い頑張っている人。母もとてもやさしい人。でも怒ったら、普段やさしいだけに、だれも止められなくなるほど暴走する。
子どもみたいに純粋な心を持った人。女同士、娘と対立する事もあった。親の愚痴も聞かされた。祖父母の介護を共にやった。あたしを何度も助けてくれた。支えてくれた。悲しい時は一緒に泣いてくれた。
嬉しい時は一緒に喜んでくれた。涙脆い人。感情移入する人。心配性。過保護。
でも、そっと見守ってくれる偉大な人。尊敬する人。いつもあたしの介護を頑張ってくれる人。親の介護も頑張り、あちこち走りまわってる人。すごく、頼りになる人。面白い人。家庭に笑顔を届けてくれる人。
妻として母として、立派な女性。
あたしも母みたいな心大きな人になりたい。


10歳小学5年の弟は、ゲーム大好き少年。心やさしく清らかな子。好きな事には没頭し、苦手な事でも一度決めた事は必ずやり遂げる立派な子。
何度も姉の急変時に助けてくれた子。友達多く、誰とでも仲良くなれる子。以前不登校気味の子に声かけ、友達になり、以来その子は毎日学校に来るようになったと先生から褒めて頂いた。
以前はマリオが好きだったが、今はポケモンに熱中。車が大好きで、3歳の時点でほとんどの車種の名前をいえた子。言葉に遅れがみられ、3歳までほとんどしゃべらず、心配になり、発達外来にも連れて行ったりしたが、女ばかりの家庭で育ったため、言葉の発するタイミングを逃してしまったと言われる。が、3歳をすぎたころから、これまでの反動!といわんばかりにおしゃべりになる。
融通の聞かないところあり。変なところで神経質。
甘えん坊。自分の感情を抑え込む傾向あり。幼い頃、「おねぇちゃん」といえず、「おにぃたん」と言って付きまとっていた。喧嘩ばかりするけど、すぐに謝ってくる子。あいさつが出来る子。弟もアレルギー体質の遺伝で、軽い喘息や軽度の腰椎側湾症があり、季節性に体調を崩すが、ほかは至って元気。
食欲は例え40度の熱が出ようが、旺盛で、開業医には呆れられる・・・。ここ5年あまり、入院はしていない。
姉の車いす介護・食事介助・身の回りの世話など、何も言わずやってくれる心やさしい子。
あたしの世界で一番大切で大好きな子。この子のためなら、死んでも本望だとさえ思っている。命を投げてでも、守りたいとさえ思う。でも、弟からしたら、うっとうしい口うるさい姉で嫌われること、多々あり…。
幼い頃から我慢ばかりさせ、親に一番甘えたかった時期を奪ってしまったと心から後悔している。が、心素直に、まっすぐに、子どものまま成長してくれた事が姉としての誇りです。これから思春期という最も多感な時期に入ろうとしているが、いつまでも心優しく、おおらかな男性へと成長してほしい。
いつか、君の成長は見れない時が来る。成人して、結婚し、子どもを授かり・・・そんな君の将来を描きながら、今の成長の日々をずっと噛み締めたいと思っている。


そんな大切な大切な家族。
家は別々だけど、祖父母も私の大切な家族なので、書いておきます。

母方の祖父は御歳82歳(5月生)。母の実の父。
頑固で戦争を経験してきた人だけに、無口でこれまた一筋縄ではいかない人。優しく、おおらかで、泣いていると慰めてくれた人。現在歳の加齢で耳が遠くなり、ほとんど会話が出来ない状態だが、表情での会話が出来、妻である祖母に尻に敷かれている。
歯肉が悪く、歯の痛みにずっと耐え、食事量も減り、肥満体形だった祖父は、40代ぎりぎりで、痩せ体形になった。私の幼稚園時代は、毎日のように園の外で、見守ってくれた人。自転車の後ろに乗って、どこでも連れてってくれた人。良く入退院時の荷物運びを手伝ってくれた人。幼稚園・小学校の時の運動会には参加できなくても、朝一番で場所取りにフェンスを超え、誰よりも孫を心配し、陰で支え続けてくれた人。そして、今のこの日本を、支え続け貢献した人。

祖母は、御歳82歳(3月生)。同じく頑固で、一筋縄では行かない人。おしゃべり好き。訪問看護師さんやヘルパーさんとよく喧嘩し、トラブルとなった・・・。
意地悪ばあさん。口達者。5年前に寝たきりとなり、一時は全く動けずにいたが、高齢の身ではありえないくらい脅威の回復を見せ、自力で歩けるまでに回復。今は支えがなくとも数メートルは自分で歩ける。家事も行う。内科的持病のため無理は出来ず、季節の変わり目は発作を度々起こすが、ここ2年は大きな発作は起こしていない。気性が荒く、母とよく対立していたが、それでもとてもいいおばあちゃん。心配性で、少し薄着で行くと、よく怒られた。年金の月には、必ずお小遣いをくれ、おいしい処に母に内緒で食べに連れてってくれた。病院の通院にもよくついていった。せっかちで、自分の意見を通す人。厳しい人。でも、すごくやさしくて、家族の事を誰よりも心配し、案じてくれる人。毎日3回は必ず電話がかかってくる。母は、徒歩7分の距離にいる祖父母んちに毎日往復している。おばあちゃん大好きっ子。

父方の祖父は、御歳82歳(6月生)。3年前に妻に先立たれ、一人静かに暮らしている。祖母が倒れてからずっと、一人で介護を頑張り、最期の最後まで、妻を愛し、寄り添っていた人。祖母の葬儀の日に、初めて祖父の涙をみた。少し離れた距離に住んでいて、父がいるときでなければ、めったに顔を見せに行くことが出来ないが、時々電話で私の様子を気にかけてくれる人。入院した時、お見舞いに来てくれた人。私たちがあそびに行ったら、「お腹すいたやろ?何か作ったろ。」と、ご飯を拵えてくれる人。自慢のおじいちゃん。

父方の祖母は、3年前の冬に他界。脳内出血で左半身麻痺になり、リハビリ入院・施設入院の繰り返しだった。倒れてから9カ月後、祖母は亡くなった。生前、よく昔のあそびを教えてくれた。狭い家ん中で、かくれんぼをした。糖尿病を患っていた祖母は、病気の怖さを教えてくれた。末期になってから、腎障害が目立ち、目が見えなくなった。生前祖母は、こんなことを言ってくれた。「おばあちゃんもこんな訳のわからん病気持ってて、はるちゃんと一緒や。」だから、ガンバロウとも、だから、あなたもとも、言わなかった。倒れてから、一泊だけ外泊してくるというので、祖父の介護ヘルプのつもりで、出張ボランティアに向かった。その際、祖母がかたくり粉のくず湯をつくってほしい。といわれ、失敗ながらも、おいしい。と言ってくれた。もっと、上手につくればよかった・・・。生前、痛い痛いとよく言っていた祖母。骨が出て、寝たきりだった祖母にあたしは、ただ痛いね。と同情することしか出来なかった。もう嫌だ、死にたい。とばかり漏らしていた祖母に嫌気もさした。そんな自分が・・・無力で恥ずかしくて情けなかった。こんなあたしに、祖母の死後、何度も夢の中に出てきてくれた。何も出来なかったのに、ありがとう。とばかり言ってくれた。
ただ、あたしに出来るのは、大好きだった天国の祖母に心配かけないような生き方をすること。ただそれが、亡くなった人に対しての唯一の供養なのだと思う。

母の10歳違いの姉、おばちゃんは、いろいろ問題を起こしてくれた人。
それはここに書くべきことではないが、今では許せるような気がする。
問題を起こしては、いなくなり、ほとぼりが冷めてからまたひょっこり、現れる・・・そんな叔母が私は許せなかった。
でも・・・今ふと、思う。
身内を憎しみ合い、恨みあっていても、何も変わらないと・・・。
母と祖母を泣かしてきた叔母を簡単に許せるわけはないけれど・・・
それでも、すべてが不幸だったのではなく、やさしさも持ち合わせていて、ただ不器用だから、他人を不幸にし、そして自分自身をも不幸にしてきたのだと・・・。
でも、大好きだから、どんなに傷つけられ、どんなに裏切られても。
私はやっぱり、叔母を嫌いになんて、なれなかった。


そんな大切な、私の家族。
みんなが、げんきでえがおで、しあわせですごせますように。
【2007/06/23 16:19 】 | 想うこと | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
泣いた日・・・
今日は泣いてしまった日・・・。

担当の訪看さんのお子さんが急な発熱で、お休みされた。
変わりに来た訪看さんのひとこと。

「痛い痛いって、どこが痛いの?がんばって、元気にならなくちゃ。あなたが治りたいって気持ちが弱いから、良くならないのよ。歩けないのも同じ。例えみんなが回復の望みはないって言ったって、患者は希望を失っちゃダメなのよ。」と、あなたの為だというお話を薀蓄話された後、帰っていかれました・・・。

あの、私の気持ちはどうなるのでしょう?この怒りや戸惑いや空しさは、どこにぶつければいいですか?私の気持ちが弱いからですか?
私の努力が足らないからですか。
だったら、今すぐ歩かせてください。
今すぐ、この痛みを治してください。
今すぐ・・・希望を与えてください。
私に、「明日」を見させてください。
あなたは本当に看護師ですか。患者の心に寄り添い病んでいる人をケアする人間ですか。痛みもわかってもらえない、共感も出来ない、それよか、自分の視点でしか看れないような方に、私は自分の痛みを伝える事は出来ません。
信用することも出来ません。がんの痛みが、膵臓への痛みがどれほどのものか、あなたに想像できますか。身を引き裂かれそう・・・いいえ、いっそのこと、引き裂かれた方がどんなにいいでしょう。
一瞬のことで、どんなに楽でしょう。

モルヒネ漬けを否定するのなら、痛みを取り除いてください。私だって、好きでこんな体になったんじゃないんです。好きで、麻薬であるモルヒネに頼っている訳ではないんです。

「麻薬ばかりに頼ってると抜け出せなくなるよ。シャブみたいに。少しくらい我慢しなさい。」

あなたの言葉が、何倍もの痛みとなって、私に届きました。医療薬としてがん治療・他の疾患の治療として処方されるモルヒネの量では、まず中毒にはなりません。あなたは、看護師なのに、誤解をしたままケアに携わっているんですね。恐ろしくなりました。でも、文句は言えません。
半分も、3分の1も言えません。言ったからとどうなるでしょう。何かが変わりますか。伝えれば伝えるだけ、所詮他人事なんだという思いが、芽生えるだけ。夜も眠れない。昼も、いつ激痛に襲われるかわからない。
冗談でも、大げさでもなく、なんでこんなに痛いの?

一人になってから、あたしの心は涙でいっぱいになった。
せめて、寝返りくらい一人で打ちたい。一人で座りたい。一人で食事がしたい。一人で息がしたい。一人で排泄したい。空をみたい。外に行きたい。勉強したい。あそびたい。
私は歩けるようになりたいとリハビリも頑張ってきた。治療もサボってたわけじゃない。毎週毎週点滴に、足りない酵素や輸血のために、病院に通った。雨の日も風の日も、それこそ台風の日でも。嫌いな怖くてどうしようもない、雷がなっている日だって、毎週毎日、治りたいと、これ以上病気進んでほしくない気持ちで、いっぱいいいっぱいな気持ちで、通ったんだ。
治りたい、良くなりたい。決してあきらめたわけじゃない。でも、あきらめないと生きては行けない現実があることを、どうか少しでも、わかってください。
手放さなければ、今を、今日を、生きてはこれなかった。生きるのに、今を生きるのには、必要のないものを、排除し手放し、それはやがて失っていくもの。治りたい・・・良くなりたい・・・学校行きたい・・・病気再発進行して欲しくない。

そう思って・・・どれだけ、裏切られたことだろう。この想いに、この病気に。
絶望し、失望し、この世のどん底を知り。それでも、そこから這いあがろうとした。一生懸命、崖下に落ちたそこから、這いあがろうとした。でも、また上がっても、またどん底に突き落とされるんだよ・・・その繰り返しなんだよ。
希望や気の持ち方や精神力で病気が治るのなら、病気なんて単純でいい。薬なんていらない。お医者さんもいらない。看護師さんとの出会いもなかった。
がんばって、がんばって、がんばる事に疲れてしまっている今、「がんばれ」と言われるのは、過酷だよ・・・。

将来のこと、先のこと、明日の事に、答えを見つける事は、簡単なことではない。明日さえ不確かなまま今日を生きる私たち親子には、とてつもなく重い課題。

「また、明日ね!」そう言葉に出来る、あなたとの距離を、感じてしまう。私とあなたの温度差を感じてしまう。そして、一人で孤独になる。

生きる事、明日を描けること、自分の力で息をすること、排泄すること、寝返りが打てること、文字が書けること、食事が出来る事、学校に会社にいける事・・・。
普通の人が、ふつうに出来る事なのに、働くことも学ぶことも、自分で生活し食べる事も。それさえもままならない私は、人間として価値がないのだと。
生きている意味なんて、どこにもない。私は弱いから、涙でいっぱいになって、抑えきれずに、溢れ出てしまうのです。

感情が止められないまま。今日を生きることしかできないのです。
明日を語れるあなたがうらやましい。
1週間後のことを話せるあなたがうらやましい。
1カ月後のことを思い描けるあなたがうらやましい。
1年後のことを映し出せるあなたとの距離を感じます。

どうしても、埋まらない、溝。

話しても、伝わらぬこの想い。

仕方ないのだと・・・自分に言い聞かせる。

シカタナイ、シカタナイのだと・・・・。
【2007/06/23 16:10 】 | 日々の日常 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
私の一日
私の一日をちょっとご紹介。

朝はほとんど寝てます。
夜はほとんど痛みや発作のため眠れず明け方に眠りにつくのが多いので。。

ただ、日曜日や祭日、土曜日の一日は平日より少し異なる。一週間をトータルして午前中の訪問は滅多にない。
朝、6時頃父が出勤する前に私が寝ている部屋から隣の居間(?と呼ぶのか?)までお姫さま抱っこしてもらって移動(TVがあるので)。
それから再び寝るか移動させられたのに気づかないでいるときもある(恐るべし。この移動が大変なんだよ、点滴あるし)。

起きてから母による介助が始まる。
まず歯磨き、洗顔。歯ブラシは歯茎から出血しやすいので、毛先の柔らかいやつか、血小板が極端に減っている時は薬剤が入ったうがいのみか、綿棒でする。洗顔はあったかいお湯にタオルを浸したやつで。
左手が動かなくなっていた時はこのすべてを母か看護師にしてもらっていました。
今は左手のみで用意さえしてくれたらひとりで出来ます。

そして朝のケアは母による、吸入、薬、2~3時間置きの体位交換。それからは午後まで何もない。
午後2時か3時頃に訪看さんが来てケアの時間。
バイタルチェック・点滴確認・透析チェック・処置(採血・点滴追加など)・清拭・洗髪(これは週に2回って髪、ほとんどないんですけど…一応形だけ)、お話。それで1時間半は経ちます。

訪看さんが帰った後、夕方5時から8時の間に日・月・火・木・土(日・際は13時から15時の間に来ます)は血液の担当医の先生、水・金に心臓担当医の先生の往診です。その他臨時の先生が数名来ることも。
往診は、診察(聴診・視診・触診)、治療方針の見直し(振り返り・評価)、翌日の検査オーダ、薬剤投与など。これでざっと1時間半。一緒に(って私は除く時もあるけど)食事をとってから帰る事もあります。

で、先生が帰り、父が帰ってきて(先に父が帰っている事もあるけど)11時頃まで家族でTVみたりと過ごしています(弟は先に寝てしまうことあり。我が家は全員B型なので自分のペースを決して崩さないという恐ろしい一家。そして寝るころになるとまた、父に抱かれ、就寝部屋へ。私は母と寝ています。
隣の部屋では父と弟。何かあった時、父は地震が来たって、目覚めませんから…。

就寝前に人工呼吸器をセットして、自動夜間腹膜透析をセットします。
それから、日中のケアの合間や時間がある時は福祉の教科書でちょっことお勉強。まぁ、教科書を読むことしか出来ないですが…

これがざっと、平日の一日です。
土曜日も…これと同じかな。日・祭は訪看の訪問がなく、代わりに先生が追加点滴やら持ってきて処置してくれる。時間はだいたいお昼過ぎ。

日曜日は皆さん朝寝坊。土日は食事が許されるのでみんなと一緒に朝食(いや昼食…?朝昼兼用が多い…)。で、日曜日は週に1度の血液透析日。母と私でその作業を行います。って言っても私はほとんど、口だけ。自分の出来そうなところは片手でしますが、感染のリスクを考えると片手での操作は危ない…。

その後は往診の時間まで待ったりゆったりと過ごします。そして、布団に入ってから母に本を読んでもらったり、いろいろ話したり、親子の時間を楽しんでます。

それがだいたいの私の一日。朝から母の天然ボケっぷりに笑わされたり、父のまぬけな質問に唖然としたり、弟のしぐさに和ませてもらったり、時に私がネタになります。そんな笑えるこの家族が好き。
なんでも言い合えて受け止めてもらえるこの家庭が好き。いつまでも続けばいいと願う、この幸せの時間。
だれも犠牲になることなく、だれも自分を責める事なく、だれも他者を恨むことなく、今生きているこの瞬間を感じる事が出来ればいいと、願う。
毎日同じ事をしているようでも、実は微妙に毎日変化があって、それを時々気づかなくて退屈な事もあるけど、今日という今という同じ時間は二度と訪れないのだと、だから私は今日を、今を精いっぱい生きようって、何年かして振り返った時、あの時の自分は精いっぱい生きた、と言えるように時間を大切に今を生きたいと思う。
【2007/06/23 16:05 】 | 日々の日常 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
障害者社会参加について
先週、PTをお休みしたので、今日は2週間ぶりの訪問リハビリだった。

リハビリしながら、先生に質問&おしゃべり攻撃・・・。これからの事とか、漠然としたことだけど、話していた。
短期間に集中リハをして、回復する事はないのかと、質問すると(自分でも分かってんのに、何言ってんだ・・・って後悔)。

リハをし過ぎると筋肉細胞が壊れゆくから、何より再発にもなりかねないから、回復という意味ではまずは考えにくい。
先生は現在の、遺伝子解析(オーダメイド医療)や治療、治験の事なども、知ってる限り話してくれた。

後、障害を持った人の社会参加の事について。
障害を持ってる人も、その個人の持つ能力を生かす社会。というものについて。
まだまだ、日本は何から何まで、遅れているんだなぁと思った。
古く昔から、障害者は保護するべき存在という歴史があるから。

障害を持っていても、周りや機械のサポートによって、個人の能力は生かされる。そういった新しい歴史を作っていこうとしているのが、アメリカなんだよね(ADA法)。
あたしは在宅で活かせる資格はないのか、考えてるだけ。
やりたい事より、出来る事を優先してしまう。
それでは、長く続かない。と分かっているのに。好きな事だから、長く続くんだよ。と。でも、それにはあまりにも障害物が高いなぁ・・・。好きな事、やりたい事は山ほどあって、なりたかった・就きたかった職業もちゃんと、存在していたのに。

現実は選べるほどはなく、正直、選べる程の余裕もない。
もっとも、これが社会参加という形となれば、介護の必要な人間を、雇う程の余裕はないのが、また現実なんだなぁ。

「自分の事は自分で出来ますか?」
「着替えは?トイレは?」
「車は運転できますか?どうやって通うのですか?」

コレが日本の企業の、障害者雇用における基本。
個人能力を生かす社会参加は、その人の障害や体力に合わせ、問われるのは、能力のみ。
こんなに情報社会になったのだから、どこにいても全国や世界に繋がるネットなどを活かし、もっともっと障害を持った人の能力を生かすべきだと思う。

なんて言って、あたしは、パッパカパーとリハして回復するなら、回避できる問題なのに・・・。と今日は質問したのになぁ。良くなりたいよ・・・。

この体で生きていくのって、厳しいなぁ。出来ない・難しいなんて言ってたら、いつまで経っても社会に認めてもらえない。
出来ない事をどう工夫して、活かせるようにするか。やりたい事を次々とチャレンジしていくこと。それが成功への第一歩なのだと。障害持ってても、着実に成功への道を歩んでおられる方々には、頭が下がります。

あたしは・・・到底なれそうにないから。抱えているものも、条件も、環境も違う。
それって、当たり前の事。自分に与えられたこの場所で、どう自分なりに生きていけるか。

リハビリの先生は、病院で関わるのみの毎日だと、病院から出た患者さんの、その後のこういった問題が分からない。だから、いろいろな資格をとって、勉強してるんだ。と語っておられた。何か、すごくかっこいい。
いつも自分の知らない世界を知ろうと、視野を広めてる人って、いろいろな事を知っていて、情報も多く持ってて、それが人のためにもなって、すごい。
魅力的な憧れの人だな、と思う。・・・って憧れても全然近づけない、あたしですが・・・。PTの先生の専門は、小児の神経学的理学療法です。まだ20代で若いけど、いろんな資格とってて、以前はこども病院にもいたからなぁ。スタッフからも厚い信頼受けておられる。

そんな先生と出会えて、よかった。
先生、ありがとう。
見捨てないでいてくれて、ありがとう。
【2007/06/23 16:01 】 | 日々の日常 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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