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神経内科の先生の生き方。
今日は神経内科の往診でした。

何か、今日はいろいろ話した。
人間対人間の会話。大人社会についての話とか。
先生は大人な人だなぁとか思った。
物の見方や考え方に尊敬した。
とても勉強になりました。お話聞けてよかったなぁと思ったし、聞いてもらうだけでも相談してよかった。
人の生き方についてとか、人生観についてとか、そういうのを話せる先生との関係は感謝しています。

この先生は、多くの神経難病のお子さんや患者さんを診て来て、ご自身の人生観も磨かれて行ったんだろうなぁと度々思わさせてもらってます。

あるドクターの言葉。
「医者が患者に教えるんじゃない。僕らが患者さんに多くの事を学ばせてもらってるんだ。」
この言葉を言い残して、かっこいいくらい余韻を残して、去っていったあの先生は、今ごろどうしていらっしゃるかな?

今の神経内科の先生との出会いも、文字には出来ないくらい、多くの思い出とともにエピソードがある。
それはここに書ききれるくらいあっさりとしているものでもなく。でも、とにかく、この先生との出会いで、私自身多く助けていただいたし、私を17歳の子どもとしてではなく、一人の一個人として、接してくださる。
話す言葉も成人患者さん相手みたいに丁寧だし、不安に思っていることはとことん答えてくれる。
それが例え自分の診療時間外のことであっても、外来でも何時間でも付き合ってくれた。だから、いつもこの先生の外来は待ち時間が長かった。
それだけ、一人一人の患者さんに誠意を持って時間を持って接してくださるから。

大切にしたい。先生と過ごす時間。多くのものを教えてくれて、気づかせてくれて、ありがとう。
頭いいのに、決してそんなそぶりも見せず、偉いのに、全然偉そうじゃなくて。

私が「先生のお陰で大切なことに気づかせてもらいました。」っていったら、「僕は何もしていませんよ。気づいたのはあなたが自分の力で気づいたのです。僕はそのお手伝いをしただけです。」って言ってくれた。
あくまでも、気づいたのは自分自身だからと言って。そんな少し謙虚な先生も好き。
でも、ビシっと言ってくれる時は、相手が子どもだろうが言ってくれるから、そんな先生だからこそ、頼もしい。


昨夜はあまり眠れなかった。痛みもすごい。でも、いろいろ考えると・・・。
病気持ってるとか関係なく、人って生きてるといろんな悩みにぶつかる。
だけど、私は病気を持ってる立場として、言える事だけど、病気と付き合っていくうえで、セーブしなきゃいけない部分もある。
ブレーキが効かないと自爆してしまう。そんな一面が・・・あたしにはあるんだなぁ・・・。
あえて、自分から疲労やストレス溜める事とかは、なるべく避けたい・・・。一時状態が悪くなって、時間がかかっても必ず回復するものならまだしも、再発と言う形で障害に残る部分もある。
これ以上、失いたくないから、人生回避したい事はしたい。きっと今、ぶち当たってる壁は、リスクが高い。いつもそうだけど・・・。

けど、もう18歳にもなろう人間として、自分の事は自分でする。という責務も持たなければならない。決して病気だからと言う病人面に甘えてはいけないと思っている。
避けるか避けないかは、私の自由な選択。
人生は誰に背負わされるものでもないし、自分で決める事。
すごく迷うけど、いい事ばかりの世の中でもないし、みんなそれぞれ大変な事を背負って生きている。
これが時として、社会の現実なんだと思った。

今の世の中はすぐに、何でも手に入る。いらなくなったら、捨てられる。
無駄なものは、どこまでも排除でき、自分に心地いいものを簡単に選べる。それが幸せとも限らなくて、辛くてしんどい思いして、努力して掴んだ幸せは、私の中ではとても尊いものであると思うのです。
だから、今すぐあきらめず、出来るとこまでがんばってみるつもり。がんばってみたい。
本当はもっともっとがんばりたいんだよ。
がんばる気持ちは、昔のまんま。
決して衰えている訳でもないんだ。ただ・・・終わりはいつなのか、痛みから解放される日は死ぬときだけとか、元気になりたいって思えば思うほど、そんな漠然とした不安は襲ってくる。
身体も思うように動いてくれない。体力も落ちた。けど、この日々の中で乗り越え、培ってきた、心の中にあるものは、きっとこの先、今の私を支えてくれるだろうと、信じてる。

何か綺麗事っぽくて恥ずかしいけど、今日はこの気持ちを残しておこうと思った。

先生からは同じ車椅子ユーザー・寝たきりユーザーでも病気の特性や個人のそれぞれの状態を見極めて、理想と現実はあくまでも違う。

理想は高くにあっても、まずは足元をみて、地固めをしていくしかない。
その積み重ねが大切。と言われた。

いつになったら、私が描く理想に届くんだろう・・・。いっそ、あきらめた方が、現実的?とか思うけど、私は自分で選んだこの生き方しか出来ない。何より、今日は先生が理解してくれたのは、うれしかった。
理解どころか、背中をぐっと前に押してもらった感じ。

私のよくないところは、アクセル全開で、時々ブレーキがきかないとこ。
時には、セーブ・ブレーキも必要。わかっていても、難しい・・・。
それも、一つの勇気だと教えてくれた先生。

病気と仲よく・・・それは、私の病状から言っても、無理。こんな病気と仲よくなんてやってらんない。痛みと上手に付き合うなんて、そんなのは論理上のことですよ。

お偉いさんががんの痛みと上手に付き合う、みたいな本を多数出版されていますが、あくまでもお偉い方の論理上の話で、現実味がない。。のが、悲しく思う。闘病生活は悲劇のヒロインになれるほど、綺麗なものではないし、また悲観に浸ってばかりでは、現実は生きてはいけません。

私は病気と仲よく、上手に付き合うという、そんな病気ではないし、そうする余裕もないでしょう。
でも、短命でもそれが運命ならば、受け入れるしかないのでしょう。「運命は自分で変えられる!」とか、どっかで・・・TVでみたような・・・?じゃあ、変えてください。ってまたひねくれた考えを・・してしまった・・・反省。。

【2007/06/23 15:57 】 | 日々の日常 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
退院後のリハビリ。
午前中は、退院後の初のリハビリ。

退院後から、入院中に不運にも脳内出血を起こし、後遺症で軽度の言語障害が出てしまったので、PTと合わせて、ST(言語聴覚士)による言語発声訓練も受ける事になった。
というのは、これはまた、あたしの希望…。
先生には反対されたけど。やっぱり、何かしていたい。希望…なんてないけど、でもどこかで頑張っていたい。

そんな思い。STの先生は女の先生。
頭いいんだよぉ~!
PTも同じ土曜日なので、続けてするのは体力も持たないからと、曜日を変えてしましょうか。と言われたので、来週から火曜日にSTの訪問リハビリがあります。

午前だって。先生病院でのお仕事は?って聞いたら、あたし、火曜日休みなのぉ~、なんだって。お休みのところ、本当にすみません。
うちの病院には在宅部というものがないので、どれだけ皆様にご負担ご迷惑になっていることか・・・受け入れてくださって本当に感謝しています。ありがとう・・・。

何だか、今日はPTの先生と真剣に語りこんでしまった・・・。リハビリを今無理してするのは、病状的にも良くない。
リハビリすればするほど、回復する病気ではないし、他の疾患のことも考えると、筋肉をリハビリによって動かしすぎると筋肉細胞が破壊され、取り返しのつかないことになる恐れ。

分かってる・・・のだけど・・・。何かしていないと、不安。リハビリ出来ていたあの頃は、自分のためにしている無理より、周りの事とか考えて、無理してた部分があった。
結局、「自立」とか「社会復帰」とか、頑張っていたけれど、あたしの本当にやりたい事って、そんな部分になかった気もする・・・。あの頃のように、服を着替えたり、トイレするだけで、すっかり疲れ果て。
トイレに行くだけで、もう心臓鳴りっぱなし。
不整脈バクバク・・・。
このときほど、自分は心臓病児なんだ・・・って自覚したことないよ。。悲しいけど。
自分の楽しむ時間もなく、痛みや発作に耐えて、一日が終わる・・・。って、悲しい。

かといって、人に介護してもらう事の多い今も人疲れするんだ。でも、動けないから、仕方ない。
動かないんだから。割り切れる。割り切れる分、楽な事もある。そんな感じ。

PTの先生に、しばらくは機能的なリハビリよりは、雑談中心でいきましょう。と言われる。
上の先生からの指示らしい・・・?機能的なリハビリをしてても、回復は望めない。精神的リハビリを重視すべきか?今日は足が痙攣したり、腕がしびれたりし、その時の対処法などを教えてもらった。

リハビリの先生は、すごく頭がいい。まだ若いのにたくさん勉強してらっしゃる。
PT学だけでなく、この先生は小児のPT士で、ほかにも神経学的な事などを専門とされておられる。いろいろと勉強になります。

目がおかしい。焦点がずれる。めまいがする。頭痛。座るというか、座位が保てないので、クッションで支えられ、PCに向かってる時とか、意識を失う発作を単時間のうちに繰り返す。
本を読もうとしたら、そうなったので、あきらめた。
大好きで、文学少女とまで言われた本好きなあたしが、本を読むことすら出来なくなる。

いったい、どれだけのものを、奪えば、気が済むのですか?

薬の副作用まで抜けず。というか、ずっと抗がん剤も続けているので。手のしびれも相変わらず・・・。
あたしは一体、どこが健康なんでしょう・・・?

訪問看護師さんとも最近仲がよい。ていうか、仲よくしてくれてるんだろうね・笑。
あまり細かな事は、要求しないように気をつけるようにしてる。
細かな事というか、場合によっては、当たり前な事なんだけどなぁ。病気の事や状態は把握して欲しかったり、患者さんが多いから、患者側が思うより、現実は難しい事なのかも知れないけど。
でも、患者が完璧を求めると、看護師さんを疲れさせてしまう・・・。事故にならないといいんだけど、体・命を預けてる身としては、『間違い』はあってはならない事。

また、『知らない』と同じくらい、『勘違い』や『思い込み』も怖いんです・・・。難しいね・・・。
でも、看護師さんには感謝しているし、みんな一生懸命してくれる。24時間緊急体制になって、前より在宅の体制が改善されている。
その分、スタッフの皆さん大変な中、がんばってくれてるし、十分彼女たちのがんばりを認めたいと思う。患者を評価するだけではなく、そういう現場で全身全霊を持って患者と接しておられる現場のナースたちをも、評価して欲しいと切に願う。
【2007/06/23 15:51 】 | 日々の日常 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
文字を書くこと。
最近、日記を書くことに何の意味があるのか、問う自分がいる事に気づく。

本家サイトを開設して、2年。
決して人様に勇気も自信も希望も夢も与える事が出来たサイトではありませんが、ここを訪れて、ずっとこんなつたない管理人の日常をつづった日記を読み続けて下さった皆さん。
多くの方からメールも貰いました。中傷もありましたが、それは極僅かで、大半の方々が応援して下さいました。

沈んでるとき、
「あなたの文が大好きです。」
「私はあなたに勇気をもらいました。」
「これからも書き続けて下さいね。」
「このサイトが大好きです。」
そう言ってくださった方々。
私は決して、人様に自慢できるような生き方をしてきた訳ではありません。
生まれたときから、ただ必至で毎日を生きる事だけで精いっぱいでした。
その生きた過程を言葉という活字に託し、文字と出会い、文字を書くことと出会いました。

ここを開設したのも、いつかの日に、そう遠くはないであろう未来に、書き続けてきた日記が自分の手では書けなくなった時、書き続ける事が出来るようにと、ここを開設した次第です。

決して多くの方に知ってもらいたいとか、見てもらうために立ち上げたわけではありません。
誰も見なくていい。ただ、私が私であり続けるために、私が私で生きていけるために、文字は必要で、書く手段がある限り、書きなさい。と言ってくれた人がいたから、私は非難を浴びても、ここまでここを続けられてきたんです。

しかし、最近になり、私の文で嫌な想いをさせてしまったり傷つく人がいるならば、ここを続ける意味も価値もないと思います。
以前は、私が書き続ける事が出来るまで、ここは続けたい。とずっと、思ってきた。
それは、いつかの日に、私の死後、この文字たちが、私の人生を語り継いでくれるだろうと思っていたから。

でも、もしも。
私の書いてきた文字で、傷つく人がいるならば、ここは閉鎖するべきだとずっと思ってきました。
ネット上。いくらでも偽りも書けます。
真実を曲げる事も出来ます。
でも私は、自分の人生に、これまでの生きてきた過去に、偽りを書いてきたつもりはありません。
ここだけには、正直に素直な自分でいたかったから。つらければ現実逃避する事だって出来る。
嫌ならば書かなければいい。
でもそれは、私には出来なかった。誰が見ているか分からないネット上で、言葉として発信する時。
いつも不安があります。真実を書くことで、嫌な想いする人もいるかもしれない。いたかもしれない。
ここには、私のありのままの事が書かれています。
恥ずかしい事でも、思い出したくない事でも、情けない事も、怖い事も。
でも、それは私のある一部のものでしかありません。日記は私のすべてではないです。
私の日常をすべて反映している道具ではないです。

病状の起状も激しく、いつ書けなくなるか分からない。その恐怖といつも一緒・・・なんです。
いつも今日の日記が、最後になるかもしれない。そんな思いで、書いてるんです。
私の日々を綴るという事は、暗い・重い内容になっていたのも事実です。
私の日常は、そういうものだから。
読み手がいるのに、希望も何も与えられない、ただ来て頂いては心配させて、暗い想いにさせてしまうだけ。

だったら、日記を書いてる意味なんてない。
ここを閉鎖しようかとも考えていました。今のままではそうなっても、仕方のない事かと。
こんな私に文字を書く資格なんてないと思う。
それを世間に公開し、伝えていく力もないと思う。
ただ、私は私の視点で、我の狭い世界で、生きてるだけの人間。公開する意味なんてない。
それでも、一人でも、書き続けて下さい。と言ってくれた人がいるから、文字として発信する向うに、読み手がいるって素晴らしい事だなと思うようになりました。

私のこんな拙いつまらない文が、どれだけ皆様の心にどのように、届いているのか分かりませんが、少なくとも、見て下さってる方々が、応援していただいてる方々がいる限り、あたしはここで文字を書き続けてもいいのでしょうか。

そろそろ、潮時かな。とも思い始めています。ただ、自分の中では、まだ書き続けられなくなるまで、ここを続けたい。
ここで出会った皆様との出会いを大切にしたい。とも思っています。ただ、書き続けるなら、何もネットで公開しなくたって、メモ帳に書き残せばいいわけですし。

ちょっと、文字を書く事から離れてみようかな・・・でも、きっとあたしには、無理だろうな・・・。。
活字中毒なあたしには・・・。何か自分はダメ人間だなぁ、と思えて。ほんとにダメな部分、いっぱい持ってて。
何してもうまく行かない時は、あるものだけど、どうしようもない時もあるんだなぁって。

今は、そんな時期なのかなぁ・・・。。生きてると、あの時自分の選んだ行動は、正しい事だったのか正しくない事だったのか、答えが分からない事に、何度も出会う。

ずっと、夜が怖かった。小さい頃から。何だか漠然とした不安を抱えて。
日が昇り始める明け方にようやく眠りに落ちる感じだった。
それは決して、夜更かししてる訳でも、怠けている訳でもない。怖いからなんだなぁって。。
何に怖がってるのか。それは迫り来る死に対してだったかも知れない。ことに、気づいたのは、ごくごく最近でした。

今でも、眠れぬ日々が続きます。
それでも、朝は来て。そして一日が始まる。
そうやって、月日は経ち、やがて何かを得るのでしょう。
私はそこまでの領域にはまだまだ達していないようだけど。

なんだかんだ言っても、今日も夜を迎え、そして明日がまた来るのでしょうか。
今夜は痛みがなく、眠れますように・・・。

そして。
この先も生きていくことが、できますように・・・。
【2007/06/23 15:46 】 | 想うこと | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
悩みの重量
先日、仲間の一人が就職した。
彼女も重い障害を抱え、幾度も就職難なこの時代に、蹴られても来た。
一度就職出来ても、理解ない職場の同僚や上司などで精神をやられていった。
そんな彼女から、メールが届いたとき、どうしても心から素直に、おめでとう!といえない自分がいた・・・。

同じように障害持ってる仲間の中で、同じ目標に向かっていても、みんなが全員、到達点までたどり着けない。
その中には、体の事や病気の不調で、立ちどまってしまったり、去って行ってしまうこともある。

そういった、少しでも、自分の障害の経験を通して、人の苦しみが分かる者同士だから、自分の事以外の、他の人の気持ちも感じて欲しい。
ほんとは、おめでとう!って、一番に、分かち合える仲間でいたい。みんな、大人だなぁと思った。

後で考えたら、あたしは、自分の挫折と自信のなさを通して、人の成功を妬んでいるだけなのかな…。
そうだとしたら、情けない人間だな・・・。
ほんと、寝たきり生活は仕方ないと受け入れても、健康な体が欲しいよ。
ちょっと、この体はきついな・・・と実感する。それでも、出来る限りは、あきらめない!

人は人、自分は自分。結局は、その自己解釈にたどり着く。

精神的に苦しかった。
人間関係、自分自身との向き合い。
只今、心のテンションが落ちているのは、その内にたぶん、回復すると思います。

世の中って、矛盾したことがあるなぁって思う日々。
個人的な悩みって、理解するのも、されるのも、難しいなぁ。と思う。

それぞれ、生きる場所も、居場所も違う。あたしの悩みも、
「なーんだ、そんな事。」って大きさかも知れない。
「えーーーーーっ。」って大きさかも知れない。

結論は、自分と向き合え!って事です。
逃げれるような、悩みには、悩むな。
逃げれない、逃げたくないなら、いっぱい悩め。
後悔しても、悩んでたことには、誇りを持て。
はじめから、後悔という逃げ腰の、向き合い方はするな、って事です。

自分の人生は、自分にしか出来ないことがある。今のあたしは、自分自身と、大切な周りの人との、小さな世界の事しか、日々考えられない。
社会にも出ていないし、未熟だなぁと思う。
もっと広い視野を持つと、いろんな考えや生き方を知る。人は欲を言っては、キリがないけど。
それは、その人それぞれの希望であって。

たとえば今のあたしは、寝たきり生活でも、自分で自立できているレベルの人たちが(トイレ・着替え・車の運転など、日常生活全般が自力→他人の手助けなく出来る。)自分の障害を理由にしているのをみると、いい思いはしない。
人はそれぞれ、ここはもっとこうだったら。とか、あの時、こうしていれば。とか、抱えてるものだったけど、障害を持ってる分、そういう思いとの葛藤ってのは、あると思う。

けど、そのすべてを、たとえば、自分の今の人生の納得行かないのを、全て障害のせいにする、しかも本人は努力しようとしない(他人に動いてくれとばかりの態度)は、どうかな?って思ってしまうのです・・・。それに、かわいそうに・・・と、動いてしまう人も、どうか・・・と・・・。そりゃ、愚痴も弱音も吐くよ。
あたしも、そう。けど、愚痴と弱音と、いかにも自分は悪くない!正しい!ってのとは、違うと思うんだ・・・。

努力をしている人は、しているよ。
それは、健康な人も同じでしょう。

あたしは今、やりたいことがあり、それに向かって、厳しい治療も耐えれる。
それだけでも、幸せな事なのかもしれない。そのためなら、努力もする。頑張る事は、楽しい。けれど、どうしても体がついてこない。出来る事が、出来なくなること・・・。

その現実は、悔しくてたまらない。
いつかは、現実と直視する時が来るだろう。
そんな事、思いたくも、見たくもないけれど。だからこそ、毎日、自分自身とちゃんと向き合っていたいと思うのです。

結局は、出来る人は、出来る。
出来ない人は、出来ない。
それが、現実です。
時には、出来るフリしてごまかしている。当たり前だけど、ごまかしは、いつまでも続かない。

弱くて脆い人間です。あたしは、そんなつまらない人です。とりあえず、今のあたしは、今日のあたしらしく、歩むのみです。
一日、一歩ずつ。

たとえそれが、後退していく一歩だとしても・・・。自分の小さな世界しか、まずは大切に出来ない。
そこから、始めるのみです。
あたしは、あたし。
それでいい。
【2007/06/23 15:41 】 | 日々の日常 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
書く楽しみ。
書く楽しみ(4月)

いつも本家HP・ブログを訪ねて頂き、こんな管理人のつまらない日常を読んでくださり、本当にありがとうございます。

今年の6月で、ここを立ち上げ早くも2年の歳月が流れました。
メールを下さる機会も、多くなりました。とてもうれしいです。
全ての方にお返事が出せていない状況ですが、読んでいます。一人一人のやさしさを感じています。

この日記って、どんな方が読まれているのかな?(知り合いを除き)とこちらから見えないだけに、ふと、知りたくなる時があります。メールやカキコを頂くと、とてもうれしくなります。
メールくださった方、レスしてくださった方、書き込んでくださった方、全員覚えています。
誰かに宛、書いたものでも、ただ私自身の半生を書きしるしたい一心で、日常を自分の狭い我の視点でしか物事をみれず、その心で、感じたことをそっくりそのまま書きあらわしている次第です。

自分の中では、「読んでくださっている方がいるんだなぁ~」ってなんだか申し訳ない気分です。
ここには私の日常を隠さずありのままを赤裸々に書いているので、ナイーブな方は傷つかれるかもしれません。
ショッキングな状況も含まれています。でも、これが私の毎日であり、これが私の病状ですので、何も隠す事はないと考えています。ここを読んでくださっている方の多くは、ある種の覚悟をして読んでくださっている方が多いのではないでしょうか。
心配させてしまっているお友達もたくさんいます。応援してくださっている方たちもたくさんいます。

私はここで、この場所で、文字を発信することしか出来ませんが、いつも皆さんの温かい心に、触れています。
それでも毎日、読んで下さる方がいて、本当にありがとうございます。
ネット日記は、読んでもらうことで、書く側も何かの自分へのプラスがあると思います。ノートとか自分だけに書き読むものなら、自分にやさしく書ける、いわば、自分中心にいくらでも自分保護で、突っ走れるかな、と。

はじめの頃は、日記を公開することに大きなためらいと迷いがありました。私はここで、自身の抱えているものの大きさをひけらかし、同情を集めたかったわけでも、骨髄バンクや献血のドナーになってくださいと、お願いしたいわけでもなく、ただ長年書き続けていた日記が、自分の手では書けなくなったとき、私はきっと自分を再び見失いそうな気がして、そうなったときに、生きる意味を見失わないためにも、このデジタルという世界に、私自身の思いを託したまでです。
しかし、ひいては、こうして公開することで、客観的に自分を見つめる目というのも、養われてきました。
文字を書き続ける事で、成長してきた自分がいます。でも、最終的には、それも自己満足なんですけどね・・・。

自分の書いた文字がみられる恥ずかしさは、今もあります。文字って、気持ちの裸でもありますから。
人はそれぞれ考えが違う。出すほど、叩かれるというのもあるわけです。
だから、書くのが怖いというのも、ある。自分を守りたい、安全圏で守られたいという弱さもあります。
沈黙も大切・・・。そんなバランスをうまくとりながら、ここを今日までどうにかこうにか続けられてきたわけですが。
私は、そのバランスも悪い。。自分で自分のバランスが取れず、ドキドキハラハラしっぱなしの情けない管理人なのかもしれません。
そんな私に、支え、見守り、いつも元気を届けてくれる仲間や皆様に、本当に感謝しています。
この場を借り、改めてお礼申し上げます。

小学生の恩師にこんなことを言われたことがありました。
「書く手段がある限り、書き続けなさい。あなたにはその使命があります。書く事から逃げては行けません。それは自分から逃げるということです。堂々と書きなさい。あなた自身の言葉で綴りなさい。あなたには人を引き付ける力があります。」
私はその先生によって、文字と出会い、今日まで文字を書き続ける事が出来た。
読まれるのに、慣れたい・・・。恥ずかしがらず、これが私の日常だと、文字で綴りたい。全く文章力もなく、何の魅力もない私です。表現力もない。読まれる方には、退屈なくだらない未熟な話にお付き合いさせてしまってるかも知れません。
それでも私は、書く楽しみ、幸せを、知りました。
これからも、文字というものについて、生きている限り、学びたいと思います。

思えばあたしは、こうして日記ひたすら更新するだけで。
こちらからの交流って、してなかったんだと気づかされた・・・。
いや、あたしはそんな、自己中心的な人だとは知ってたけど・・・。自分がこうして私生活を公開する。って行為に、最近、迷いや複雑なものを感じるんだ。
ふと聞いた話だけど、たとえば名前を勝手に使って、どこかにカキコされたり、アドレスを勝手に公開されたり。
文字だけでは、だれがだれなのか分からない。信じる・・・しかないものね。そういう、怖さ。知ってたつもりなんだけどなぁ・・・。私生活をあからさまにするって事は、他人の関心を引いてしまうこと。それは面白がってとか、興味本位とかにも繋がるんだし。決めつけたくはないけれど・・・。

あたしにとっては、ネット=外との接点だし。ネットで出会えた友達は、大切な宝だ。
でもそれぞれ、ネットへの価値観って違うものなんだな・・・と思うと、寂しくなる。でも、ネットでつながって、かけがえのないものとも、出会えたんだ。
それは、ずっと大事にしたいな。


それが、今の、文字に対するわたしの本音。

【2007/06/23 15:36 】 | 想うこと | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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